右翼的な彼女(6)

文字数 5,278文字

 降車駅は若松河田(わかまつかわだ)
 日毬の親御さんに挨拶するために、俺と由佳里は揃ってやってきたのである。
 若松河田駅は、東京都民にさえあまり知られていない駅だった。東京の都心なのにだ。
 駅を上がると申し訳程度に、昔から営業を続けているようなお店が幾つかあるだけだ。どこかの田舎駅と言われても不思議ではない雰囲気もある。
 神楽(かぐら)(ざか)からこの辺りまで連なる一帯は牛込(うしごめ)地区と総称され、古くは牧場が多くあり、牛がたくさんいる地域として名付けられた。江戸時代には武家屋敷が広がり、それにちなんだ地名も多く残る。第二次世界大戦前は新宿区ではなく、牛込区として独立した区でもあった。相対的に戦争の被害が少なかったこともあって、かつてのコミュニティが色濃く残り、再開発とは無縁の地域にもなっていた。そのせいで、千代田区に隣接する新宿区東部一帯は、都心に古い町並みが残されることになる。
 駅を出てすぐ、なだらかに下る路地を入り、以前、日毬と避難した児童公園を通り過ぎた。
 あまりにゴチャゴチャした住宅街と、複雑に入り組む細い路地に迷うだろうと思っていたが、幸いにも由佳里のおかげで一度も立ち止まることなく日毬の家に着くことができた。
 日毬の家はひときわ大きな木造家屋で、古びた木塀に囲まれ、昔の武家屋敷をそのままもってきたような無骨な造りだった。
 剣道場を経営していると言っていたが、一見しただけでは道場だとはわからない。家の表札も普通に「神楽」となっている。
 木の門をくぐってなかに入ると、目の前には玄関。右奥には別の出入り口があり、そちらに「神楽道場」と、ひなびた看板がかかっていた。
 玄関のチャイムを押すと、ガラリと扉が開き、稽古着(けいこぎ)姿の日毬が姿を現した。白無地の道衣に、紺色の袴、そして足袋まではいている。しかしどことなく大人びて見えるのは気のせいか。
「あれ……日毬……? なんだか雰囲気違くないか?」
「日毬ちゃん、かな?」
 俺と由佳里が戸惑うと、日毬とそっくりな女の子が無表情で首をふる。
「私は日毬ではありません。姉の凪紗(なぎさ)です」
「あっ、そうでしたか……。お姉さんがいるとは聞いておらず……。こんにちは。蒼通の織葉と申します」
「同じく蒼通の健城と申します。日毬さんの件で、親御さんに一言ご挨拶させて頂きたく参上しました」
「母上と日毬が奥座敷でお待ちしています。どうぞお上がり下さい」
 格式張って俺たちをなかに招き入れた凪紗は、ニコリともしなかった。超然とした立ち居振る舞いは、日毬とおんなじだ。一見無愛想だが、俺たちを嫌っているわけではないのだろう。
 古い日本家屋の廊下を凪紗のあとについていく間、由佳里が俺の耳元に近づいてヒソヒソと口にする。
「お姉さんも可愛らしいですね。ちょっと浮世離れした美貌です」
「ああ、仰天した」
 部屋に通されると、今度こそ日毬が待っていた。日毬は学校の制服姿だ。
 その奥には四〇前後の女性――母親だろう。よく通った鼻筋やくっきりした目尻から、若いころ美人だったであろう面影が十分に見てとれる。
 日毬が紹介してくる。
「よく来てくれた。母上だ」
神楽京子(きょうこ)です。わざわざ足を運んで頂き、ありがとうございます。この度は日毬が世話になるそうで、何卒よろしくお願い致します」
「そして案内してくれたのが姉上だ。今は道場の師範を務めている。剣の腕前は一級品だぞ」
「改めまして、神楽凪紗です。茶をお持ちしますので、少々座を離れます」
 挨拶を交わして、用意された座布団に俺たちは腰かけた。
 さっそく俺は疑問に思ったことを訊いてみる。
「女性ばかり……ですね。失礼ですが、旦那様はいらっしゃらないのでしょうか」
「夫は五年ほど前、肺病を(わずら)って亡くなりました。ですから家のことは、私と凪紗が代わりを務めさせて頂きます」
 そうだったのか……。日毬はいわゆる母子家庭だったらしい。そう言えば同意書のサインは母親のものだった。
 凪紗がお盆を持って戻ってきた。俺たちの前に丁寧にお茶を並べ、部屋の隅に正座した。
「知らぬこととは言え、失礼いたしました……。お話はすぐに済みます。すでにお聞き及びになっていると思いますが、日毬さんに防衛省の広報VTRに出演頂くことになりまして……一六歳ということもあり、親権者の方に同意をして頂く必要がありました。それで今日、こうしてご挨拶にお伺いした次第です」
「同意書にはサインしたはずですが……」
「はい、ありがとうございます。しかし昨今、保護者にもらうべき同意のサインを自分でサインしたりするケースもあり、やはり直接確認することが必要だったのです。お手間かとは存じますが、ご了承ください」
「なるほど……」
「ですから実は、こうしてお会いできただけで、今日の目的はすでに達成しているも同然なんです。だからもしお母様が不安に思っていることなどありましたら、逆にご質問などして頂ければ、すべてお答えいたします」
「私からは特に何もありませんね……日毬が決めることですから……。凪紗、何かある?」
 京子が振り向いて問いかけると、凪紗はきっぱりと応じる。
「いえ、ありません」
 次に京子は日毬を見やる。
「日毬、あなたはもう決めているのでしょう?」
「母上。私はやらなくてはならない。日本国の未来のため、私はこの身を削ってでもご奉公するつもりだ」
 日毬は決然と応じた。
 たかだか防衛省の小さな仕事ひとつなのに、日毬のなかでは途轍もない大事業になっているようだった。
「わかりました。一度決めたこと、全力を尽くしなさい」
 京子は大きくうなずいた。
 そんなに簡単にOKしていいのだろうか。それはまぁ、そこらの芸能プロダクションではなく、誰でも名前くらいは聞いたことがある蒼通がお願いする仕事なわけだから、親御さんとしても安心はしてくれるだろう。しかし特殊な仕事であるわけだから、もう少し内容について関心を持ってくれてもいいような気がするのだが……。
 念のため俺は確認してみる。
「お母さん、本当によろしいのですか? ひとまず一回だけのお願いとは言え、れっきとしたタレントさんのお仕事です。お顔も公に知られることもあります」
「我が家には、代々伝わる家訓があります。一五歳になったら独り立ちせねばならない。自分で進む道を決断し、一意専心すべしと決まりがあるのです。私たちは皆、そうやってきました。日毬はもう一六歳。私たちができることはただ、日毬を見守ることだけです」
「家訓……ですか?」
 俺の問いに、今度は日毬が応じる。
「私たちは三河(みかわ)武士の出身だ。代々伝えられる家訓を守り通すことは、私たちの至高の義務のひとつである」
 由佳里が声を上げる。
「三河って、名古屋のあたり? へぇー、名古屋だったんだー。いつこっちに越してきたの? ……あれ? その割には、この家ちょっと古いよね……」
「うむ。我が家に伝わる家譜(かふ)によれば、神楽一族は、六八〇年頃に勃興(ぼっこう)した藤原北家(ふじわらほっけ)の流れを汲んでいる。長暦二年、西暦で言う一〇三八年――時は()朱雀(すざく)陛下の治世の折り、私たちは三河国神楽明神の社職の地位を与えられ、神楽氏を称したことに始まった。応仁の乱後の混乱期、我が一族は領国を守りつつ三河松平一族と血縁を結び、それ以降、松平家の郎党として数多くの戦いに従軍してきたのだ。それが後の徳川家となる。そして家康公の関東転封によって、我が神楽家も関東へと引っ越してきた。それが一五九〇年のことだ」
「……?」
 由佳里は目を白黒させた。
 日毬は、俺たちの混乱など意に介さず続けていく。
「数百年単位で見れば、私たちも徳川将軍家の血族には違いない。もっともそれを言い始めれば、今では数十万、数百万の縁者がいることになってしまうがな。……江戸幕府成立以降、私たちは家康公から一五〇〇石を与えられ、旗本として市谷(いちがや)に居を構え、三〇〇年近くをそこで暮らしてきたのだ。私たちの仕事は、江戸の治安を預かる与力や同心たちへの剣術指南役だった」
 京子が話を引き継ぐ。
「剣に秀でた私たちの一家は、江戸期から今に至るまで、この地でずっと剣を教え続けています。夫が亡くなってからは私が道場を引き継ぎ、そして今は長女の凪紗が師範を務めています」
「……」
 キリリと背筋を伸ばして部屋の隅に正座している凪紗は、口元を引き結び、微動だにしなかった。
「四〇〇年前に引っ越してきたということでしたか……」
 由佳里が呆然としつつ口にした。
「明治維新の後、一八七六年の秩禄(ちつろく)処分によって士族に与えられていた秩禄給与が廃止され、収入の道が絶たれることになりました。私たちの一族はなんとか生計を立てようと試行錯誤しましたが……世間様に、士族の商法と揶揄された通りです……。ついには食べるに窮し、東京市谷にあった本宅の土地を明治政府に売却することになりました。それが今ではJR中央線の、路線の一部になっています」
 母親の話を受けて、今度は日毬が続ける。
「そして結局、私たちが構えていたこの剣道場だけが残ったというわけだ。以来、私たちはこの場所に居を移し、細々と剣を教え続けている」
 特異に思われていた日毬の剛健な性格が、話を聞いてようやく合点がいった気がした。ずいぶん端折って話してくれたのだと思うが、そこには長い物語があるのだろう。
 それから京子と日毬が交互に神楽家の考え方などを、かいつまんで話してくれた。世間一般では一八歳、あるいは二〇歳未満の監督指導は両親が行うと考えられているが、神楽家においてはそれが一五歳と決まっているのだそうだ。そして一般家庭よりも、本人の意志をずっと尊重しているようだった。奈良時代以降、男子が成人を迎える儀式――元服が一般化したが、数え年で一二歳から一六歳までに行われるものだった。神楽家から見れば、今の子供たちが過保護になっただけに見えるのだろう。
 ひとまず本題も語り終えたので、別件だが、俺は確認しておくべきことを訊いてみる。
「一点、今回の目的ではないのですが……先日、公安と悶着(もんちゃく)がありました。その件はすでに解決していることではありますが……親御さんとしては、警察と揉めることはあまり芳しいことではないのではありませんか? その点は大丈夫でしょうか」
「もし日毬に非があるならば、我々一族の責任です。しかし日毬に非はないと、私は確信しています」
 京子は微塵も迷いをみせず、確固とした口調で断言した。
 実際、たしかに日毬は政治的主張をしていただけであって、現実的に破壊活動をしたり、暴動を起こしたりしているわけではない。処罰の対象ではないのは当然だ。しかし普通の親なら、事が警察絡みとなれば、心配するのは自然なことでもある。
「警察なぞ、私たちから見ればヒヨッコ同然だ。我々が忠節を尽くすのは、(おそ)れおおくも天子様のみである。我々は一〇〇〇年にわたり、天子様から与えられた役割を遵守し、徳川将軍家、そして維新の後も天子様に仕えてきた。たかだか六七年の歴史しか持っていない新政府ごとき、ものの数ではない」
 そんな日毬の言葉に、母親も凪紗も、一言の異議も差し挟まなかった。それどころか、さも当然といった様子だ。
 それにしても壮絶な一家である。天然記念物級の一族だ。
 いや、もしかすると……昔の日本人はこうだったのだろうか。変わってしまったのは俺たちの方かもしれない。
「委細、承知しました。今回、日毬さんにお手伝い頂けることは大変感謝しています。ぜひともよろしくお願いいたします」
 俺は改めて礼を言い、先を続ける。
「ところで、こうしてご挨拶にお伺いして何ですが、私はもうすぐ蒼通を退職することが決まっています。今後、日毬さんのお仕事に関しては、こちらの健城が引き継がせて頂きますので、何かありましたら彼女の方までご連絡ください。そちらの名刺の、お電話でもメールでもどちらでも結構です」
「よろしくね、日毬ちゃん」
 由佳里がそう言って、日毬に微笑んだ。
 日毬はいささか驚いた様子だった。
「えっ? 颯斗……どうして辞めるんだ?」
「個人的な事情があってな。興味があれば、あとで話してやろう」
「……わかった」
 日毬はうなずいた。
 部屋の隅で正座をしているだけだった凪紗が、ふいに俺たちに居ずまいを正し、口にする。
「もし日毬が何か問題を抱えるようなことがあれば、その責はすべて、留守を預かる私にあります。織葉殿、健城殿。日毬をよろしく頼みます」
 そして凪紗は両手をつき、礼儀正しく頭を下げた。
 なんという立派な儀礼なのだろうか。俺と由佳里は慌てて頭を下げ返したのだった。
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登場人物紹介

神楽日毬(かぐらひまり)

日本の未来を憂う女子高生。雨の日も風の日も、たゆまぬ努力を重ねて政治活動に励んでいる。

織葉颯斗(おりばはやと)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。営業先に向かう途中、街頭演説の最中だった日毬と出会うことになる。

健城由佳里(けんじょうゆかり)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。新人として織葉颯斗の営業に研修のため同行していたとき、演説中だった日毬に出会う。

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