アステッドプロ(2)
文字数 2,487文字
「えいッ! やーッ! やーーッ!」
日毬の気合が響き渡る。
その手には真剣だ。鈍く銀色に輝く日本刀の刃は、やはり持つべき者が持つと、犯し難い重みがあるように感じられる。
剣道の稽古着を着用し、真白いハチマキを額にまき、日毬は演舞を行っている。
その足捌きには微塵も迷いなく、実に見事なものだった。
「えいッ! やーーーッ!」
ここは日毬の自宅道場。
日毬が手にする日本刀はもちろん本物で、都教育委員会から登録証を交付されているそうだ。この家には、古くから引き継がれてきた刀が少なくないらしい。撮影用に持ち出してきたのは神楽家にある最上級の刀で、かつて徳川将軍家から賜 った業物 だと日毬は言っていた。
壁ぎわにはテレビカメラと、番組制作スタッフが所狭しと居並んでいた。俺もそのなかに交じり、日毬が舞う様子を眺めている。
旭日テレビのゴールデンタイムに放送されるバラエティで日毬の特集が組まれることになり、今日はその撮影なのだ。
日毬の掛け声が響くなか、隣のディレクターが俺に顔を寄せてささやく。
「いやぁ、素晴らしい絵になりますよこれは〜。こんなに美しい武人は見たことがない。何より演舞がマジものです。とても一朝一夕にできるものじゃありませんよ」
「それはどうも」
どう応じるべきかわからず、当たり障りない答えを返した。
「それにしても、織葉さんのところは良いタレントさんをお持ちだ。真剣を振るう極右の少女――うーん、実に良い。ただの右翼や過激団体なら何の絵にもなりませんが……まだ一六歳で、超がつくほどの美貌の持ち主で、グラビアアイドルな極右ですよ。こいつは本当にすごい運命の巡り合わせだ。この子はきっと、すごいことになりますよ」
「神楽の言動はいささか激しいですが……流せますか、おたくで」
半信半疑で俺は訊いた。旭日テレビが、過激派も啞然とするような日毬の素の言葉を、本当に流せるのかどうか不安だったのだ。
ディレクターは飽き飽きしたように応じる。
「そりゃ上はスポンサーとの兼ね合いがあるからいろいろ言うでしょうがね、私には関係ない。面白ければいいんです。私が興味のあるのは視聴率だ。右とか左なんて些細 なことで、視聴者が興味をひくものこそがテレビの正義ですよ。テレビが正しいとか正しくないとか、そんな話すらナンセンス。問題は、多くの視聴者様が見てくれるかどうかです」
「最近じゃ、テレビが噓八百だと怒りをぶつける意見も台頭してますからね」
「まったくバカげてる。噓八百ならどうしたというんです? うちらに文句を言う前に、何百、何千万人の視聴者様に文句を言うべきですね。私らは視聴率から、視聴者様が望むものを判断してるだけなんで。テレビ番組も、視聴者様と同じレベルに落ち着くってことですよ」
ディレクターが言う「視聴者様」という言葉には、シニカルな響きがあった。
俺は腕を組んで応じる。
「しかしここのところ、テレビは連戦連敗です。メディアに関わる者として、テレビがもっとしゃきっとしてくれないと困るところです」
「ええ、テレビが隆盛した時代に世の中が戻ることは、もう二度とないでしょう。しかし探せば、テレビだからこそ映えるような、こういう絵に出会うことができるということです。考えてみてください、彼女ほど興味をかき立てるネタなんて、一年に一度出会えればいいほどのレベルですよ。こいつは化ける」
感心した眼差しで日毬を見やっていたディレクターは、ふと俺に視線を向ける。
「そう言えば彼女、まだ無名だった頃にACのCMに抜擢 されてましたね。どうやったんです?」
「少し前まで蒼通にいまして。在籍していた事業部が、餞別としてひとつだけ仕事をくれたってわけです。それがAC。小さな案件ですけど、それなりに助かりました」
「蒼通! 織葉社長、蒼通だったんですか! これまたどうして!」
ディレクターはありありと驚嘆の表情を浮かべた。他人事ではないといった様子である。大手キー局と蒼通は、それはもう深い深い関係なのだ。
俺は肩をすくめる。
「いろいろありましてね。ノーコメントということで」
「極右の政治系アイドルに、蒼通を辞めてプロダクションを始めた社長。いやいや、こいつは面白い。どうです、社長の特集もセットで?」
「ちょっと待って下さいよ。くれぐれも、ぼくの方に話をもっていかないで下さい。いいですか、くれぐれもですよ」
慌てて俺は声を荒らげた。
「あはは、冗談ですって。社長くらいのネタならありふれてますから」
おどけた口調でディレクターは言ったが、どこまで冗談かは怪しいところだ。多少は注意しておくべきことかもしれない。
日毬の演舞を眺めやりながら俺は確認する。
「ところで、この映像はいつ放送されますか?」
「早ければ今週中には編集して流しちゃいますよ。……ところでTBMさんの『オールスターニッポン』でも、彼女の剣道の練習風景を流すって話しておられましたよね……? あっちは、いつの予定ですか?」
「さあ……。撮影は終わってますから明後日か明明後日 あたりに流れてもおかしくはありませんが……」
本当は明後日だと予定を聞いていたが、他社の日程までベラベラとリークするわけにもいかない。別に俺はTBMが嫌いなわけでもないし、旭日テレビに恩があるわけでもない。
ディレクターは腕を組み、ブツブツと独り言のように口にする。
「そいつはまずいな……。うん、今日帰ってすぐ編集しますんで、明後日にはなんとか押し込みたいですね」
もし放送日が重なるなら、日毬のインパクトが大きくなりメリットが大きい。ありがたいことだ。
「でも、こうして真剣まで持ち出させたのは御社だけですよ。神楽があっさり真剣をOKしてくれるとは思わなかったですが」
「そうなんですけどねー。どうせなら一番早いことに越したことはないんで」
そんな打ち合わせをしながら、俺たちは日毬が道場で舞う様子を見守った。
日毬の気合が響き渡る。
その手には真剣だ。鈍く銀色に輝く日本刀の刃は、やはり持つべき者が持つと、犯し難い重みがあるように感じられる。
剣道の稽古着を着用し、真白いハチマキを額にまき、日毬は演舞を行っている。
その足捌きには微塵も迷いなく、実に見事なものだった。
「えいッ! やーーーッ!」
ここは日毬の自宅道場。
日毬が手にする日本刀はもちろん本物で、都教育委員会から登録証を交付されているそうだ。この家には、古くから引き継がれてきた刀が少なくないらしい。撮影用に持ち出してきたのは神楽家にある最上級の刀で、かつて徳川将軍家から
壁ぎわにはテレビカメラと、番組制作スタッフが所狭しと居並んでいた。俺もそのなかに交じり、日毬が舞う様子を眺めている。
旭日テレビのゴールデンタイムに放送されるバラエティで日毬の特集が組まれることになり、今日はその撮影なのだ。
日毬の掛け声が響くなか、隣のディレクターが俺に顔を寄せてささやく。
「いやぁ、素晴らしい絵になりますよこれは〜。こんなに美しい武人は見たことがない。何より演舞がマジものです。とても一朝一夕にできるものじゃありませんよ」
「それはどうも」
どう応じるべきかわからず、当たり障りない答えを返した。
「それにしても、織葉さんのところは良いタレントさんをお持ちだ。真剣を振るう極右の少女――うーん、実に良い。ただの右翼や過激団体なら何の絵にもなりませんが……まだ一六歳で、超がつくほどの美貌の持ち主で、グラビアアイドルな極右ですよ。こいつは本当にすごい運命の巡り合わせだ。この子はきっと、すごいことになりますよ」
「神楽の言動はいささか激しいですが……流せますか、おたくで」
半信半疑で俺は訊いた。旭日テレビが、過激派も啞然とするような日毬の素の言葉を、本当に流せるのかどうか不安だったのだ。
ディレクターは飽き飽きしたように応じる。
「そりゃ上はスポンサーとの兼ね合いがあるからいろいろ言うでしょうがね、私には関係ない。面白ければいいんです。私が興味のあるのは視聴率だ。右とか左なんて
「最近じゃ、テレビが噓八百だと怒りをぶつける意見も台頭してますからね」
「まったくバカげてる。噓八百ならどうしたというんです? うちらに文句を言う前に、何百、何千万人の視聴者様に文句を言うべきですね。私らは視聴率から、視聴者様が望むものを判断してるだけなんで。テレビ番組も、視聴者様と同じレベルに落ち着くってことですよ」
ディレクターが言う「視聴者様」という言葉には、シニカルな響きがあった。
俺は腕を組んで応じる。
「しかしここのところ、テレビは連戦連敗です。メディアに関わる者として、テレビがもっとしゃきっとしてくれないと困るところです」
「ええ、テレビが隆盛した時代に世の中が戻ることは、もう二度とないでしょう。しかし探せば、テレビだからこそ映えるような、こういう絵に出会うことができるということです。考えてみてください、彼女ほど興味をかき立てるネタなんて、一年に一度出会えればいいほどのレベルですよ。こいつは化ける」
感心した眼差しで日毬を見やっていたディレクターは、ふと俺に視線を向ける。
「そう言えば彼女、まだ無名だった頃にACのCMに
「少し前まで蒼通にいまして。在籍していた事業部が、餞別としてひとつだけ仕事をくれたってわけです。それがAC。小さな案件ですけど、それなりに助かりました」
「蒼通! 織葉社長、蒼通だったんですか! これまたどうして!」
ディレクターはありありと驚嘆の表情を浮かべた。他人事ではないといった様子である。大手キー局と蒼通は、それはもう深い深い関係なのだ。
俺は肩をすくめる。
「いろいろありましてね。ノーコメントということで」
「極右の政治系アイドルに、蒼通を辞めてプロダクションを始めた社長。いやいや、こいつは面白い。どうです、社長の特集もセットで?」
「ちょっと待って下さいよ。くれぐれも、ぼくの方に話をもっていかないで下さい。いいですか、くれぐれもですよ」
慌てて俺は声を荒らげた。
「あはは、冗談ですって。社長くらいのネタならありふれてますから」
おどけた口調でディレクターは言ったが、どこまで冗談かは怪しいところだ。多少は注意しておくべきことかもしれない。
日毬の演舞を眺めやりながら俺は確認する。
「ところで、この映像はいつ放送されますか?」
「早ければ今週中には編集して流しちゃいますよ。……ところでTBMさんの『オールスターニッポン』でも、彼女の剣道の練習風景を流すって話しておられましたよね……? あっちは、いつの予定ですか?」
「さあ……。撮影は終わってますから明後日か
本当は明後日だと予定を聞いていたが、他社の日程までベラベラとリークするわけにもいかない。別に俺はTBMが嫌いなわけでもないし、旭日テレビに恩があるわけでもない。
ディレクターは腕を組み、ブツブツと独り言のように口にする。
「そいつはまずいな……。うん、今日帰ってすぐ編集しますんで、明後日にはなんとか押し込みたいですね」
もし放送日が重なるなら、日毬のインパクトが大きくなりメリットが大きい。ありがたいことだ。
「でも、こうして真剣まで持ち出させたのは御社だけですよ。神楽があっさり真剣をOKしてくれるとは思わなかったですが」
「そうなんですけどねー。どうせなら一番早いことに越したことはないんで」
そんな打ち合わせをしながら、俺たちは日毬が道場で舞う様子を見守った。
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