一刀両断(6)
文字数 3,920文字
アステッドプロの社長室で、俺と日毬は先の二人と向かい合っていた。
仙石社長が穏やかに口にする。
「良い話を持ってきてくれたようだな」
「お待ちしてましたよ。わざわざ神楽さんにご来社して頂けるとは。きっとまた交渉を持つことになると思っていました」
狩谷常務にも、先日の豹変した雰囲気はまるでなかった。
「私がお前たちと会うのは二度目だな。颯斗は三度目か。話をつけてしまいたいと思う」
日毬に続き、俺がキッパリと言う。
「単刀直入に申し上げたいと思います。神楽の移籍は検討外です。この答えは変わりません」
「……」
「……」
意外そうに、二人は顔を見合わせた。
すかさず俺は補足する。
「ですが代わりに、我々が業界に慣れるまでご指導して頂く間、一定の料金をお支払いするという案はどうでしょうか? ひまりプロダクションの売上の一割をお支払いするという形を考えています」
「私は反対したのだがな。颯斗がどうしてもお前たちと折り合いたいと言い張るんだ。私も颯斗にはわがままばかり言っているから、今回は颯斗の方針に沿うことにした」
そう言って、日毬は口元を引き結んだ。
「……ふむ」
仙石社長は相づちをうち、狩谷常務は腕を組む。
「うーん……」
しばらく考える風だった仙石社長は、俺と日毬を交互に見やって言う。
「だったら、こういう提案はどうだ? ひまりプロダクションは解散し、織葉社長と神楽さんが揃ってうちに移籍すればいい。今まで通り織葉社長には、神楽さんのマネージャーとして活動してもらおう」
「申し訳ありませんが、社員として御社に入社するつもりは毛頭ありません」
俺は即答した。蒼通からアステッドに転職するようなものだ。ありえない。
「社員というよりもフルコミッションだ。ほとんど自営業と変わらない。織葉社長がプロダクションを経営しているのと同じような形を整えることができるし、さらに神楽さんのPRにかかる費用はすべて会社で負担してやることができる。双方にとってメリットのある提案ではないかね?」
出費をアステッドが負担してくれるなら多少はメリットがあるのだろうが、完全歩合給でアステッドの手足となって働くこともありえない。俺は独力で立ち上がるために蒼通を辞めたのであって、どこかの組織に所属し直すなど選択外である。なにより、日毬の自由度も下がるだろう。
「私としては、プロダクションとしての仕事より、神楽の政治的な理想を優先させてやりたいと考えています。ひまりプロダクションは、ただの芸能事務所ではなく、もっと総合的に所属タレントの理想のために尽力するような立場でいたいのです。神楽の目指すところは、常々本人がメディアの前で主張しているように政治家としての大成であって、その目標のためにこそ我々が存在していると認識しています。ですから、御社に移籍する選択はありえません」
「……ならば、我々からひまりプロダクションへ人を派遣して、さまざまな指導に当たるというのはどうか。織葉社長も業界に慣れていないだろうから、メリットは大きいだろう。……そうだ、まずはここの狩谷を派遣してもいい。業界歴が長いし、さまざまなメディアに顔が利く」
仙石社長はどうしても日毬を取り込みたいようだ。アステッドほどの業界大手が、ここまで日毬に期待を寄せるのは注目すべきことである。
たしかに日毬のような人材は、いくら望んでも得ることなどできないはずだ。どれほど金を注ぎ込んでタレントオーディションを繰り返しても日毬が応募するわけがないし、原宿で何人のスカウトを動かしても捕まえられるものではない。素の日毬の、特殊で特別な性質と行動は、存在するだけで瞠目 される類のものだった。これ以上ないくらいの逸材に化ける可能性を、彼らは感じているのだろう。
「申し訳ありませんが、それを受けることはできそうにありません」
「あれもできない、これもできない。織葉社長には、我々と話をするつもりは端 っからないようだな」
鋭い口調で狩谷常務が口をはさんできた。
俺は切り返す。
「ですから、最初の私の提案ではどうですか? 経営を指導して下さる費用として、当面、売上の一〇%をお支払いしたいと考えているんです」
「金だけで解決をつけたいと言っているようなものだ。そもそも、我々は端金になど困っちゃいない」
狩谷常務は吐き捨てるように言った。
金で日毬をかっさらおうとしていたのはアステッドじゃないかという言葉を、俺はグッと吞み込んだ。ラチの明かない不毛な議論を繰り広げてもメリットはない。
だが、そんな思案を余所に、日毬がテーブルを叩き、俺の考えと同じようなことを言い放つ。
「もともと金をチラつかせて話を進めようとしたのはお前たちだろう! 自分たちの話を棚に上げ、平然と颯斗の言葉だけを追及するような相手のことを、どうして信じられるんだ? 自分たちの都合だけで世の中が回っていると思ったら大間違いだぞ」
正論なためか反論できないようで、狩谷常務はギリと唇をかんだ。
「どうか私の提案で、矛 を収めてもらうことはできないでしょうか。神楽に対するバッシングも止めてやって頂きたい。神楽の人生がかかっています。私個人としてできることなら、可能な限りのことをやらせてもらうつもりです。ですから、どうか……」
俺は頭を下げた。横で日毬がつぶやく声が聞こえる。
「颯斗……」
「……バッシング? そう言えば、神楽さんに対する世間の風向きは怪しくなっているようだ。しかし我々にはサッパリだな」
狩谷常務がわざとらしく肩をすくめた。
日毬は声を荒らげる。
「ふざけるな! おまえら以外で私たちに嫌がらせをする相手が、世界のどこにいると言うんだ!」
「人聞きの悪いことを言わないでもらいたい。どこに証拠があると言うんだ。もっとも、メディアが騒がしいことは、我々なら抑えてやることができるかもしれないが?」
「マッチポンプもここまで来ると滑稽だな。颯斗が頭を下げているのだぞ。おまえらに少しは人情の機微を解する心を期待したが、それは間違いだったようだ。いいか、私がお前たちの下でアイドルを続ける可能性などひとつもない。肝心のそのことを、よくよく心得ておくのだな」
「まだ自分たちの立場がわかっていないのか――」
狩谷常務が話し出そうとするのを、鋭く仙石社長が遮ってくる。
「もういい。帰ってもらえ」
そして仙石社長は日毬を睨みすえ、続ける。
「残念だが、君も必要ない。ここまで君が反発心を隠さないのなら、どだい上手くはいかないからな。しかし、今後もこの業界でやれるなどという妄想は抱かないことだ」
「どういう意味だ?」
「言葉通りの意味だよ。残念だ。君なら、かつてないアイドルとして成功を摑むことができただろうに、自らそのチャンスをフイにするとは……。そこまで愚かだとは想定外だった」
「アイドルなど望んでいない。他人にチヤホヤされて何が楽しいんだ? 私は日本国家の支柱になるため、この命を削る所存である。そのためだけに私は、水着にさえなっているのだ。私個人がどれほどの厄難 を味わおうとも、戦い続ける使命が私にはある。貴様たちとは志が違う」
日毬の話を仙石社長は鼻で笑う。
「ふん。国家のための戦いだかなんだか知らないが、世論からそっぽを向かれたらお終いだろう。我々とここまで敵対しておいて、このままメディアに出続けられるとは思わないことだな」
「私の政治への道を阻むとすれば、お前は日本国家の敵になる。その覚悟はあるのだな?」
「我々と戦うなど、騎馬で風車に突撃するドンキホーテのようなものだ。だが、後悔してももう遅い。予告しておこう。生き地獄を味わうことになるぞ」
売り言葉に買い言葉。しかし日毬も仙石社長も興奮し始め、お互いを罵 る言葉は止まりそうにない。
日毬は胸を張り、尊大に口にする。
「受けて立つ。お前たちのような敵をはねのけることができずして、どうして日本国家の頂点に立つことなどできようか。おまえたちが颯斗を追い落とそうとするならば、私とて容赦はしない。私も予告しておくぞ。真の覚悟の偉大さを、お前は思い知ることになるだろう」
「実に威勢のいいことだ。しかし、無知というものは恐ろしい。自分で自分の身を滅ぼしたがっているのだからな」
「それは私の言葉だ。私を敵に回したことを、お前は激しく悔いるだろう。いいか、私は――」
さらに日毬が声を尖らせようとしたので、俺が割って入る。
「日毬、もうやめるんだ。ここは大人しく引き下がろう。交渉が決裂したということだけわかれば、それでいい」
俺が日毬の肩に手をやって説得すると、日毬の興奮はだいぶ収まってきたようだった。
「颯斗がそう言うのなら……仕方あるまい……」
次に俺は目の前の二人を見やって口にする。
「仙石社長、狩谷常務。良いお話にならなかったのは残念です。うちは小さなプロダクションですが、できましたらどうか、温かく見守ってもらえればと思います」
「小僧。どの口がそれを言うんだ。平穏無事でいられると思ったら大間違いだぞ」
仙石社長に続き、狩谷常務も鋭く言う。
「ふん。とっとと失せろ!」
俺と日毬は黙って席を立ち、社長室を後にした。
狩谷常務が事務員に叫ぶのが聞こえる。
「塩、撒いとけ」
俺たちにわざと聞こえるように言ったのだろう。
交渉は完全に決裂だ。修復も不可能。改めて、これからの方向性を練り直さなくてはならない。
仙石社長が穏やかに口にする。
「良い話を持ってきてくれたようだな」
「お待ちしてましたよ。わざわざ神楽さんにご来社して頂けるとは。きっとまた交渉を持つことになると思っていました」
狩谷常務にも、先日の豹変した雰囲気はまるでなかった。
「私がお前たちと会うのは二度目だな。颯斗は三度目か。話をつけてしまいたいと思う」
日毬に続き、俺がキッパリと言う。
「単刀直入に申し上げたいと思います。神楽の移籍は検討外です。この答えは変わりません」
「……」
「……」
意外そうに、二人は顔を見合わせた。
すかさず俺は補足する。
「ですが代わりに、我々が業界に慣れるまでご指導して頂く間、一定の料金をお支払いするという案はどうでしょうか? ひまりプロダクションの売上の一割をお支払いするという形を考えています」
「私は反対したのだがな。颯斗がどうしてもお前たちと折り合いたいと言い張るんだ。私も颯斗にはわがままばかり言っているから、今回は颯斗の方針に沿うことにした」
そう言って、日毬は口元を引き結んだ。
「……ふむ」
仙石社長は相づちをうち、狩谷常務は腕を組む。
「うーん……」
しばらく考える風だった仙石社長は、俺と日毬を交互に見やって言う。
「だったら、こういう提案はどうだ? ひまりプロダクションは解散し、織葉社長と神楽さんが揃ってうちに移籍すればいい。今まで通り織葉社長には、神楽さんのマネージャーとして活動してもらおう」
「申し訳ありませんが、社員として御社に入社するつもりは毛頭ありません」
俺は即答した。蒼通からアステッドに転職するようなものだ。ありえない。
「社員というよりもフルコミッションだ。ほとんど自営業と変わらない。織葉社長がプロダクションを経営しているのと同じような形を整えることができるし、さらに神楽さんのPRにかかる費用はすべて会社で負担してやることができる。双方にとってメリットのある提案ではないかね?」
出費をアステッドが負担してくれるなら多少はメリットがあるのだろうが、完全歩合給でアステッドの手足となって働くこともありえない。俺は独力で立ち上がるために蒼通を辞めたのであって、どこかの組織に所属し直すなど選択外である。なにより、日毬の自由度も下がるだろう。
「私としては、プロダクションとしての仕事より、神楽の政治的な理想を優先させてやりたいと考えています。ひまりプロダクションは、ただの芸能事務所ではなく、もっと総合的に所属タレントの理想のために尽力するような立場でいたいのです。神楽の目指すところは、常々本人がメディアの前で主張しているように政治家としての大成であって、その目標のためにこそ我々が存在していると認識しています。ですから、御社に移籍する選択はありえません」
「……ならば、我々からひまりプロダクションへ人を派遣して、さまざまな指導に当たるというのはどうか。織葉社長も業界に慣れていないだろうから、メリットは大きいだろう。……そうだ、まずはここの狩谷を派遣してもいい。業界歴が長いし、さまざまなメディアに顔が利く」
仙石社長はどうしても日毬を取り込みたいようだ。アステッドほどの業界大手が、ここまで日毬に期待を寄せるのは注目すべきことである。
たしかに日毬のような人材は、いくら望んでも得ることなどできないはずだ。どれほど金を注ぎ込んでタレントオーディションを繰り返しても日毬が応募するわけがないし、原宿で何人のスカウトを動かしても捕まえられるものではない。素の日毬の、特殊で特別な性質と行動は、存在するだけで
「申し訳ありませんが、それを受けることはできそうにありません」
「あれもできない、これもできない。織葉社長には、我々と話をするつもりは
鋭い口調で狩谷常務が口をはさんできた。
俺は切り返す。
「ですから、最初の私の提案ではどうですか? 経営を指導して下さる費用として、当面、売上の一〇%をお支払いしたいと考えているんです」
「金だけで解決をつけたいと言っているようなものだ。そもそも、我々は端金になど困っちゃいない」
狩谷常務は吐き捨てるように言った。
金で日毬をかっさらおうとしていたのはアステッドじゃないかという言葉を、俺はグッと吞み込んだ。ラチの明かない不毛な議論を繰り広げてもメリットはない。
だが、そんな思案を余所に、日毬がテーブルを叩き、俺の考えと同じようなことを言い放つ。
「もともと金をチラつかせて話を進めようとしたのはお前たちだろう! 自分たちの話を棚に上げ、平然と颯斗の言葉だけを追及するような相手のことを、どうして信じられるんだ? 自分たちの都合だけで世の中が回っていると思ったら大間違いだぞ」
正論なためか反論できないようで、狩谷常務はギリと唇をかんだ。
「どうか私の提案で、
俺は頭を下げた。横で日毬がつぶやく声が聞こえる。
「颯斗……」
「……バッシング? そう言えば、神楽さんに対する世間の風向きは怪しくなっているようだ。しかし我々にはサッパリだな」
狩谷常務がわざとらしく肩をすくめた。
日毬は声を荒らげる。
「ふざけるな! おまえら以外で私たちに嫌がらせをする相手が、世界のどこにいると言うんだ!」
「人聞きの悪いことを言わないでもらいたい。どこに証拠があると言うんだ。もっとも、メディアが騒がしいことは、我々なら抑えてやることができるかもしれないが?」
「マッチポンプもここまで来ると滑稽だな。颯斗が頭を下げているのだぞ。おまえらに少しは人情の機微を解する心を期待したが、それは間違いだったようだ。いいか、私がお前たちの下でアイドルを続ける可能性などひとつもない。肝心のそのことを、よくよく心得ておくのだな」
「まだ自分たちの立場がわかっていないのか――」
狩谷常務が話し出そうとするのを、鋭く仙石社長が遮ってくる。
「もういい。帰ってもらえ」
そして仙石社長は日毬を睨みすえ、続ける。
「残念だが、君も必要ない。ここまで君が反発心を隠さないのなら、どだい上手くはいかないからな。しかし、今後もこの業界でやれるなどという妄想は抱かないことだ」
「どういう意味だ?」
「言葉通りの意味だよ。残念だ。君なら、かつてないアイドルとして成功を摑むことができただろうに、自らそのチャンスをフイにするとは……。そこまで愚かだとは想定外だった」
「アイドルなど望んでいない。他人にチヤホヤされて何が楽しいんだ? 私は日本国家の支柱になるため、この命を削る所存である。そのためだけに私は、水着にさえなっているのだ。私個人がどれほどの
日毬の話を仙石社長は鼻で笑う。
「ふん。国家のための戦いだかなんだか知らないが、世論からそっぽを向かれたらお終いだろう。我々とここまで敵対しておいて、このままメディアに出続けられるとは思わないことだな」
「私の政治への道を阻むとすれば、お前は日本国家の敵になる。その覚悟はあるのだな?」
「我々と戦うなど、騎馬で風車に突撃するドンキホーテのようなものだ。だが、後悔してももう遅い。予告しておこう。生き地獄を味わうことになるぞ」
売り言葉に買い言葉。しかし日毬も仙石社長も興奮し始め、お互いを
日毬は胸を張り、尊大に口にする。
「受けて立つ。お前たちのような敵をはねのけることができずして、どうして日本国家の頂点に立つことなどできようか。おまえたちが颯斗を追い落とそうとするならば、私とて容赦はしない。私も予告しておくぞ。真の覚悟の偉大さを、お前は思い知ることになるだろう」
「実に威勢のいいことだ。しかし、無知というものは恐ろしい。自分で自分の身を滅ぼしたがっているのだからな」
「それは私の言葉だ。私を敵に回したことを、お前は激しく悔いるだろう。いいか、私は――」
さらに日毬が声を尖らせようとしたので、俺が割って入る。
「日毬、もうやめるんだ。ここは大人しく引き下がろう。交渉が決裂したということだけわかれば、それでいい」
俺が日毬の肩に手をやって説得すると、日毬の興奮はだいぶ収まってきたようだった。
「颯斗がそう言うのなら……仕方あるまい……」
次に俺は目の前の二人を見やって口にする。
「仙石社長、狩谷常務。良いお話にならなかったのは残念です。うちは小さなプロダクションですが、できましたらどうか、温かく見守ってもらえればと思います」
「小僧。どの口がそれを言うんだ。平穏無事でいられると思ったら大間違いだぞ」
仙石社長に続き、狩谷常務も鋭く言う。
「ふん。とっとと失せろ!」
俺と日毬は黙って席を立ち、社長室を後にした。
狩谷常務が事務員に叫ぶのが聞こえる。
「塩、撒いとけ」
俺たちにわざと聞こえるように言ったのだろう。
交渉は完全に決裂だ。修復も不可能。改めて、これからの方向性を練り直さなくてはならない。
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