アステッドプロ(13)
文字数 2,144文字
俺は不安に駆られ、日毬のレギュラー出演が確定していた『学校DAISUKI!』の制作プロダクションを訪ねていた。取材が減ったとしても、テレビのレギュラー番組さえ確保できれば何とでもなってくれるはずだ。
応対してくれたプロデューサーに俺は菓子折を手渡し、挨拶を交わして会議室で向き合った。
「わざわざ出向いて頂いてすみません。ちょうど連絡しようと思ってたんですよ」
プロデューサーはそう言って、頭を下げてくる。
「実は、神楽さんの出演時期をもう少し延ばして欲しいんですね」
「延ばして欲しいとは……?」
予感的中だ。俺は話を急がせた。
「すぐに出てもらう予定だったんですけど、いろいろ立て込んじゃいまして……ひとまず未定にしておいて頂きたいんですよ」
「それは……どうしてでしょう?」
「いずれは出演してもらおうと計画していますけどね、今すぐは難しいなぁ」
プロデューサーは、俺の質問には答えなかった。
やはり何かが動いている。芸能界でここまで力を発揮できる組織はあまり多くない。俺たちに関わりがあるのは、やはりアステッドプロだ。
念のためのことを考え、俺は奥の手を用意してきていた。非常手段だったが、ここは使うしかなさそうだ。
何気なさを装い、俺はスーツから封筒を取り出す。
「どうか神楽のレギュラー出演の話を継続して頂くわけにはいかないでしょうか……? お願いします」
封筒をテーブルに置いた俺は、プロデューサーの方に押しやった。
プロデューサーは封筒に手を伸ばし、中を確認して一瞬躊躇 する表情を見せた。
中身は一〇〇万円だ。今のひまりプロダクションには手痛い出費だが、このレギュラーは確保しなくてはならない。プロデューサー個人が手に入れる裏金として考えれば、かなり大きな臨時収入には間違いないはずだ。
プロデューサーはしばし思案する表情になり、封筒を懐にしまいかけた。しかし、ハタと動きを止め、眉をひそめて中空に視線を向けた。
そして残念そうに首をふり、テーブルの上に封筒を置き、俺の方へと差し戻してくる。
「これは受け取らないでおきます。申し訳ないが、このくらいのお札じゃ割に合わないのでね」
「そうですか……」
仕方なく俺は封筒を取り上げ、懐にしまい込んだ。
「織葉社長、その代わりといっては何だがお話ししましょう。ここだけの話にして下さいよ。いいですか?」
「ええ、お願いします」
「おたく、アステッドと揉めてるようですね」
「……当方にはトラブルを抱えたつもりはなかったんですが、向こうさんが色々あるようです」
「そこまでわかってるなら、理由は理解してるんじゃないですか?」
含みを持たせた言い回し。察しろということだろう。
「なるほど……。やはりそうですか」
「そうです」
ふいにプロデューサーは、興味津々な様子になって訊いてくる。
「いったい、何があったんです?」
「うちの神楽を譲り渡せと言ってきたんですよ」
俺は肩をすくめて応じた。
「どんな条件で?」
「まぁ……移籍に一億少々」
「一億! いい条件じゃないですか。確かに、神楽さんはかなりのものですよ、いろいろと。しかしねぇ……さすがはアステッドといったところでしょうか。私なら飛びつきますが。それ、吞まなかったんですか?」
「ええ」
俺はうなずいた。
「向こうも本気の金額提示ですね。アステッドを怒らせたのに、構わず業界を泳ぎ回ると……マジでそのうち沈みますよ。今ならまだ間に合うかもしれません。ここはアステッドに詫びを入れて、話を進めてみたらどうです?」
プロデューサーは善意でアドバイスしているつもりだろう。
しかし俺には吞むつもりなど毛頭なかった。すでに日毬と話し合ったことだ。
それから俺はプロデューサーから、アステッド絡みのさまざまなゴシップを聞かされた。どのタレントが仙石社長の愛人だっただの、どのタレントが広域暴力団組長の娘だの、どのタレントが仙石社長の怒りに触れて業界を追放されただの、アステッド所属のタレントと大手テレビ局の編成局長が情交を結んで仕事を確保しているだの……真偽が定かではない話ばかりである。業界の渦中にいるプロデューサーだけに、挙がってくる名前は具体的だ。しかし内容がどうにも週刊誌レベルだから、どこまで話に信を置けばいいのかわからない。いかにも芸能界らしい有耶無耶 なネタが多かった。
そんなゴシップを聞かされただけで、何の成果もなく、俺はとぼとぼと制作会社を後にした。
一夜明けたら、まともな仕事は、ほぼ壊滅してしまったようだった。
仕事だけでなく、取材の方も、テレビや大手新聞が終息。週刊誌やネット系で日毬の話が継続している程度だが、これでは早々に話題が途切れ、一般大衆の会話に上ることはなくなっていくだろう。それこそまさに瞬間的な「時の人」で終了だ。
潮流 に乗りかけたと思った直後の、この痛烈な打撃には心底参った。
アステッドのことは、噂の範囲内では知っていたつもりだ。しかし、その怖さを初めて知った。
事務所へ戻る道すがら、芸能界のメチャクチャっぷりを俺は初めて肌で感じていた。
応対してくれたプロデューサーに俺は菓子折を手渡し、挨拶を交わして会議室で向き合った。
「わざわざ出向いて頂いてすみません。ちょうど連絡しようと思ってたんですよ」
プロデューサーはそう言って、頭を下げてくる。
「実は、神楽さんの出演時期をもう少し延ばして欲しいんですね」
「延ばして欲しいとは……?」
予感的中だ。俺は話を急がせた。
「すぐに出てもらう予定だったんですけど、いろいろ立て込んじゃいまして……ひとまず未定にしておいて頂きたいんですよ」
「それは……どうしてでしょう?」
「いずれは出演してもらおうと計画していますけどね、今すぐは難しいなぁ」
プロデューサーは、俺の質問には答えなかった。
やはり何かが動いている。芸能界でここまで力を発揮できる組織はあまり多くない。俺たちに関わりがあるのは、やはりアステッドプロだ。
念のためのことを考え、俺は奥の手を用意してきていた。非常手段だったが、ここは使うしかなさそうだ。
何気なさを装い、俺はスーツから封筒を取り出す。
「どうか神楽のレギュラー出演の話を継続して頂くわけにはいかないでしょうか……? お願いします」
封筒をテーブルに置いた俺は、プロデューサーの方に押しやった。
プロデューサーは封筒に手を伸ばし、中を確認して
中身は一〇〇万円だ。今のひまりプロダクションには手痛い出費だが、このレギュラーは確保しなくてはならない。プロデューサー個人が手に入れる裏金として考えれば、かなり大きな臨時収入には間違いないはずだ。
プロデューサーはしばし思案する表情になり、封筒を懐にしまいかけた。しかし、ハタと動きを止め、眉をひそめて中空に視線を向けた。
そして残念そうに首をふり、テーブルの上に封筒を置き、俺の方へと差し戻してくる。
「これは受け取らないでおきます。申し訳ないが、このくらいのお札じゃ割に合わないのでね」
「そうですか……」
仕方なく俺は封筒を取り上げ、懐にしまい込んだ。
「織葉社長、その代わりといっては何だがお話ししましょう。ここだけの話にして下さいよ。いいですか?」
「ええ、お願いします」
「おたく、アステッドと揉めてるようですね」
「……当方にはトラブルを抱えたつもりはなかったんですが、向こうさんが色々あるようです」
「そこまでわかってるなら、理由は理解してるんじゃないですか?」
含みを持たせた言い回し。察しろということだろう。
「なるほど……。やはりそうですか」
「そうです」
ふいにプロデューサーは、興味津々な様子になって訊いてくる。
「いったい、何があったんです?」
「うちの神楽を譲り渡せと言ってきたんですよ」
俺は肩をすくめて応じた。
「どんな条件で?」
「まぁ……移籍に一億少々」
「一億! いい条件じゃないですか。確かに、神楽さんはかなりのものですよ、いろいろと。しかしねぇ……さすがはアステッドといったところでしょうか。私なら飛びつきますが。それ、吞まなかったんですか?」
「ええ」
俺はうなずいた。
「向こうも本気の金額提示ですね。アステッドを怒らせたのに、構わず業界を泳ぎ回ると……マジでそのうち沈みますよ。今ならまだ間に合うかもしれません。ここはアステッドに詫びを入れて、話を進めてみたらどうです?」
プロデューサーは善意でアドバイスしているつもりだろう。
しかし俺には吞むつもりなど毛頭なかった。すでに日毬と話し合ったことだ。
それから俺はプロデューサーから、アステッド絡みのさまざまなゴシップを聞かされた。どのタレントが仙石社長の愛人だっただの、どのタレントが広域暴力団組長の娘だの、どのタレントが仙石社長の怒りに触れて業界を追放されただの、アステッド所属のタレントと大手テレビ局の編成局長が情交を結んで仕事を確保しているだの……真偽が定かではない話ばかりである。業界の渦中にいるプロデューサーだけに、挙がってくる名前は具体的だ。しかし内容がどうにも週刊誌レベルだから、どこまで話に信を置けばいいのかわからない。いかにも芸能界らしい
そんなゴシップを聞かされただけで、何の成果もなく、俺はとぼとぼと制作会社を後にした。
一夜明けたら、まともな仕事は、ほぼ壊滅してしまったようだった。
仕事だけでなく、取材の方も、テレビや大手新聞が終息。週刊誌やネット系で日毬の話が継続している程度だが、これでは早々に話題が途切れ、一般大衆の会話に上ることはなくなっていくだろう。それこそまさに瞬間的な「時の人」で終了だ。
アステッドのことは、噂の範囲内では知っていたつもりだ。しかし、その怖さを初めて知った。
事務所へ戻る道すがら、芸能界のメチャクチャっぷりを俺は初めて肌で感じていた。