第63話 正義と現実

文字数 1,367文字

「久しぶりだのう、發二。ま、乗れや」
 レイノに促されて、俺は、テトラと共に、車の後部座席に乗り込んだ。秘密の話をする時には、移動中の車が一番だ。ベンツが動き出す。
「テトラから聞いたぞ、發二。確かに俺は、風呂の場所を知っている。だが、お前がその情報を知って、一体どうするんだ?」
「そこに行って、彼女を連れ戻します」
「どうやってだ? 加美は、借金を返さないといけないんだ。その金はどうする?」
「風呂のオーナーに話すか、彼女の担当の借金を、俺が肩代わりします」
 レイノは、太い首をゆっくりと振った。
「奴らに弱みを見せるな。骨まで貪り食われる。話し合いをすれば、お前はきっと、さらに深い罠に嵌め込まれてしまう。相手は中国マフィア。お前の母さんを取り込んだ組織と同じだ。取引しようとすれば、とんでもない悪事に加担させられることは目に見えている。奴らは日本の敵だ。暴対法以降、ヤクザが弱体化した分、外国のマフィアは、次々と日本を切り取りに来ている。我ら卍會は、ボランティアだけではない。日本を守る会でもある。もし、お前が奴らに取り込まれたら、俺たちは、お前とも戦わなくてはならん」
「けど、じゃあ……、どうしたらいいんですか?」
「彼女は、掛けさえ払い終えれば自由になれる。今話題のアイドルだ。あの風呂なら、一晩30万円は稼げる。利子があっても、半年もあれば釈放だ。ほっとく事はできないのか?」
 俺は、膝の上に置いた両拳をグッと握りしめた。もう、俺も大人だ。現実が分かる。なら、今はカミを放っておき、試合で実績を積む時期だ。そして、力とお金が貯まった時、2人でアメリカへ行けばいい。日本でどんなゴシップがあろうとも、アメリカに行ってしまえば自由に暮らすことができる。
 もちろん、今のカミを放っておけば、傷ついている彼女が更に傷つく。だが、知らなかったと言い張れば、自分の罪は減るだろう。傷ついたカミに対しては、自分の一生をかけて癒す。それが、2人にとってのベストなのではないだろうか。
 これは、決してカミを見捨てているわけではない。むしろ、どんなに彼女が傷ついても、一生見捨てず、離れずに守り続けるという、覚悟の選択だ。
「俺は……、俺は……」
 その時、デッド・リーの言葉が、平本蓮の言葉が、自分の思考のど真ん中で、燦然と輝いて膨れ上がった。
 自分にとっての自由とは何だ?
 俺の心は……。俺は自問自答した。俺は、確実に、カミを助けたがっている。彼女は今、俺の助けを待っているはずだ。
 俺は、首に下げた御守りを握り締めた。俺は忠犬だ。忠義に殉じる。例え、どんな悲劇が待ち構えていようとも。そしてその後で、母も助ける。それがこの世界の美しさ、ドブネズミの美しさだ。
 もう心は揺るがない。俺は顔を上げた。
「俺は、俺の正義のために生きてんだ。絶対に、カミを取り返したい。例え、相手が中国マフィアだとしても」
 レイノは、残念そうな顔をして首を振った。
「そうか……。ならば、俺はもう、お前を止めはしない。テトラ。お前も内緒にするんだぞ。友の決意を、絶対に阻害することがないように」
「分かりました」
「よし。テトラは車を降りろ。チンコロの可能性は、少ない方がいい」
 車は止まり、テトラは降りた。
 再び動き出す。
 ベンツの中は、俺と、レイノと、運転手の3人だけになった。
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