ひまりプロダクション(2)
文字数 4,495文字
「今はこういう肩書きです。今後ともお付き合い頂ければと……」
親しい付き合いのあった防衛省の広報担当者に、俺は新しい名刺を差し出した。以前すでに退職の挨拶はしていたが、プロダクションとしての顔合わせは初めてである。
まじまじと名刺に視線を落としていた担当者は、驚いたように顔を上げた。
「ひまりプロダクション……蒼通から独立って……まさかのプロダクション? えー? ずいぶん思い切ったねー」
「事業を始めようとは思っていたんですが……手近なところから始めてみようかなと。とくにお金もかからないですし」
今日はポスターの撮影と、広報ビデオの収録日だ。俺は日毬のマネージャーとしてここに臨んでいるのである。なにせ日毬の初仕事だ。そして蒼通からは担当者として由佳里がやってきており、カメラマンと共に日毬を囲んであれこれと指示を出している。
予め用意されていた高校のブレザーを着用し、日毬は撮影に臨んでいた。日毬が通っている高校のものではなく、撮影用に用意した架空の学校の制服だ。美少女が防衛を語るという妙なコンセプトだったため、衣装は高校の制服が選ばれたのである。
俺と広報担当者は、撮影の模様を眺めながら会話していた。
モデルや女優のようにポーズを決めたりする必要はない撮影なので、簡単なものだ。企業や商品を買わせるための広報ではなく、お役所の真面目なポスターである。日毬がすることと言えば、せいぜい腰に両手をあてがったり、カメラに軽く笑顔を向けるだけでいい。
日毬はカメラマンの指定通りにきちんと身体を動かしていた。ぎこちないのは、慣れていないからだろう。
ただひとつ問題は、日毬はなかなかニコリとしなかったことだった。ひたすら真面目な顔でカメラを睨んでいるので、ムスッとして見える。日毬は懸命に仕事に集中しているつもりなのだろうが、もう少しいろんな表情を見せてほしい。
「少し笑って」
シャッターを連続できりつつ、カメラマンは言った。
日毬は顔を歪め、笑おうと試みたようだ。しかし真剣になろうとすればするほど日毬の眉間 は険しくなり、逆に怒っているようにさえ見えた。
「日毬ちゃん、笑って」
今度はカメラマンの横にいた由佳里が声をかけた。
指定のポーズを守りつつ日毬は何度か瞬 きし、大きく息をはき出した。そして熱心にカメラを見据えて口元を動かしたが、目尻はいっそう厳しさを増していた。たぶん微笑もうとしたのだろう。
このままでは良い写真も撮れず、日毬もストレスを溜めるだけだと思ったので、俺は撮影に口をはさむ。
「すみません、ちょっと休憩を入れさせてもらっていいですか?」
「了解です。じゃあ一五分休憩入れましょう」
カメラマンは汗を拭い、うなずいた。撮影スタジオの照明はとても暑い。日毬も大変だろうが、必死で動いて撮影するカメラマンは照明に照らされ汗だくになるのである。
俺は日毬の傍へ行き、手を取って引っ張った。
「颯斗、どこへ行くんだ?」
「屋上でも行こう。コーヒー飲もうか」
スタジオを出て、エレベータ横に設置してある自販機で俺はコーヒーを二缶買った。そのままエレベータに乗り込み、日毬と共に屋上へと上がった。
撮影スタジオの屋上から眺める景色はビルに囲まれ、殺風景なものだった。見えるのは隣のビルのコンクリートばかり。
俺は缶を日毬に差し出す。
「ほら、コーヒー」
「ありがとう」
「見てて思うよ。日毬は本当に一生懸命にやってるな。カメラマンのポーズの指定にも誠実に応えてる。初めて撮影やってみた感想はどうだ?」
コーヒーを口にしながら、それとなく俺は訊いてみた。
「最初にカメラを向けられた時は、やっぱり緊張した。でも、すぐに慣れたと思う。……街頭演説もそうなんだ。毎日、最初はとても緊張する。逃げ出したくなる日もあったんだ。でもそこでグッと耐え忍んで、頑張ってしゃべり出すと、いつの間にか緊張は和らいでくれる。撮影も、やってみればおんなじだった」
「そうか。街頭演説も無駄じゃなかったということだな。これから日毬を売り出すために、色んな場所で、色んな服を着て撮影をやってもらうことになるけど、大丈夫そうだな?」
「きっと大丈夫だと思う。颯斗も傍にいてくれるなら……」
日毬は小さくつぶやいた。
俺は、日毬は街頭活動が好きなのだろうと安易に考えていた。だがそれはまったく違っていたらしい。日毬が演説を続けるのを苦しく思っていたなんて、まったく思っていなかったのだ。
思い返せば日毬は、「拡さんが一緒だったから辛いことも乗り越えてこれた」と言っていた。愛用の拡声器をパートナーに見立て、自らを奮い立たせる力に変えていたのだろう。その役目を、今度は俺に求めているのだ。ならば、俺はその役目を果たしてやらねばならない。
「撮影だって肩肘張らずに、もっと自然体でいいんだぞ。カメラに対して軽く微笑む程度でいい。真面目に笑顔を作ろうとすると、どうしても緊張しちゃうからな」
「あんまり経験ないんだ。いつも真剣に生きようと心していたから……」
微笑むのに経験とか、そういう問題なのだろうか。
さらに俺は突っ込んでみる。
「近所の弁当屋でバイトしてたんだろう? そのとき、お客さんに笑顔で対応したりしなかったのか?」
「最初は売り子を任されたんだけど……接客は向いていないって言われて、料理や仕出しを担当するようになったんだ。その時は、どうして売り子に向いていないのかわからなかったが、たぶん私は、自然体というのができないのだろうな……」
そうか……二四時間いつでも命懸け。それが日毬の生き方なのだ。常時緊張に身を固めているのなら、自然体も何もない。
この子にもっと息を抜いてもらい、普通の女の子がするような自然な表情を引き出すには、どうすればいいだろうか。
「日毬、どこか行ってみたいところとか、あるか?」
「……行ってみたいところ? どうしたんだ急に」
「連れて行ってやろうと思ってさ。仕事のご褒美にな」
「颯斗が、私と一緒に行ってくれるのか?」
「もちろん。俺たちはパートナーだからな」
日毬は相好 を崩 し、表情はパッと輝いた。期待に胸を膨らませるように、俺を見上げている。
そう、欲しかったのはこういう表情だ。
「ならば、京都に行きたい」
「京都か。ずいぶん渋い選択だ。日帰りじゃ無理そうだな」
「一度、京都御所を訪問するべきだと思っていたのだ。五四〇年もの間、朝廷が存在した場所だ。今でこそ旧江戸城をご使用になられていらっしゃるが、臣民として一度は足を運ぶべき場所だろう。颯斗と一緒に行ってみたいんだ」
俺は頭を抱えた。
日本国民として皇室を敬うことは大切に違いないが、あくまでそれは自然体で受け入れておけばいいことだ。日常生活において最優先し、積極的に日々の行動を規定していくべきものでもない。
それを日毬に説いても議論は堂々巡りになると思えたので、今度は俺から指定してみることにした。
「京都にはいずれ訪問してみよう。でもさ、泊まりがけの旅行になっちまうから、今すぐってわけにはいかない。だからまずは一緒に映画でも見に行って、その帰りに公園で散歩したり、食事を食べたりして丸一日ゆっくり過ごすってのはどうだ? 新宿とか渋谷とか、銀座や丸の内でもいい」
「……映、画?」
日毬は息を吞んだ。完全に不意をつかれたようだった。
「真っ暗い館内で、大画面を通して映像を見るところだ」
「そのくらい知ってる。でも、何しに行くんだ……?」
「そりゃ一緒に映画を見に行って一日過ごすって言えば、もちろんデートだろ。申し込んじゃいけないか?」
「……」
目を見開いた日毬は、肩を緊張させ、大きく息を吸いこんだ。
「そんなに格式張る必要はないんだぞ。たまには気楽に過ごしてみようぜって提案さ」
「……」
日毬は視線も動かさず、まじまじと俺を見上げていた。意表をつかれて凝固したようだ。
「俺とじゃ……嫌か?」
日毬は言葉で応えなかったが、代わりにフルフルと首を振った。
「じゃあ決まりだ。今は創業したばかりでバタバタしてるから、今月末の日曜に一緒に行こう。日毬のスケジュール、予約したからな」
コクリ、と日毬はうなずいた。
そして視線を落とし、はにかんだ。こういう自然な笑顔ができるなら、撮影はきっと上手くいくはずだ。日毬にとって、デートの申込は初めてのことなのだろう。
「日毬、今みたいな表情はすごくいい。カメラの前で微笑むってのは、そういう自然な笑顔が一番だぞ。撮影の間中、他の楽しいことを考えてりゃいいんだ」
視線を上げた日毬は、小さくうなずいた。
「こんな美少女とデートできるなんて、物凄く俺はラッキーだ。日毬と並んで歩いてたら、男たちの嫉妬 を買いまくるのは間違いないな」
俺がホッとしたのも束の間、ふいに日毬の表情が曇る。
「……で、でもやっぱり、私は行けない……。颯斗がそう言ってくれるのはとても嬉しいけど……やっぱり……」
「どうして?」
日毬は視線をそらす。
「私は、ダメなんだ……」
「ダメなんてダメだ。もう予約は終わってるんだからな。この予約は、キャンセルは不可能なんだぞ」
強い調子で俺は言った。
それでも日毬は躊躇 する。
「でも……」
「まさか日毬ともあろう者が、今したばかりの約束を破るのか?」
日毬は哀しげな視線を俺に向ける。
「私……あんまり洋服、持っていないんだ。ほとんど制服しか着ていなかったし、あとは稽古着とか……そんなの、考えたことなかったから……」
日毬の悩みが微笑ましい理由だったので、俺は心底ホッとした。
「そんなことだったか。じゃあ一緒に買いに行こう」
「一緒にデートする男の人と、その日に着ていく服を選ぶなんて……考えれば考えるほど情けなくなる……。私は本当にどうしようもないのだな……精進しなくてはならない……」
日毬の悩みがいっそう深まり始めたため、俺は慌てて方向を変える。
「そうだ、由佳里に付き合ってもらったらどうだ? 次の日曜は由佳里と服を買いに行って、今月末は俺と映画だ。それならいいだろう?」
日毬は視線を上げた。
わずかに逡巡した様子を見せつつも、日毬は言う。
「由佳里が付き合ってくれるなら……」
「よし。決まりだ。今度こそ、予約に変更なしだぞ」
「……うん」
日毬は視線をそらし、喜びと戸惑いが入り混じったような表情をした。
「撮影のときは、今みたいに楽しいことを考えてりゃいい。日毬は真面目すぎて、気難しく考えすぎなんだ。もっと軽い気持ちでいいんだぞ」
「……わかった」
「そろそろ休憩時間も終わりだ。行こうか」
腕時計に視線を落とした俺は、日毬を促した。
「颯斗……。私、うんと頑張るから……だから傍についていてくれ……」
日毬は顔を伏せつつ、切々とそう口にした。
親しい付き合いのあった防衛省の広報担当者に、俺は新しい名刺を差し出した。以前すでに退職の挨拶はしていたが、プロダクションとしての顔合わせは初めてである。
まじまじと名刺に視線を落としていた担当者は、驚いたように顔を上げた。
「ひまりプロダクション……蒼通から独立って……まさかのプロダクション? えー? ずいぶん思い切ったねー」
「事業を始めようとは思っていたんですが……手近なところから始めてみようかなと。とくにお金もかからないですし」
今日はポスターの撮影と、広報ビデオの収録日だ。俺は日毬のマネージャーとしてここに臨んでいるのである。なにせ日毬の初仕事だ。そして蒼通からは担当者として由佳里がやってきており、カメラマンと共に日毬を囲んであれこれと指示を出している。
予め用意されていた高校のブレザーを着用し、日毬は撮影に臨んでいた。日毬が通っている高校のものではなく、撮影用に用意した架空の学校の制服だ。美少女が防衛を語るという妙なコンセプトだったため、衣装は高校の制服が選ばれたのである。
俺と広報担当者は、撮影の模様を眺めながら会話していた。
モデルや女優のようにポーズを決めたりする必要はない撮影なので、簡単なものだ。企業や商品を買わせるための広報ではなく、お役所の真面目なポスターである。日毬がすることと言えば、せいぜい腰に両手をあてがったり、カメラに軽く笑顔を向けるだけでいい。
日毬はカメラマンの指定通りにきちんと身体を動かしていた。ぎこちないのは、慣れていないからだろう。
ただひとつ問題は、日毬はなかなかニコリとしなかったことだった。ひたすら真面目な顔でカメラを睨んでいるので、ムスッとして見える。日毬は懸命に仕事に集中しているつもりなのだろうが、もう少しいろんな表情を見せてほしい。
「少し笑って」
シャッターを連続できりつつ、カメラマンは言った。
日毬は顔を歪め、笑おうと試みたようだ。しかし真剣になろうとすればするほど日毬の
「日毬ちゃん、笑って」
今度はカメラマンの横にいた由佳里が声をかけた。
指定のポーズを守りつつ日毬は何度か
このままでは良い写真も撮れず、日毬もストレスを溜めるだけだと思ったので、俺は撮影に口をはさむ。
「すみません、ちょっと休憩を入れさせてもらっていいですか?」
「了解です。じゃあ一五分休憩入れましょう」
カメラマンは汗を拭い、うなずいた。撮影スタジオの照明はとても暑い。日毬も大変だろうが、必死で動いて撮影するカメラマンは照明に照らされ汗だくになるのである。
俺は日毬の傍へ行き、手を取って引っ張った。
「颯斗、どこへ行くんだ?」
「屋上でも行こう。コーヒー飲もうか」
スタジオを出て、エレベータ横に設置してある自販機で俺はコーヒーを二缶買った。そのままエレベータに乗り込み、日毬と共に屋上へと上がった。
撮影スタジオの屋上から眺める景色はビルに囲まれ、殺風景なものだった。見えるのは隣のビルのコンクリートばかり。
俺は缶を日毬に差し出す。
「ほら、コーヒー」
「ありがとう」
「見てて思うよ。日毬は本当に一生懸命にやってるな。カメラマンのポーズの指定にも誠実に応えてる。初めて撮影やってみた感想はどうだ?」
コーヒーを口にしながら、それとなく俺は訊いてみた。
「最初にカメラを向けられた時は、やっぱり緊張した。でも、すぐに慣れたと思う。……街頭演説もそうなんだ。毎日、最初はとても緊張する。逃げ出したくなる日もあったんだ。でもそこでグッと耐え忍んで、頑張ってしゃべり出すと、いつの間にか緊張は和らいでくれる。撮影も、やってみればおんなじだった」
「そうか。街頭演説も無駄じゃなかったということだな。これから日毬を売り出すために、色んな場所で、色んな服を着て撮影をやってもらうことになるけど、大丈夫そうだな?」
「きっと大丈夫だと思う。颯斗も傍にいてくれるなら……」
日毬は小さくつぶやいた。
俺は、日毬は街頭活動が好きなのだろうと安易に考えていた。だがそれはまったく違っていたらしい。日毬が演説を続けるのを苦しく思っていたなんて、まったく思っていなかったのだ。
思い返せば日毬は、「拡さんが一緒だったから辛いことも乗り越えてこれた」と言っていた。愛用の拡声器をパートナーに見立て、自らを奮い立たせる力に変えていたのだろう。その役目を、今度は俺に求めているのだ。ならば、俺はその役目を果たしてやらねばならない。
「撮影だって肩肘張らずに、もっと自然体でいいんだぞ。カメラに対して軽く微笑む程度でいい。真面目に笑顔を作ろうとすると、どうしても緊張しちゃうからな」
「あんまり経験ないんだ。いつも真剣に生きようと心していたから……」
微笑むのに経験とか、そういう問題なのだろうか。
さらに俺は突っ込んでみる。
「近所の弁当屋でバイトしてたんだろう? そのとき、お客さんに笑顔で対応したりしなかったのか?」
「最初は売り子を任されたんだけど……接客は向いていないって言われて、料理や仕出しを担当するようになったんだ。その時は、どうして売り子に向いていないのかわからなかったが、たぶん私は、自然体というのができないのだろうな……」
そうか……二四時間いつでも命懸け。それが日毬の生き方なのだ。常時緊張に身を固めているのなら、自然体も何もない。
この子にもっと息を抜いてもらい、普通の女の子がするような自然な表情を引き出すには、どうすればいいだろうか。
「日毬、どこか行ってみたいところとか、あるか?」
「……行ってみたいところ? どうしたんだ急に」
「連れて行ってやろうと思ってさ。仕事のご褒美にな」
「颯斗が、私と一緒に行ってくれるのか?」
「もちろん。俺たちはパートナーだからな」
日毬は
そう、欲しかったのはこういう表情だ。
「ならば、京都に行きたい」
「京都か。ずいぶん渋い選択だ。日帰りじゃ無理そうだな」
「一度、京都御所を訪問するべきだと思っていたのだ。五四〇年もの間、朝廷が存在した場所だ。今でこそ旧江戸城をご使用になられていらっしゃるが、臣民として一度は足を運ぶべき場所だろう。颯斗と一緒に行ってみたいんだ」
俺は頭を抱えた。
日本国民として皇室を敬うことは大切に違いないが、あくまでそれは自然体で受け入れておけばいいことだ。日常生活において最優先し、積極的に日々の行動を規定していくべきものでもない。
それを日毬に説いても議論は堂々巡りになると思えたので、今度は俺から指定してみることにした。
「京都にはいずれ訪問してみよう。でもさ、泊まりがけの旅行になっちまうから、今すぐってわけにはいかない。だからまずは一緒に映画でも見に行って、その帰りに公園で散歩したり、食事を食べたりして丸一日ゆっくり過ごすってのはどうだ? 新宿とか渋谷とか、銀座や丸の内でもいい」
「……映、画?」
日毬は息を吞んだ。完全に不意をつかれたようだった。
「真っ暗い館内で、大画面を通して映像を見るところだ」
「そのくらい知ってる。でも、何しに行くんだ……?」
「そりゃ一緒に映画を見に行って一日過ごすって言えば、もちろんデートだろ。申し込んじゃいけないか?」
「……」
目を見開いた日毬は、肩を緊張させ、大きく息を吸いこんだ。
「そんなに格式張る必要はないんだぞ。たまには気楽に過ごしてみようぜって提案さ」
「……」
日毬は視線も動かさず、まじまじと俺を見上げていた。意表をつかれて凝固したようだ。
「俺とじゃ……嫌か?」
日毬は言葉で応えなかったが、代わりにフルフルと首を振った。
「じゃあ決まりだ。今は創業したばかりでバタバタしてるから、今月末の日曜に一緒に行こう。日毬のスケジュール、予約したからな」
コクリ、と日毬はうなずいた。
そして視線を落とし、はにかんだ。こういう自然な笑顔ができるなら、撮影はきっと上手くいくはずだ。日毬にとって、デートの申込は初めてのことなのだろう。
「日毬、今みたいな表情はすごくいい。カメラの前で微笑むってのは、そういう自然な笑顔が一番だぞ。撮影の間中、他の楽しいことを考えてりゃいいんだ」
視線を上げた日毬は、小さくうなずいた。
「こんな美少女とデートできるなんて、物凄く俺はラッキーだ。日毬と並んで歩いてたら、男たちの
俺がホッとしたのも束の間、ふいに日毬の表情が曇る。
「……で、でもやっぱり、私は行けない……。颯斗がそう言ってくれるのはとても嬉しいけど……やっぱり……」
「どうして?」
日毬は視線をそらす。
「私は、ダメなんだ……」
「ダメなんてダメだ。もう予約は終わってるんだからな。この予約は、キャンセルは不可能なんだぞ」
強い調子で俺は言った。
それでも日毬は
「でも……」
「まさか日毬ともあろう者が、今したばかりの約束を破るのか?」
日毬は哀しげな視線を俺に向ける。
「私……あんまり洋服、持っていないんだ。ほとんど制服しか着ていなかったし、あとは稽古着とか……そんなの、考えたことなかったから……」
日毬の悩みが微笑ましい理由だったので、俺は心底ホッとした。
「そんなことだったか。じゃあ一緒に買いに行こう」
「一緒にデートする男の人と、その日に着ていく服を選ぶなんて……考えれば考えるほど情けなくなる……。私は本当にどうしようもないのだな……精進しなくてはならない……」
日毬の悩みがいっそう深まり始めたため、俺は慌てて方向を変える。
「そうだ、由佳里に付き合ってもらったらどうだ? 次の日曜は由佳里と服を買いに行って、今月末は俺と映画だ。それならいいだろう?」
日毬は視線を上げた。
わずかに逡巡した様子を見せつつも、日毬は言う。
「由佳里が付き合ってくれるなら……」
「よし。決まりだ。今度こそ、予約に変更なしだぞ」
「……うん」
日毬は視線をそらし、喜びと戸惑いが入り混じったような表情をした。
「撮影のときは、今みたいに楽しいことを考えてりゃいい。日毬は真面目すぎて、気難しく考えすぎなんだ。もっと軽い気持ちでいいんだぞ」
「……わかった」
「そろそろ休憩時間も終わりだ。行こうか」
腕時計に視線を落とした俺は、日毬を促した。
「颯斗……。私、うんと頑張るから……だから傍についていてくれ……」
日毬は顔を伏せつつ、切々とそう口にした。
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