第33話 アロンの杖

文字数 1,052文字

 ふう。俺はようやく、構えを解いた。野次馬が騒ぐ。「サインをくれ」と言って近づいてこようとするものもいる。だが、俺が睨むと、全員が静まり返った。茶化してはいけない空気が、酔いどれどもにも分かったようだ。まるでモーゼが海を割ったエピソードのように、俺は、野次馬たちを散らしていった。
 と、突然、やけに大きい笑い声が聞こえた。人垣を押し退けて、男が近くにやって来る。
「はーっはっはっはっは。ジョーン。お前、やられたのかぁ!」
 俺は振り返って見た。ラフな格好をした、40代の、髭だらけのおじさんだ。身長は170cm。体重も70kg前後か。その割には、やけに余裕な顔をしている。ジョーンの様子をチェックして、スタッフに「救急車呼んどいて」と叫んだ。
 俺と目が合い、笑う。
「お前がやったのか? おもしれーな」無防備に近づいてきて、肩に触れてこようとする。反射的に払おうとすると、俺の腕の長さの外へと、素早くバックステップした。間合いを知っている。こいつも、格闘技の経験者らしい。
「おー。俺ともやるか?」2m200kgの黒人が倒された相手だというのに、やけに自信ありげだ。体つきを見ると、確かに筋肉質。
 けれども、俺には自信があった。手足の長さ。体重。若さ。全てにおいて上だ。まともに当たれば、こんなおっさんは一撃で倒せる。
 なめさせねぇ。俺は再び、スイッチを入れ直した。ゆっくりと構える。ベタ足のキックボクシングスタイル。それを見たおじさんも、嬉しそうにして構える。こちらはレスリングスタイルらしい。
 近寄らせない。手を前に突き出して、おじさんの侵入を止める。
 同時に、倒されないため、腰を深く落とす。
 俺は、男にジャブを放った。体重差があるのだ。ジャブだろうが、当たれば吹き飛ばせる自信はある。
「おっおっ。いいねぇ」だが男は、暗いというのに余裕で避けていく。
 やべ。焦る。
 俺は、鋭い前蹴りで距離を測った。
 瞬間だった。男が、斜め前にステップインしてきた。
 その足を狙われていたのだ。
 男が、俺のカーゴパンツを掴む。
 そこからはあっという間だった。
 俺は、気づいた時には倒されていた。
 にゃろめ。
 暴れても外れない。
 俺の全ての打撃が、効果のない位置に巧みに移動されている。
 俺はバックに回られ、いつの間にか首を絞められていた。
「やるなぁ。どっかのジムで練習してんのか?」
 うる、せぇっ!
 俺は暴れ続けた。
 が……。
 野次馬の後ろでは、ヤリラフィーを踊るブンブンシティーの姿が見えて……。
 そこからの記憶はない。
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