第35話 イズラエル・アデサンヤ

文字数 1,953文字

 幸いジョーンは、大した怪我ではなかったようだ。ケンジの擁護もあり、俺は、きつい注意の後に解放された。新宿シネシティ広場へと戻る。
「大丈夫だったか?」
「心配したぞ」
「アゲー」俺の姿を見た仲間たちは、次々と寄ってきた。気を失ったばかりの俺に、コカレロを勧めてくる。
 普通に生きていると、何も刺激的な事件がない。ここでは、良いことや悪いことに関係なく、目立つことをした者はヒーローとして祭り上げられる。
 真夜中なので、トー横キッズは10人もいない。女をベロベロに酔わせたヤリサーの集団。眠剤が効いてグッタリとした女を担いでいる大学生。金が払えないと泣きついて足にしがみつく女に、容赦無く蹴りを喰らわせるホスト。それらを見て、酔いながら密かに笑っている、野郎だらけの社会人たち。
 俺は、現実がくっきりと見えてきた。この広場の中にいる人たちは、誰一人として、未来のことを考えていない。今しか出来ないセックスやヤリラフィーが上手くなっても、それが未来には繋がらない。
 そりゃたまには、YouTuberや取材などが来る。テレビに映ることもある。それで有名になる可能性だって、無くはない。けど、じゃあ、有名になったとして、何ができるのかと考えると、ただ、身を削ることしかできない。だって、何も築き上げていないのだから。そして、消費者に飽きられて捨てられるだけだ。
 みんなが次々と、俺の周りに集まってくる。親しいふりをしてくるが、何か事が起きれば、全員揃って逃げてしまうのだろう。そして俺自身も、彼らがどうなろうとどうでもいい。その程度の関係だ。
 みんなが嘘を吐きまくる虚構の関係。だが、みんな、本能に正直なだけなんだ。欲しいものがあれば奪う。気に入らない事があれば暴れる。それだけなんだ。確かに俺たちは動物だ。だが、動物のように生きた先には、家畜か、屠殺かの道しか考えられない。その後の人生は、他人や政府のせいにして生きていくんだろう。
 違う。違うんだ。俺は突然、理解した。『俺の人生というゲーム』のガチャがクソなわけではないということを。俺は今まで、デイリーの、最大星2までしか出ないガチャを引き続けていただけなんだ。
 星5出ないなーなんて言っていたが、それは当たり前だ。どんなゲームでも、ガチャを引くためには原石が必要で、原石を得るには試練を突破しなくてはならない。そうしてようやく、集めた原石でガチャが引けるのだ。
 おばあちゃんやカミのような星5キャラが『俺ゲー』に出現したことは、運営からもらったボーナスだと言わざるを得ない。
 嗚呼。神ガチャを引きたい。
 俺は、「ちょっと帰るわ」と言って、一人、花園神社へと向かった。追跡されたくないので、Zenlyも消す。
 消す一瞬で、仲間たちの位置は全て確認できた。今、広場にいない仲間たちは、家で寝ている者もいれば、ホテルやネカフェに泊まっている者もいる。この一年で、俺はすっかり、歌舞伎町内のホテルとネカフェの位置を覚えていた。それと、お上りさんとヤルために、雰囲気を良くさせるエンタメ場所も。
 ロボットレストランはゴミがたくさん出ている。今日も盛況だったようだ。各場所にあるクラブでは、ホストたちが、大声でヒメを盛り上げている。俺は昔、この五月蝿い雰囲気が嫌いだった。だが、今では、すっかり落ち着く。たぶん、強くなったからだろう。
 ケンジの言葉が頭から離れなかった俺は、花園神社の石段に腰掛け、ネット検索をした。イスラエル? アデサニヤ? アデサンヤ? うるおぼえだが、Google先生はすぐに探してくれる。イズラエル・アデサンヤだ。たくさんの動画がアップされている。
 ハツジのよく知っている格闘家は、朝倉未来くらいしかいない。YouTubeで有名だからだ。
 RIZINという総合格闘技団体の試合は、何となくだが大体観ている。ポパイと共に不正な方法で視聴し、海外のサイトで試合にベットする。デザートに、SNSの捨て垢で、負けた選手の悪口を書き込む。これがポパイから教わった、高尚な格闘技観戦のフルコースだ。
 悪口を書く以上、そこそこはMMAを知らなければならない。現代MMAでは、打撃とレスリングと柔術、全てが出来る者だけが頂点に立てる。これくらいは常識だ。解説者が言っていた。
 だが、このアデサンヤは、打撃だけの選手だった。8歳からテコンドーをはじめ、キックボクシングで80戦75勝、MMAで23戦22勝。しかもその1敗は、一つ上の階級のチャンピオンと戦っての敗戦だ。
 身長193cm、リーチが203cm。俺と一緒だ。運命を感じる。漆黒の肉体が躍動する姿が美しい。俺は、アデサンヤと自分を重ね合わせた。うっとりしながら、いつまでも、大樹の下で、彼の映像を眺めていた。
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