国家と共に(7)
文字数 2,420文字
アイドル雑誌から連絡があり、新人アイドルを紹介していく企画で日毬を掲載してもらえることになった。こういう雑誌はあまり売れていないものだが、そのなかでは最も老舗のアイドル紹介雑誌であるらしい。
注目を浴び始めた新人アイドルを紹介していくコーナーで、本人の写真と一緒に、そのアイドルが筆で書いた習字を掲載していくそうである。一見、習字を掲載と聞くと意味不明だが、タレントが抱負を大書することで、その子の意欲を読者に知ってもらうという定期連載コーナーだった。
雑誌を買ってきてコーナーをチェックしてみれば、各アイドルの写真の横に、習字が大きく掲載されている。みんな下手 クソな習字だが、女の子っぽい文字で「みんなに会いたい」「売れますように」「心を込めて」などなど各人各様さまざまなことが書いてある。そのアイドルの特徴が巧く出ていて興味深い。こうして見れば、なるほど、味のある紹介コーナーである。
雑誌社からの取材という形であるため、もちろんノーギャラだ。そして写真と習字をこちらで用意し、雑誌社に郵送してやらなくてはならない。
写真はカメラマンに撮影してもらったものが多々あるから、あとは日毬に習字を書いてもらえばいいだけだ。俺は近場の文房具屋で習字道具一式を買い揃え、事務所にやってきた日毬に取材内容を説明した。
すると日毬は呆れて言う。
「習字道具をわざわざ買ったのか? うちには代々伝わる道具があるから、新しいものなど必要なかったのだ。もったいない」
「そうだったのか……。今どき、習字道具を揃えてある家なんてあまりないからさ。確認すれば良かったな。まぁいいや。とにかく、明日には雑誌社に送るから、今日書いていってくれ。自分の抱負を書くんだ」
「了解した。私は自信があるぞ」
日毬は新品の硯 に墨汁 を注ぎ、用意した高級和紙に文鎮 を乗せ、颯爽 と筆を取り上げた。
少しも戸惑うことなく書の準備を整えた日毬を見て、俺は感心する。
「へえ、手慣れたもんだ」
日毬が今にも和紙に筆を入れようとした瞬間――。
ふと俺はブログの一件を思い出し、慌てて押し止める。
「ま、待て。待ってくれ」
「何事だ? 集中を要するのだぞ?」
眉をひそめて日毬は顔を上げた。
「抱負、きちんと考えてからでなくていいのか? 何て書こうとしてた?」
「私の心は決まっている。『国家と共に』だ。今の私の精神を体現する、もっとも相応しい抱負であると言えるだろう。多くの人に、この気持ちを伝えたい」
「……」
俺は頭を抱えた。
お前は明治時代の志士かー、とツッコミを入れたくなったが、日毬は真剣そのものなのだ。しかし、『国家と共に』はいかにも不自然すぎる。あんまり深いことを考えていない他のアイドルたちの習字に『国家と共に』が混じっていたら、奇異の目で見られるだけだ。
腕を組んで押し黙る俺を、日毬は不審そうに見やってくる。
「颯斗、どうしたんだ?」
「日毬……悪いけどそれは止めてくれ。もっと一六歳っぽい要素が必要だ。……そうだな……『ひまり、頑張ります。』にしてくれないか」
「なんだそれは? 頑張るなど、当たり前ではないか。空気のようなことをわざわざ書く必要などない」
日毬は呆れ果てたようだった。
「この雑誌の読者は面食らってしまうだけだ。ここは『ひまり、頑張ります。』にしてくれ。お願いだ」
「しかしだぞ――」
日毬が異議を差し挟もうとするのを、素早く俺は制する。
「頼む。ここはそうしてくれないと困るんだ」
言葉で説明しても、日毬の理解を得るのは難しそうだった。ここは切々とお願いし、押し切るしかない。
「……」
日毬は不満そうに唇を尖らせたが、やがてため息をついてうなずく。
「……そこまで颯斗が言うのなら仕方がないな……。『日毬、頑張ります』にしておこう」
すかさず俺は補足する。
「日毬の文字は平仮名だぞ。それと、最後の丸――句点も忘れないでくれ。『ひまり、頑張ります。』だ」
「注文ばかりだな。……わかった、そうしよう」
文句をいいつつ、日毬は筆を墨汁に浸し直し、再び紙に向き合った。
大きく息をはき、日毬は緊迫した表情になる。そして流れるように筆を入れていった。
日毬がこの世に産み出していく文字を眺めながら、俺は息を吞んだ。
――う、上手すぎる……。
出来上がった『ひまり、頑張ります。』は、仰天するほどの達筆だった。
絶妙なバランスに磨き上げられた文字は、まさに芸術の領域。パッと見ではバランスに欠いているような雰囲気のある文字は、実のところ細部まで整えられた日本的書道の極地にあると言ってよかった。どこから見ても、一六歳のアイドルが書いているようには思えない。書道の達人に代行させたものだと誰もが勘ぐるだろう。これを編集部に送っても、感心されるどころか、逆に怪しまれるだけだ。
「うむ。いい一筆だった」
筆を置いた日毬は、満足そうに一息ついた。
「なぁ日毬……実に見事な書道なんだが……こうじゃない……。もっと女子高生っぽく、いかにも丸っぽい文字が書けないか?」
「どういう意味だ?」
「これじゃ不自然なんだよ……。あまりにも達筆すぎてさ……」
「不自然? 私は真面目に書いたのだぞ。颯斗は時々おかしいことを言うな」
日毬は困惑した表情を浮かべた。
この問題を日毬と議論してもラチがあきそうになかった。そもそも、書道のクオリティを遥かに落とせという俺の要求の方が奇妙なのだ。一徹な日毬は、どんなに言い聞かせても、俺の憂いを理解することはできないだろう。
「わかった。書道についてはこれでいいや。あとは任せてくれ」
俺は日毬から書を預かり、道具をしまい込んだ。
日毬の書をもう少し女子高生っぽくするために、俺は他の方法を取ることにしたのだった。
注目を浴び始めた新人アイドルを紹介していくコーナーで、本人の写真と一緒に、そのアイドルが筆で書いた習字を掲載していくそうである。一見、習字を掲載と聞くと意味不明だが、タレントが抱負を大書することで、その子の意欲を読者に知ってもらうという定期連載コーナーだった。
雑誌を買ってきてコーナーをチェックしてみれば、各アイドルの写真の横に、習字が大きく掲載されている。みんな
雑誌社からの取材という形であるため、もちろんノーギャラだ。そして写真と習字をこちらで用意し、雑誌社に郵送してやらなくてはならない。
写真はカメラマンに撮影してもらったものが多々あるから、あとは日毬に習字を書いてもらえばいいだけだ。俺は近場の文房具屋で習字道具一式を買い揃え、事務所にやってきた日毬に取材内容を説明した。
すると日毬は呆れて言う。
「習字道具をわざわざ買ったのか? うちには代々伝わる道具があるから、新しいものなど必要なかったのだ。もったいない」
「そうだったのか……。今どき、習字道具を揃えてある家なんてあまりないからさ。確認すれば良かったな。まぁいいや。とにかく、明日には雑誌社に送るから、今日書いていってくれ。自分の抱負を書くんだ」
「了解した。私は自信があるぞ」
日毬は新品の
少しも戸惑うことなく書の準備を整えた日毬を見て、俺は感心する。
「へえ、手慣れたもんだ」
日毬が今にも和紙に筆を入れようとした瞬間――。
ふと俺はブログの一件を思い出し、慌てて押し止める。
「ま、待て。待ってくれ」
「何事だ? 集中を要するのだぞ?」
眉をひそめて日毬は顔を上げた。
「抱負、きちんと考えてからでなくていいのか? 何て書こうとしてた?」
「私の心は決まっている。『国家と共に』だ。今の私の精神を体現する、もっとも相応しい抱負であると言えるだろう。多くの人に、この気持ちを伝えたい」
「……」
俺は頭を抱えた。
お前は明治時代の志士かー、とツッコミを入れたくなったが、日毬は真剣そのものなのだ。しかし、『国家と共に』はいかにも不自然すぎる。あんまり深いことを考えていない他のアイドルたちの習字に『国家と共に』が混じっていたら、奇異の目で見られるだけだ。
腕を組んで押し黙る俺を、日毬は不審そうに見やってくる。
「颯斗、どうしたんだ?」
「日毬……悪いけどそれは止めてくれ。もっと一六歳っぽい要素が必要だ。……そうだな……『ひまり、頑張ります。』にしてくれないか」
「なんだそれは? 頑張るなど、当たり前ではないか。空気のようなことをわざわざ書く必要などない」
日毬は呆れ果てたようだった。
「この雑誌の読者は面食らってしまうだけだ。ここは『ひまり、頑張ります。』にしてくれ。お願いだ」
「しかしだぞ――」
日毬が異議を差し挟もうとするのを、素早く俺は制する。
「頼む。ここはそうしてくれないと困るんだ」
言葉で説明しても、日毬の理解を得るのは難しそうだった。ここは切々とお願いし、押し切るしかない。
「……」
日毬は不満そうに唇を尖らせたが、やがてため息をついてうなずく。
「……そこまで颯斗が言うのなら仕方がないな……。『日毬、頑張ります』にしておこう」
すかさず俺は補足する。
「日毬の文字は平仮名だぞ。それと、最後の丸――句点も忘れないでくれ。『ひまり、頑張ります。』だ」
「注文ばかりだな。……わかった、そうしよう」
文句をいいつつ、日毬は筆を墨汁に浸し直し、再び紙に向き合った。
大きく息をはき、日毬は緊迫した表情になる。そして流れるように筆を入れていった。
日毬がこの世に産み出していく文字を眺めながら、俺は息を吞んだ。
――う、上手すぎる……。
出来上がった『ひまり、頑張ります。』は、仰天するほどの達筆だった。
絶妙なバランスに磨き上げられた文字は、まさに芸術の領域。パッと見ではバランスに欠いているような雰囲気のある文字は、実のところ細部まで整えられた日本的書道の極地にあると言ってよかった。どこから見ても、一六歳のアイドルが書いているようには思えない。書道の達人に代行させたものだと誰もが勘ぐるだろう。これを編集部に送っても、感心されるどころか、逆に怪しまれるだけだ。
「うむ。いい一筆だった」
筆を置いた日毬は、満足そうに一息ついた。
「なぁ日毬……実に見事な書道なんだが……こうじゃない……。もっと女子高生っぽく、いかにも丸っぽい文字が書けないか?」
「どういう意味だ?」
「これじゃ不自然なんだよ……。あまりにも達筆すぎてさ……」
「不自然? 私は真面目に書いたのだぞ。颯斗は時々おかしいことを言うな」
日毬は困惑した表情を浮かべた。
この問題を日毬と議論してもラチがあきそうになかった。そもそも、書道のクオリティを遥かに落とせという俺の要求の方が奇妙なのだ。一徹な日毬は、どんなに言い聞かせても、俺の憂いを理解することはできないだろう。
「わかった。書道についてはこれでいいや。あとは任せてくれ」
俺は日毬から書を預かり、道具をしまい込んだ。
日毬の書をもう少し女子高生っぽくするために、俺は他の方法を取ることにしたのだった。
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