第40話 検索ワード

文字数 1,628文字

 界隈の仲間たちは、暗い気分でいられる連中ではない。リストカットをしても、ODをしても、DVをしてもされても、全力で今を謳歌しようとしている。未来に手をかけられない俺も、何とか気を紛らわそうと、浴びるように酒を飲み、SNSで引っかかった女たちを抱き、乱行やDVなども一通りおこなった。だが、気が晴れることがない。キメセクをやらないかと誘われた時、俺は気づいた。
 そういえば、俺はドラッグにだけは手を出していない。これは、格闘技をやりたいという気持ちがまだ捨てきれていないからではないか。運動競技では、ドラッグを使用するとドーピング検査に引っかかる。一度ドーピングをした人は、二度と元には戻れない。
 だが、もういい。ダメだ。格闘技はやめて、この快感に溺れてしまえばいい。今だけしか見ていない人と一緒に、今だけしかできないことだと言って、あらゆる快楽に飲み込まれてしまえばいい。ポパイは、鼻から薬を吸っている。部屋には、男女の汗の匂いと共に、マリファナ独特の匂いが充満する。何という欲望の塊。俺の頭には悪魔が出てきた。
「お前に全ての快楽を与えよう。その代わり、お前の夢をいただくがな。とはいえ、その夢は簡単に叶えられるようなものではない。いただくとはいえ、そんな持つことも難しいほど小さなもので快楽を得られるんだ。これは対価交換どころじゃない。大盤振る舞いというものだぞ。カーッカッカッカッカ」
 確かにそうだ。俺の全細胞が、逃げるための快楽を欲しがっている。ふらり。
 その時、俺の袖を引いたのは、他でもない。カミの姿をした神だった。無言で、怒った顔で首を振っている。
 そうだ。俺は目が覚めた。今の俺を支えているのは、格闘家になるという夢、ただ一つだ。ずっと未来が見えなかった俺に、格闘家になってカミと結婚するというビジョンを与えてくれたのは、この夢なんだ。希望をここでなくしてはいけない。
 俺は目覚めたように、ホテルから飛び出した。
 一人になりたい時は、いつも自然に花園神社へと向かう。一心不乱に、御神木の前で拳足を振るう。一撃では止まらなかったデブに、どう対応すればよかったのか。急所を狙えない以上、一撃で倒す方法がわからない。
 倒された後の対処法として、柔術家やレスラーのYouTubeを見てみる。映像上では簡単にデブを止められそうだ。だが、実際にやってみないと分からない。
 ポパイに実験台になってもらいたいが、最近は、いつも野菜を食べている。真剣な時に会いたくはない。他の人だと、体格的に練習にならない。
 瞑想でもしているかのように、自分の体力ゲージがゼロになるまで、ただひたすらに、打って打って撃ちまくる。頭の中が空になった時、俺の頭に、あの日の出来事が思い浮かんだ。
 格闘家になりたいという夢をもつきっかけとなった、大鳥ケンジのことだ。ケンジは身長差があったが、打撃を掻い潜り、あっさりと俺を仕留めた。あの技術があれば、俺も、相撲取りごときは瞬殺できる。まずはあの人に会うんだ。なんでこんなに重要なことを忘れていたんだ。
 思いつけば、行動は早い。『iP TOKYO』で話を聞けば、ケンジに辿り着くことができるはずだ。
 だが、その前に、俺はあっさりと、ケンジの情報を手に入れることができた。場所は、ネットのWikipediaでだ。169cm73kg45歳。ハツジは驚いた。現役を引退していてすらあれだけ強かったのに、一度もチャンピオンになったことがない、と書いてある。
 それでもケンジさんは、俺に、世界チャンピオンになれると言ってくれた。ということは、おそらく俺は、あの人に教わりさえすれば、あの人の思い描いている強い俺にたどり着くことができるはずだ。
 偶然にも、彼が開いている道場が新宿にある。未来を切り開く道はあった。ただ、検索ワードに気づかなかっただけだった。
 善は急げだ。俺は『iP TOKYO』を通り過ぎ、すぐに、道場に向かって歩いていった。
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