ひまりプロダクション(13)
文字数 3,427文字
ビルの最上階から、都内を一望できるフレンチレストラン。
日毬はすっかり緊張もほぐれてくれたようだった。今しがたの映画での謎設定の話題も尽きたころ――。
ふと日毬は視線を落とす。
「颯斗は慣れているんだな……」
「慣れるって、何に?」
「デートとか……」
「慣れてるってほどじゃないけど……人並みにじゃないか。付き合ってた子も何人かいたよ。続いてないけどさ」
俺の言葉に、日毬はハッと顔を上げた。
「そのうちの一人が、由佳里とかなのか……?」
「違う違う。由佳里は蒼通時代の部下で、初めて会ったのは由佳里が入社してきてからだよ。陽気で勝ち気なヤツでさ、今じゃ一番仲のいい友達だ。付き合ってなんかいない」
「そうか……! 由佳里みたいなカッコいいヤツには、私なんかじゃ勝てないと思ってたから……よかった……」
「カッコいいか? 初めて聞いた意見だな」
意外な感想だ。俺から見た由佳里は、少し油断をするといつの間にか懐 に飛び込まれているような、誰とでも打ち解ける下町っぽい愛嬌のある子といったイメージだった。
日毬は言う。
「いろんなことを知ってるし、何だって自然に堂々とやれてしまう。服を買うときに由佳里に案内してもらいながら、羨ましいなって……思った」
なるほど、日毬にとっては、由佳里が知っていることは何もかもが新鮮に見えるのだろう。
「日毬なんて、もっと堂々としたものだと思うけどな。一人で街頭演説しようなんて度胸は、普通の人間じゃ持てない。俺も由佳里も、最初に日毬に出会ったときは度肝を抜かれたんだぞ」
「私は怖いことばかりだ。一生懸命に自分の気持ちを奮い立たせないと勇気が持てない……」
弱々しく日毬は言った。
「日毬はまだ一六歳じゃないか。あんなんでも由佳里は二三歳だからな。そりゃ由佳里の方がいろいろ経験してるのは当然なんだし、比べちゃいけない」
「……付き合ってた他の女の子とは、どうして続かなかったんだ?」
「学生時代は学校が終わるとバイト三昧 でさ、あんまり続かなかった」
「どんなバイトに熱心だったんだ?」
「聞いても、あんまり楽しい話じゃないぞ」
「……颯斗のことをもっと知りたいんだ。どんな小さなことでもいい」
「特定のバイトに一生懸命だったわけじゃないな。とにかく種類をこなしてた。定番の家庭教師とか、予備校教師もやった。ファミレスでウェイターもしたし、テレアポや営業のバイトまでやった。ああそれから、工事現場の派遣や、駅の掃除とか、肉体労働系もいろいろな。大抵の仕事は経験してきたと思う。一番多い日で、一日に三つもバイトが入ってて、もうわけがわからなくなってたな。だから大抵の仕事はそれほど苦にならない。蒼通時代は、こんなに楽に稼げていいのかと驚いたものだよ」
「貧乏……だったのか?」
申し訳なさそうな表情を浮かべ、日毬は言った。俺の家のことを日毬は知らない。知っているのは、俺が蒼通社員だったということだけだ。
「あはは、そうでもない。俺個人は貧乏だったけど、俺の家は裕福な方だった。うちの教育方針だったのさ。現場で、お金をもらいながらあらゆる仕事を経験できるなら、こんなに有り難いことはないってな」
俺は荘厳 に口調を変えて続ける。
「企業経営の第一歩は、現場の苦労を共に分かち合うことから始まる――常々、俺のオヤジが言っていたことだ。オヤジは長らく企業人なんだが、日本的経営の信奉者でさ、松下幸之助 とか本田宗一郎 とか、あの辺りの流れを汲んでいる。自らに厳しいが、身内にも厳しい」
「素晴らしい家じゃないか。だから颯斗は、こんなに立派で優秀な男なのだな」
日毬は真顔だった。こんな風に面と向かってストレートに褒められると、逆に困ってしまう。
「だが俺は、オヤジのことが好きじゃない。オヤジと俺はいつも対立ばかりしていた。思い返せば苛立たしいことばかりだ。そうだな……俺の子供時代をたとえると……ラスボスがいつも傍にいる生活を送ってきたと言えるかもしれない。オヤジは俺を息子として扱わなかったと思うし、俺もオヤジを父親として見ていなかった。もうさ、徹頭徹尾、ウマが合わないんだな」
「そうだったのか……知らないこととは言え、適当な感想を言ってしまった。颯斗の気持ちも考えず、申し訳ない」
「そんな畏まらないでくれ。過ぎ去った昔のことだ。俺は家を出て、ほとんど縁が切れたような状態なんだ。最後にオヤジに会った時、『覚えてやがれー』ってな感じの捨てゼリフを吐いてきたよ。まるで映画に出てくるような、負けフラグ確定の小悪党のようなセリフだったと今では情けない。でも俺は本当に、自分のプライドにかけて、オヤジに勝たなくてはならないんだ」
「そんな颯斗に、私はプロダクションを始めさせてしまったのか……。颯斗のことも考えず、私は自分自身のことしか見えていなかったのだな……」
俺は首をふる。
「それは違うぞ。俺は決めたんだ。言ったろう――『俺は日毬に乗ることに決めた』って。俺は俺の目的のために、日毬に乗ったんだ。これは俺の戦いでもある。俺には金も力もなかったから、いざ事業を始めようと思っても、何も決めることができなかった。そんなとき、日毬という逸材がこの手に転がり込んできた――今ではそう思ってる」
「……私は、颯斗の人生も背負っているのだな」
ポツリと、だが決意に満ちた調子で日毬は言った。
「そんな大層に構えてもらう必要はないぞ。日毬は何でも背負い込みすぎる。もっと気楽に考えていいんだ。俺と日毬の最終目標は違うかもしれないが、そこに至るまでの道中は一致してるってことだけわかってればいいさ」
それから俺は初めて、東王印刷のことや、家の事情を日毬に話して聞かせた。俺は家を追い出されたようなもので、独力で仕事を創り上げなくてはいけないことも、包み隠さず、すべてをだ。
日毬はしきりに感心し、真剣に俺の話に聞き入っていた。
ひとしきり話し終え、今度は逆に俺が訊いてみる。
「日毬のことも聞かせてくれ。そもそも日毬は、どうして右翼活動家になったんだ?」
「知っての通り、私の家は日本と共にある。これからもそうだ。私こそが真の右翼たるべき存在だと自負している」
キリリと背筋を伸ばした日毬は、胸を張って言った。
「そりゃ日毬の家を見ればわかるよ。武家が成立する以前から続く家系だし、古くは朝廷から仕事を拝命するような家だったんだろう?」
「そうだ。もちろん今でもそれは変わらない。私は天皇陛下の忠実なる臣民である。ならばこそ、私は日本のために躊躇 せずこの身を捧げるのだ」
「右翼なのはいいよ。つまりさ、活動家になった理由が知りたいってことだ。日毬の家には御真影があったり日の丸が飾ってあったりするし、お母さんもお姉さんもナチュラルに民族主義的だけど、別に活動家ってわけじゃなさそうだ。日毬だけ突出してる」
「神楽家の基準においては、私はもう成人している。自分の道は自分で決める。姉上は剣を究める道を選んだし、私は日本を変える道を選んだ。それだけのことだ」
「どうしてその道を選んだんだ?」
さらに突っ込んで訊くと、日毬は不思議そうに俺を見やってくる。
「……颯斗は、日本が変わるべきだと思わないのか? 現在の窮状 を考えれば考えるほど……私の心は震えてくる。日本は今、重要な分岐点に立っているんだ」
「大局的な視野に立てばそうだろうな。だが身近なこととして実感できるかとなれば、難しいところだ」
「私がボランティア団体に所属していることは話しただろう。活動の中心は、身寄りのない子供たちのために、勉強を教えたり一緒に遊んであげたりすることだ。私は小学校五年生のころから団体に所属しているから、もう六年も支援活動を続けている。入った当時は、私が最年少のボランティア団体員だった」
「そんなに前から続けてたのか……」
「子供たちからは『ブス』とか『デブ』とばかり言われ続けてきた……。素直な子供たちの言葉だったから、そうなんだと思っていた……」
つぶやくように口にして、日毬は顔を曇らせた。
つい俺は吐き捨てる。
「いけ好かないガキどもだ。どこに目ついてんだよ。まぁ、子供だからな」
「あまり
日毬はすっかり緊張もほぐれてくれたようだった。今しがたの映画での謎設定の話題も尽きたころ――。
ふと日毬は視線を落とす。
「颯斗は慣れているんだな……」
「慣れるって、何に?」
「デートとか……」
「慣れてるってほどじゃないけど……人並みにじゃないか。付き合ってた子も何人かいたよ。続いてないけどさ」
俺の言葉に、日毬はハッと顔を上げた。
「そのうちの一人が、由佳里とかなのか……?」
「違う違う。由佳里は蒼通時代の部下で、初めて会ったのは由佳里が入社してきてからだよ。陽気で勝ち気なヤツでさ、今じゃ一番仲のいい友達だ。付き合ってなんかいない」
「そうか……! 由佳里みたいなカッコいいヤツには、私なんかじゃ勝てないと思ってたから……よかった……」
「カッコいいか? 初めて聞いた意見だな」
意外な感想だ。俺から見た由佳里は、少し油断をするといつの間にか
日毬は言う。
「いろんなことを知ってるし、何だって自然に堂々とやれてしまう。服を買うときに由佳里に案内してもらいながら、羨ましいなって……思った」
なるほど、日毬にとっては、由佳里が知っていることは何もかもが新鮮に見えるのだろう。
「日毬なんて、もっと堂々としたものだと思うけどな。一人で街頭演説しようなんて度胸は、普通の人間じゃ持てない。俺も由佳里も、最初に日毬に出会ったときは度肝を抜かれたんだぞ」
「私は怖いことばかりだ。一生懸命に自分の気持ちを奮い立たせないと勇気が持てない……」
弱々しく日毬は言った。
「日毬はまだ一六歳じゃないか。あんなんでも由佳里は二三歳だからな。そりゃ由佳里の方がいろいろ経験してるのは当然なんだし、比べちゃいけない」
「……付き合ってた他の女の子とは、どうして続かなかったんだ?」
「学生時代は学校が終わるとバイト
「どんなバイトに熱心だったんだ?」
「聞いても、あんまり楽しい話じゃないぞ」
「……颯斗のことをもっと知りたいんだ。どんな小さなことでもいい」
「特定のバイトに一生懸命だったわけじゃないな。とにかく種類をこなしてた。定番の家庭教師とか、予備校教師もやった。ファミレスでウェイターもしたし、テレアポや営業のバイトまでやった。ああそれから、工事現場の派遣や、駅の掃除とか、肉体労働系もいろいろな。大抵の仕事は経験してきたと思う。一番多い日で、一日に三つもバイトが入ってて、もうわけがわからなくなってたな。だから大抵の仕事はそれほど苦にならない。蒼通時代は、こんなに楽に稼げていいのかと驚いたものだよ」
「貧乏……だったのか?」
申し訳なさそうな表情を浮かべ、日毬は言った。俺の家のことを日毬は知らない。知っているのは、俺が蒼通社員だったということだけだ。
「あはは、そうでもない。俺個人は貧乏だったけど、俺の家は裕福な方だった。うちの教育方針だったのさ。現場で、お金をもらいながらあらゆる仕事を経験できるなら、こんなに有り難いことはないってな」
俺は
「企業経営の第一歩は、現場の苦労を共に分かち合うことから始まる――常々、俺のオヤジが言っていたことだ。オヤジは長らく企業人なんだが、日本的経営の信奉者でさ、
「素晴らしい家じゃないか。だから颯斗は、こんなに立派で優秀な男なのだな」
日毬は真顔だった。こんな風に面と向かってストレートに褒められると、逆に困ってしまう。
「だが俺は、オヤジのことが好きじゃない。オヤジと俺はいつも対立ばかりしていた。思い返せば苛立たしいことばかりだ。そうだな……俺の子供時代をたとえると……ラスボスがいつも傍にいる生活を送ってきたと言えるかもしれない。オヤジは俺を息子として扱わなかったと思うし、俺もオヤジを父親として見ていなかった。もうさ、徹頭徹尾、ウマが合わないんだな」
「そうだったのか……知らないこととは言え、適当な感想を言ってしまった。颯斗の気持ちも考えず、申し訳ない」
「そんな畏まらないでくれ。過ぎ去った昔のことだ。俺は家を出て、ほとんど縁が切れたような状態なんだ。最後にオヤジに会った時、『覚えてやがれー』ってな感じの捨てゼリフを吐いてきたよ。まるで映画に出てくるような、負けフラグ確定の小悪党のようなセリフだったと今では情けない。でも俺は本当に、自分のプライドにかけて、オヤジに勝たなくてはならないんだ」
「そんな颯斗に、私はプロダクションを始めさせてしまったのか……。颯斗のことも考えず、私は自分自身のことしか見えていなかったのだな……」
俺は首をふる。
「それは違うぞ。俺は決めたんだ。言ったろう――『俺は日毬に乗ることに決めた』って。俺は俺の目的のために、日毬に乗ったんだ。これは俺の戦いでもある。俺には金も力もなかったから、いざ事業を始めようと思っても、何も決めることができなかった。そんなとき、日毬という逸材がこの手に転がり込んできた――今ではそう思ってる」
「……私は、颯斗の人生も背負っているのだな」
ポツリと、だが決意に満ちた調子で日毬は言った。
「そんな大層に構えてもらう必要はないぞ。日毬は何でも背負い込みすぎる。もっと気楽に考えていいんだ。俺と日毬の最終目標は違うかもしれないが、そこに至るまでの道中は一致してるってことだけわかってればいいさ」
それから俺は初めて、東王印刷のことや、家の事情を日毬に話して聞かせた。俺は家を追い出されたようなもので、独力で仕事を創り上げなくてはいけないことも、包み隠さず、すべてをだ。
日毬はしきりに感心し、真剣に俺の話に聞き入っていた。
ひとしきり話し終え、今度は逆に俺が訊いてみる。
「日毬のことも聞かせてくれ。そもそも日毬は、どうして右翼活動家になったんだ?」
「知っての通り、私の家は日本と共にある。これからもそうだ。私こそが真の右翼たるべき存在だと自負している」
キリリと背筋を伸ばした日毬は、胸を張って言った。
「そりゃ日毬の家を見ればわかるよ。武家が成立する以前から続く家系だし、古くは朝廷から仕事を拝命するような家だったんだろう?」
「そうだ。もちろん今でもそれは変わらない。私は天皇陛下の忠実なる臣民である。ならばこそ、私は日本のために
「右翼なのはいいよ。つまりさ、活動家になった理由が知りたいってことだ。日毬の家には御真影があったり日の丸が飾ってあったりするし、お母さんもお姉さんもナチュラルに民族主義的だけど、別に活動家ってわけじゃなさそうだ。日毬だけ突出してる」
「神楽家の基準においては、私はもう成人している。自分の道は自分で決める。姉上は剣を究める道を選んだし、私は日本を変える道を選んだ。それだけのことだ」
「どうしてその道を選んだんだ?」
さらに突っ込んで訊くと、日毬は不思議そうに俺を見やってくる。
「……颯斗は、日本が変わるべきだと思わないのか? 現在の
「大局的な視野に立てばそうだろうな。だが身近なこととして実感できるかとなれば、難しいところだ」
「私がボランティア団体に所属していることは話しただろう。活動の中心は、身寄りのない子供たちのために、勉強を教えたり一緒に遊んであげたりすることだ。私は小学校五年生のころから団体に所属しているから、もう六年も支援活動を続けている。入った当時は、私が最年少のボランティア団体員だった」
「そんなに前から続けてたのか……」
「子供たちからは『ブス』とか『デブ』とばかり言われ続けてきた……。素直な子供たちの言葉だったから、そうなんだと思っていた……」
つぶやくように口にして、日毬は顔を曇らせた。
つい俺は吐き捨てる。
「いけ好かないガキどもだ。どこに目ついてんだよ。まぁ、子供だからな」
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