ひまりプロダクション(5)
文字数 1,705文字
翌日から早速、俺は営業活動を始めていた。
現状、ひまりプロダクションの所属タレントは日毬だけ。日毬の写真やらプロフィールを持って、関係しそうな会社を回るのだ。
まずは蒼通時代に付き合いのあったところに、挨拶もかねて顔を出すのが先決だ。
たまに仕事で出入りしていた雑誌の編集長のところに、俺は挨拶と称して押しかけていた。
渡した名刺を眺めながら、編集長は興味深げに口にする。
「風の噂に聞いたよー、織葉くーん。蒼通辞めて、プロダクション始めたんだって?」
どんな業界でも、狭い関係者の間では、噂が駆け巡るのは早いものだ。しかも天下の蒼通を辞め、タレント商売を始めるなど、酒の席での話題には最適なものだろう。
「ええ、一から始めてみます。ぜひ今後ともよろしくお願いできればと」
「しかし驚いたね。いずれ君は、蒼通で偉くなるもんだと確信してたからさぁ。なんかトラブルでもあったの? 変な話は聞かなかったけど」
「自分の力で一からやり直してみようと思っただけです。離職は急に決めたことでして――」
それから俺は、今まで幾度も繰り返してきた説明を始めた。
大抵の相手がしてくる質問は同じだ。こっちとしては手間になって面倒だが、一同を集めて説明するようなことでもない。
一通り俺の経緯を聞き終えた編集長は、訝しげに俺を見やってくる。
「で、どんな子?」
「こちらです。まだ所属タレントは一人ですが……」
俺はプロフィールを差し出した。
「お! 可愛いねー。正直あまり期待してなかったんだけど、この子はいいんじゃないかな」
プロフィールに視線を走らせながら、編集長はつぶやく。
「特技は剣道ね。硬派だなぁ」
しばらく当たり障りない会話が続き、二〇分ほどして編集長は時計を見やった。
「校了間近で忙しくてね。プロフィールは預かるから、期待しないで待っててよ。そのうち関係しそうな話があったらね」
投げ遣りにプロフィールを受け取った編集長は、席を立った。
そして俺は最後に軽く礼を言い、編集部を後にした。
あの様子だと、編集長は特に何もしてくれそうにない。取引先の元担当者だったからという義理だけで、ひとまず話を聞いてくれただけだ。
俺はビルの外に出て、ため息をついた。もちろん予想はしていたが、ハードルはかなり高そうだ。
この雑誌は、蒼通の俺の事業部が広告枠を押さえ、毎月一定額の広告料を蒼通が支払っていた先である。言わば編集長から見れば、蒼通は仕事を発注してくれる大事なお客様であって、蒼通社員には丁重に対応しなくてはならない。しかし今回の俺の立場はまったく逆で、俺が編集部に仕事をお願いするというわけである。
駅への道を歩きながら、立場が変わると、こうも状況が一変してしまうことに、しばし俺は愕然としたのだった。いかに蒼通時代が天国のような環境だったのか、改めて実感させられる。
とはいえ、こんな程度で俺も諦めるわけにはいかない。懸命な日毬のためにも努力してやらねばならないし、オヤジにバカにされたままでは終われないからだ。俺はなんとしてでも、自力で地盤を築き上げてみせなくてはならない。
それから数日、俺は足を棒にして昔の関係者に顔を出して回った。
学生時代の交友関係のなかから、マスコミや出版関係に就職している旧友が数名いたので、彼らに声をかけたりもした。しかしまだみんな若いこともあり、それほど社内で力を持っていないので、良い条件で話を通すことも難しい。
そうして手にした成果と言えば、ほとんどお金にならないような案件を幾つか紹介されただけだ。相手としては、どのプロダクションに発注してもいいような小さな仕事で、出演料も交通費しか支給されないようなものばかりである。
しかしたとえ無収入でも、これらの中から幾つか、将来に繫がる可能性のあるものを選び出し、地道に受注していくしかなさそうだった。
怪しげな懸賞広告のモデルなどの筋の悪い案件は、すべてスルーだ。まずはカジュアル衣装のモデルなど、イメージの良いものだけを受注して、日毬の経歴を積み重ねていくことが必要だった。
現状、ひまりプロダクションの所属タレントは日毬だけ。日毬の写真やらプロフィールを持って、関係しそうな会社を回るのだ。
まずは蒼通時代に付き合いのあったところに、挨拶もかねて顔を出すのが先決だ。
たまに仕事で出入りしていた雑誌の編集長のところに、俺は挨拶と称して押しかけていた。
渡した名刺を眺めながら、編集長は興味深げに口にする。
「風の噂に聞いたよー、織葉くーん。蒼通辞めて、プロダクション始めたんだって?」
どんな業界でも、狭い関係者の間では、噂が駆け巡るのは早いものだ。しかも天下の蒼通を辞め、タレント商売を始めるなど、酒の席での話題には最適なものだろう。
「ええ、一から始めてみます。ぜひ今後ともよろしくお願いできればと」
「しかし驚いたね。いずれ君は、蒼通で偉くなるもんだと確信してたからさぁ。なんかトラブルでもあったの? 変な話は聞かなかったけど」
「自分の力で一からやり直してみようと思っただけです。離職は急に決めたことでして――」
それから俺は、今まで幾度も繰り返してきた説明を始めた。
大抵の相手がしてくる質問は同じだ。こっちとしては手間になって面倒だが、一同を集めて説明するようなことでもない。
一通り俺の経緯を聞き終えた編集長は、訝しげに俺を見やってくる。
「で、どんな子?」
「こちらです。まだ所属タレントは一人ですが……」
俺はプロフィールを差し出した。
「お! 可愛いねー。正直あまり期待してなかったんだけど、この子はいいんじゃないかな」
プロフィールに視線を走らせながら、編集長はつぶやく。
「特技は剣道ね。硬派だなぁ」
しばらく当たり障りない会話が続き、二〇分ほどして編集長は時計を見やった。
「校了間近で忙しくてね。プロフィールは預かるから、期待しないで待っててよ。そのうち関係しそうな話があったらね」
投げ遣りにプロフィールを受け取った編集長は、席を立った。
そして俺は最後に軽く礼を言い、編集部を後にした。
あの様子だと、編集長は特に何もしてくれそうにない。取引先の元担当者だったからという義理だけで、ひとまず話を聞いてくれただけだ。
俺はビルの外に出て、ため息をついた。もちろん予想はしていたが、ハードルはかなり高そうだ。
この雑誌は、蒼通の俺の事業部が広告枠を押さえ、毎月一定額の広告料を蒼通が支払っていた先である。言わば編集長から見れば、蒼通は仕事を発注してくれる大事なお客様であって、蒼通社員には丁重に対応しなくてはならない。しかし今回の俺の立場はまったく逆で、俺が編集部に仕事をお願いするというわけである。
駅への道を歩きながら、立場が変わると、こうも状況が一変してしまうことに、しばし俺は愕然としたのだった。いかに蒼通時代が天国のような環境だったのか、改めて実感させられる。
とはいえ、こんな程度で俺も諦めるわけにはいかない。懸命な日毬のためにも努力してやらねばならないし、オヤジにバカにされたままでは終われないからだ。俺はなんとしてでも、自力で地盤を築き上げてみせなくてはならない。
それから数日、俺は足を棒にして昔の関係者に顔を出して回った。
学生時代の交友関係のなかから、マスコミや出版関係に就職している旧友が数名いたので、彼らに声をかけたりもした。しかしまだみんな若いこともあり、それほど社内で力を持っていないので、良い条件で話を通すことも難しい。
そうして手にした成果と言えば、ほとんどお金にならないような案件を幾つか紹介されただけだ。相手としては、どのプロダクションに発注してもいいような小さな仕事で、出演料も交通費しか支給されないようなものばかりである。
しかしたとえ無収入でも、これらの中から幾つか、将来に繫がる可能性のあるものを選び出し、地道に受注していくしかなさそうだった。
怪しげな懸賞広告のモデルなどの筋の悪い案件は、すべてスルーだ。まずはカジュアル衣装のモデルなど、イメージの良いものだけを受注して、日毬の経歴を積み重ねていくことが必要だった。
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