一刀両断(11)

文字数 3,156文字

「……すまん。迷惑をかけちまった」
 スーツ姿の俺は、オヤジを前にして謝罪の言葉を口にした。
 世界で一番謝りたくない相手に頭を下げなくてはいけないのは、本当に嫌なものである……。
「……」
 オヤジは黙して、無表情で俺を見据えているだけだ。
「怒らないんだな?」
 沈黙に耐えかね俺が訊くと、ようやっとオヤジは口を開く。
「……怒らないと思っているのか?」
「思っちゃいない」
「そうだ。俺は怒っている。俺がもっとも忌み嫌う水商売の、しかも昔からヤクザどもがやるような商売を始めやがって。怒らないわけがない」
「……」
 いつもなら、「そんなの俺の自由だろ」と反論したはずで、俺の意見の方に正当性があると思う。しかし今は、そのせいでオヤジまで巻き込んでしまっている。黙ってオヤジの意見を受け入れるしかない。
「だが……お前に対する以上に、これだけのことをしでかしてくれた相手に怒っている。メディアの連中が意味もなく火のないところに煙を立たせるわけがない。お前と敵対するヤツが仕掛けてきたんだろう。織葉家に対する侮辱(ぶじょく)に他ならない。話して聞かせろ」
 オヤジは、バッシングが仕掛けられたものだということまでは察しているようだ。そこまでは、事業家として当然の理解だろう。
 ありのままの状況を、俺はオヤジに話して聞かせた。こうなった以上、正確に伝える義務が俺にはある。
 俺の説明を、オヤジは黙って聞いていた。
 一通り聞き終えると、オヤジは素っ気なく言う。
「そのタレントを譲り渡せ。それで解決するんだろ?」
「それはできない」
「……なぜ?」
「俺が最初の事業を始めるキッカケになってくれた子だ。彼女の意志を、可能な限り尊重してやりたい。その子は、これからも俺とやりたいと言ってくれている」
「……恋愛関係にあるのか?」
 予想外のオヤジの言葉に、俺は愕然とする。
「バカな。オヤジがそんなことを言うとは思わなかったぞ。俺が公私混同などしないことくらい、いちいち説明しなきゃわからないのか?」
 オヤジは俺の能力をまったく買っていない。だが一方で、俺がメチャクチャなことをやるような、成金まがいの人間ではないことも知っているはずだ。
 近年は(はす)()な成金ばかりに脚光が集まるが、古くからの、本当の日本の富豪層は、質実剛健を美徳として慎ましく生きている。織葉家とてそれは例外ではない。幼いころから俺も富豪層に取り囲まれながら、謙虚に身を自制するすべを、有形無形の形で自然に覚えてきた。
 芸能プロダクション経営と聞けば、一見、派手な生活を追い求めているように聞こえる。だがしかし、俺の考え方はひとつも変わっちゃいない。華やかな舞台を求めて業界に足を踏み入れたわけじゃなく、日毬との信頼関係のなかで、この業界に関わるのが自然な流れだったのだ。
 しかしオヤジは訝しげに俺を見やってくる。
「本当に、そうか?」
「噓を並べてなんのメリットがあるんだ。与太話でオヤジを煙に巻けるなんざ思っちゃいないよ」
 オヤジは席を立ち、机に置いてあった週刊誌を取り上げた。
 それを、バサリとテーブルに投げやってくる。
 週刊ネクスト――明日発売の、週刊誌の早刷りだ。
 オヤジが早々と未発売の雑誌を手にしているのは驚くにはあたらない。うちは昔から、大半のメディア媒体を世間より早く手に入れることができる。まだ発売されてもいない週刊誌や書籍が家にあるのは珍しい光景ではなかった。なぜなら日本の出版物の多くに、東王印刷が製本作業で関わっているからだ。好むと好まざるとにかかわらず、出版物を日本で一番最初に手にするのはオヤジなのだ。
 もちろんそれがインサイダーに抵触したりすることもない。いかなる有名媒体をいち早く入手して隅から隅まで目を通そうとも、実のところ大した情報なぞ、端っからどこにも書いてないからだ。
「週刊ネクストがどうしたってんだ?」
「いいから見てみろ」
 オヤジはアゴで週刊ネクストを指し示し、手に取るように促してきた。
 表紙には、さまざまな見出しが掲載されている。左端に、「噂の東王印刷の長男、神楽日毬との熱愛発覚!?」の文字を見つけ、俺は身体が崩れ落ちそうな感覚に襲われた。
 急いで俺は雑誌を取り上げ、ページをめくっていく。
 記事は、まさにタイトル通りの酷いシロモノだった。言い訳するのもバカらしいほど、完全な捏造記事である。
「こんなものはデマだ……」
 ポツリと俺は言った。
「だろうよ。それでもお前の落ち度であることに、寸分の違いもない」
 オヤジの言葉が、俺の脇腹をボディーブローのように捕らえた。
 いちおうオヤジは、俺が三面記事のような色恋沙汰のスキャンダルに身を落とすようなことはないと理解はしていたようだ。しかし、この記事を知っていたから、俺にあえて恋愛関係などとバカげたことを指摘してきたのだろう。
「うちの社員がこの原稿を俺まで持って来たから、昨日のうちにこの記事を知った。もちろんすぐに週刊ネクストの版元――購論社(こうろんしゃ)の社長に文句をつけた。しかしメディアからのバッシングに囲まれている以上、あまり強硬に言うわけにもいかない。会社としての問題ではなく、個人的な因縁にすぎないからだ。それに、購論社は大手だ。あまり強く出て、京版(けいはん)印刷に乗り換えられるわけにもいかん」
「東王印刷には影響ありそうか?」
 肝心なことを俺は確認した。
「影響があるようなら、俺もこんなヤワな対応はしていない。お前の名前に被せられただけで、東王印刷自体は無関係なことだ」
「そうか……」
 それなら多少は気が紛れる。可能な限り関わり合いになりたくないオヤジに、俺の負担を背負わせるようなことはゴメンだった。
「だが、お前個人として民事訴訟(そしょう)の準備くらいはしておくことだ。判決が出るころには、どうせ一般人は忘れ去ってることだがな」
 そう言ってオヤジは鼻を鳴らし、他人事のように続ける。
「明日の発売後、芸能記者どもに囲まれるかもしれんぞ。いいか、うちの名前は極力出すな。もしも出さざるを得ない場合は、『東王印刷とは無関係』だと強調しろ。場合によっては、織葉家からは縁を切られていると言ってもいい」
「ふふ、事実だからな。とっくに絶縁されて無関係だと主張しよう。その方が、こっちも気分がスッキリする」
「……そうだな。マスコミの方はともかく、肝心の敵対相手の方はどうするつもりだ?」
「なるようになるだろ」
 俺は感情的になっていた。
「ふん。なんなら、俺が某所に電話の一本でもしてやろうか? アステッドなぞ知らないが、それで解決するだろうよ。……だが、相応の金を積む必要はあるがな。最低でも一億からの現生を用意しろ。お前にそれが出せるのか?」
 オヤジが嘲笑しているように俺は感じた。俺はオヤジにさまざまな感情が渦巻いているせいだろう、どうしてもオヤジのやることなすことに向かっ腹が立つ。
「断る。たかだかこんな程度のことで、俺はオヤジを頼らない」
「だが、盛大に迷惑はかけてくれたわけだ。威勢だけは一人前だな」
 感情が爆発しそうになるのを、俺は腹に力を込めて抑え込んだ。ここは俺が悪い。オヤジもそれがわかっているから、こういう言い回しをしてくるのだ。
 これ以上の会話を交わしても、お互いに得るものはない。俺は席を立つ。
「これ、もらっていいか?」
 そう訊きつつも、すでに俺は雑誌を手にしていた。
「いらん。持っていけ」
 吐き捨てるようにオヤジは口にした。
 別れの言葉はお互いに一言もなかった。雑誌を摑みあげた俺は、スタスタと部屋を後にした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

神楽日毬(かぐらひまり)

日本の未来を憂う女子高生。雨の日も風の日も、たゆまぬ努力を重ねて政治活動に励んでいる。

織葉颯斗(おりばはやと)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。営業先に向かう途中、街頭演説の最中だった日毬と出会うことになる。

健城由佳里(けんじょうゆかり)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。新人として織葉颯斗の営業に研修のため同行していたとき、演説中だった日毬に出会う。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み