第19話 虹インマヌエル教会

文字数 1,680文字

 小さな教会は住宅街の中にある。前の道路には、すでに100人以上のホームレスが集合している。だが、教会は一軒家程度の大きさだ。とても入りきらない。結果、外でみんなが密集状態だ。コロナを気にしていそうな人はいない。マスクをしているので問題ないのだろう。それと、集まっているみんなは静かにしている。シモダの話によると、ここは住宅街なので、騒音を起こさないように気をつけているのだそうだ。
 ボランティアをしてくれる社会人の迷惑になるな、というルールか。ハツジは、ホームレスもやはり大人なんだな、と感心した。自分の学校の友達が同じ立場だったら、調子に乗る姿が容易に浮かぶ。
 しばらくすると、普通の格好のおじさんおばさんが出てきた。ボランティアのようだ。みんなに聖書と讃美歌の紙を渡してくれる。懐かしい。教会は3ヶ月ぶりだ。
 俺は、おばあちゃんが死にそうな時に、何度も祈りにいった。だが、結局は死んだ。以降、祈っても無駄だということを知り、一度も教会に行っていない。だが、新宿に来てから、姦淫と暴力を働いてしまったことが気になっている。そして、それを快楽に感じてしまった。背中に十字架がのしかかっている。懺悔室があるなら跪きたいくらいだ。
 一関にいた時は、ただ、めんどくさいとしか思っていなかった礼拝。だが、今は、全てを神に祈って浄化させたい。自分のせいではないと責任転嫁したい。
 炊き出しに集まってきた人は、200名を越えている。欲しい人に聖書と讃美歌の紙が行き渡った頃、教会から、またも、普通の格好のおばさんが出てきた。他の人の対応を見ていると牧師さんのようだ。祭服は着ていない。おばさんは、一段高い箱に登った。集まった人たちを見回し、そして、柔和な顔で説法を始めた。韓国人だと聞いたが、流暢な日本語で説法をする。
「この時間がめんどくせーんだよな」シモダが呟く。
 だが、俺は毎週、教会に通っていたのだ。美辞麗句。綺麗事の羅列。日常が戻ってきたようで気持ちいい。コロナ禍なので、声に出して歌うことはできなかったが、自分が讃美歌を暗唱できることに小さな誇りを感じた。
 30分の説法の後、ホームレスたちはゾロゾロと一列に並ぶ。早く並ぶ人もノロノロと並ぶ人も様々だ。今では200人くらいの列になっている。シモダは、どこから列が作られるかを知っていたようだ。30番目くらいの位置で食事の番が来た。腹が減ってるら。俺はお腹をさすった。
 若い女性ボランティアの前だけが、やけに列が伸びている。俺に食事をくれるのは、パーマのおばさんだ。良い笑顔をしている。他人のために生きている人の顔は、どこか清々しい。白米の入った紙の深皿に、スープをかけて、キムチを乗せてくれた。
「お兄さんは大きいから大盛りだね。熱心に祈ってくれてありがとね」
 俺が祈っている姿を見てくれていたんだ! さらに、ゆで卵と、お土産用のパンを袋に入れてくれた。信じられない。俺は、自分がキリスト教徒でよかった、と思った。
 シモダはベテランだけあって、知り合いが多そうだ。みんなに話しかけては笑っている。
「どうだ? 一緒に食事するか?」誘ってくれたが、俺は断った。
 誘われたことは嬉しいが、今まで、こんなにも知らない人たちと話し続けたことがない。役所と人に疲れている。
 それに、シモダのいる輪の中に2人、気に喰わない人がいた。教会のスタッフがいなくなった所で、「ありがたかない。俺たちは、奴らにボランティアさせてやってんだ」とか、「頭下げられてさぞかし良い気分だろうな」とか言っている奴らだ。これ以上聞いていたら、きっと殴ってしまう。
「そっか」シモダは残念そうに言った。
「散歩してない時は、大体、新宿駅の高架下にいる。何か不安があったら、いつでも頼ってこいよ」
「ありがとうございます」この人がいなかったら食事にありつけなかった。俺は丁寧に頭を下げた。シモダは、底抜けに明るく笑い、再び、ホームレスの輪の中に消えていく。
俺は、並々と注がれたスープをこぼさないよう、慎重に新宿三丁目の道を歩いていった。もう、時間は16時だ。
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