第34話 自己紹介TikTok

文字数 1,900文字

 俺は、騒がしい音で目が覚めた。
 ここは? 保健室のような場所だ。上半身は裸。お守りは首にかかっている。両手の親指同士が、後ろ手に結合されていて解けない。
「目覚めたか? ガーハッハッハッハ。お前、薬はやってなさそうだな」俺を倒したおじさんは、全力で笑いながら紙を見せてきた。
 薬物摂取をしているかどうかの簡単な検査をしたらしい。言われてみれば、指にバンドエイドが貼ってある。ここから血液を取ったのだろう。確かに俺は、女に薬をやらせているが、自分ではカミに言われた通り、薬をやっていない。
「何する気だ?」
 敗軍の将には何の権利もない。どんな覚悟もしている。おじさんは、俺の体に手を置いていった。
「さてねぇ。どうしようかねぇ。なーんてな。ハッハッハッハッハ」男は、やけに陽気だ。
「おい。お前、名前は何てんだ?」
 大人のにやけヅラめ。ぜってぇに答えねぇぞ。俺はそっぽを向いた。カミから身分を示すものを持たない方がいいと言われているので、全ての荷物をネカフェの金庫に預けている。週に10万円程度は稼いでいるので、そのくらいのお金はある。つまり、自分から吐かない限りは、分かりようがねぇ。
「もう一回聞くぞ。俺は、大鳥ケンジってんだ。礼儀は通したぞ。お前も、名前を教えてくれてもいいんじゃないか?」ケンジは、短髪の頭をかく。
 沈黙。
 ケンジは、罰が悪そうにため息をついた。
「なあ、パブ」
 なんで俺の名前を知ってんだ? 俺の驚いた顔を見て。ケンジは嬉しそうだ。
「大人をなめんなよ。ハッハ」ピタピタと、スマホで俺を叩く。
「なあ。TikTokで色々やってんなー。なに? 初体験は15歳で、好きな体位は正常位なのか」嬉しそうに話す。自己紹介TikTokを見たようだ。
「お前らがこうして、今しかできないなんつって人生を消費している間にも、他の奴らは、今を無駄なことをしてる時間なんてないっつって、練習に励んでんだ。今、この瞬間にも、お前と、未来のために努力している人間の差は、広がり続けている。ボクサーの井上尚弥は知ってるだろ? あいつは、7歳からずっとボクシング漬けの人生だから、今、あれだけ強い。平良達郎は練習しかしてないから、20歳でUFCに行った。きっといつか、世界チャンピオンに立ってなれるだろう」
 俺は、格闘技のことはそこまで詳しくなかった。大晦日のRIZINを見るくらいだ。だが、YouTuberだったらよく知っている。
「じゃあ、朝倉未来は? 若い頃は練習なんてしねーで、豊橋で喧嘩三昧の日々だったって聞いたけど」
 格闘家の話に乗ってきた俺に対して、ケンジは目を輝かせた。
「おっ。未来を知ってんのか? あいつはな、メチャクチャ才能がある。頭もいい。でも、後悔してると思うぞ。もし、若いうちから全力でMMAにのめり込んでいたら、今頃はUFCでチャンピオンになっていたかもしれないのに、てな。ま、でも、あいつは、自分の人生がどんな形になっても、悔いなく生きていこうとするタイプだ。そういう信念がある。もしかしたら、まだワンチャン、UFCの世界チャンピオンを狙っているかもしれないな。そうなったらメチャクチャ面白いけど。ハーッハッハ」
 ケンジは、ハツジの両肩をしっかりと掴んだ。
「お前の体型やファイトスタイルは、イズラエル・アデサンヤに似ている。日本人が重量級で世界を制する。そんな夢を託すことができる逸材だ。なあ、パブ。TikTokなんかやってないで、MMAをやらないか? MMAはいいぞー。みんなが応援してくれる中、仲間と国民の夢を背負って、スポットライトの光の中で戦うんだ。そして、負けたら全てを失い、勝てば全てを手に入れられる。その充実感は、他じゃ得られねぇ。俺もずっと若くいられたら、いつまでも現役でいたかったよ。まぁ、今じゃもう、15分間も動き続けることはできないけどな。ハッハッハ」
「俺が……、世界チャンピオン……?」
「ああ。まだ若いんだろ? 今から頑張りゃ手が届く。間違いない」
「でも俺、親に捨てられたので、住所も戸籍もないですよ。それに金もない」
「大丈夫だ。こんなに立派な体があるじゃないか」ケンジは、俺をペシペシと叩きまくった。格闘技の練習をしているせいなのか、他人に触ることに躊躇がないようだ。
 初めて自分が認められている。俺は、後ろ手に拘束されている指が恥ずかしくて仕方なかった。なぜなら、自分の目から流れている涙を拭けなかったからだ。
 ケンジさんは、俺を、強く抱きしめてくれた。その匂いはおっさん臭かったが、貢ぐ女や、トー横の仲間とは違う。何か、母からもらいたかった類の愛情が感じられた。
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