一刀両断(15)

文字数 6,358文字

 麴町のアステッド本社前にバスを横付けし、俺たちはぞろぞろと降り立った。
 テレビカメラを担いだ異様な集団の登場に、周りのビジネスマンたちは困惑顔だった。だが、集団の中心にいるのが白装束を着込んだ日毬だとわかると、スーツ姿の野次馬たちが次々に集まり、アステッド本社前を取り巻く人の群れはいっそう大きくなっていった。
 話はまたたく間に広まり、一目でも日毬を見ようと周辺のビルから仕事中の人々が飛び出してきて、辺りは騒然としてきた。
 さらにはアステッドの社員らまで外に出てきて、日毬の姿を見て愕然とした。
 俺から手を離した日毬は、声をかけてくる。
「颯斗、見ていてくれ。傍にいてくれるだけで安心する」
「日毬……せめて何をやるかだけでも……」
「大丈夫だ。颯斗が心配する必要などまったくない。すべて、私に任せてほしい」
 そう断言し、日毬はマスコミ記者や群衆の前に進み出て行く。
 アステッド本社の入り口前、一段高くなっている石の階段手すりの突端に日毬は立った。そこからなら、背が低めの日毬でも群衆を見渡せる。そして日毬を中心に、五〇人ほどの記者やカメラマンたちと、その一〇倍以上の野次馬たちが取り巻いていた。数百人の群衆だ。
 俺は最前列でマスコミの群れに交じり、事の成り行きに驚愕しながら日毬を見つめていた。こうなってしまっては、俺に何かできる状態ではない。
 悠々と日毬は群衆を見回し、拡さんを持ち上げ語り始める。
「真正なる右翼は、日本に私ただ一人である。有権者諸君、私は日本の未来のために、魂のすべてを捧げる所存である。ここに誓う、私が日本を代表し、再び燦然と輝く国家の栄光を取り戻してみせることを。ここに宣する、私は日本国の首班となり、この国に太平の繁栄を華開かせる(いしずえ)とならんことを」
 日毬の演説は久しぶりだ。拡さんを通した日毬の声は、オフィス街一帯に響き渡った。
 アステッド社内にいる仙石社長にも、このスピーチの声は届くだろう。ライブ中継もされているようだから、テレビで見ているかもしれない。
「私は自身の生き方に一点の曇りもない。私は常に自分を律し、あらゆる苦難を受け入れ、同胞諸君の未来に想いを馳せてきた。毎日二四時間、休息に身体を休める時も、床に伏す時も、いついかなるときも私こそが正義の体現者であろうと心がけてきた。もしも私自身の誓いを曲げるようなことがあれば、私は自ら進んで腹を切って詫びるだろう」
 群衆は、瞠目して日毬の演説に聴き入っていた。
「私のあらゆる生活は国家と密に結びついている。日本の繁栄こそが私の命、私の人生、私の魂のすべてだ。自信を持って言える、私こそが日本なのだと! ゆえに奸計を用いて私を陥れようとする(やから)は、すなわち日本国家の崩壊を企む敵である」
 そこで言葉を切り、厳しい顔つきで日毬は目の前の聴衆を眺め回した。人々は圧倒され、誰も言葉を発しない。
「この度、『週刊ネクスト』にて、私が日々色恋にふけっているという記事が掲載された。ここに集まるメディア諸君らも、その記事を見て集まってきたのだろう。痴れ者どもめ! 断言する、記事はまったくのデタラメであると」
 日毬は胸を張り、朗々と声を張り上げる。
「第一に、私は処女である。結婚まで貞烈(ていれつ)を守ることは、神楽家に生まれついた者として、もはや議論の余地がないほど自然なことだ。私はそう教育を受けてきたし、私の子供にも同じように伝えるだろう」
 見守る群衆たちは瞠目し、舌を巻いているようだった。
「……一〇〇〇年だ。我が神楽家は一〇〇〇年にわたり、家訓を忠実に守り通してきた。かつて陛下より任命された仕事を黙々と守り、一族の繁栄を求めず、ただただ天下の安定を追求し、身を粉にして働いてきたのだ。日の本の礎とならんことを理想とし、獅子のごとく戦い、生涯のすべてを投げ出すことを日本人同胞すべてに誓って生きてきた。私の生き方には一族の……日本の歴史がある。諸君らがいかに私たちに罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせようとも、私の魂は変わらない」
 周囲を取り巻く人々の群れはさらに増えているようだった。道路まで人がいっぱいだ。一〇〇〇人は優に超えているだろう。もちろんメディア各社が向けるテレビカメラの先には、数千万人の視聴者がいる!
――おいおいおいおい、尋常ならざる事態だぞこれは……。
 逸る気持ちはあるものの、どうすることもできない。俺にできることは、ただ呆然と日毬を見守ることだけだった。
 しばらくの間、メディアの話題を日毬が独占することは間違いない。
「私は政治家としての道を歩むため、苦汁をのみ込み、人前で水着になることはあるだろう。だがしかし、婚姻前に特定の相手に対し、私が裸身を晒すことはない。いかに愛する人であってもだ。それを諸君らが尚も疑うのならば、病院での調査を受け入れ、この身が処女であると証明する用意がある。だがその時は覚悟せよ。メディアという存在がいかに低俗極まるものか、世間に証明するようなものだからだ」
 群衆から、パラパラと拍手が湧き起こった。やがて拍手のさざ波は拡大していき、喝采となって辺りを包み込んだ。
 日毬は拍手が終わるのを、拡さんをわずかに落として見守った。だが真剣な表情は変わらず、口元を引き結んでいる。
 拍手が収まったころ、日毬は大きく息をはき出して続けてゆく。
「その上で言おう。私の大切なマネージャーが、ここ、アステッドプロによって恫喝を受けてきた。だが日本国家の守護神を自認する私が、低次元の恫喝に屈すると思ったら間違いだ。私は日本を背負っていると自負している。たとえこの身が朽ち果てようとも、死ぬその瞬間まで、私が(こころざし)を曲げることは決してない」
 それから日毬は記者たちを前に、事細かに経緯を説明し始めた。
 アステッドプロから移籍契約を持ちかけられたことや、提示された金額が一億円超であること。自分はアイドルとしての成功を望んでいるのではなく、アイドルはあくまで政治への最短ステップでしかないから、それを重視しないプロダクションへの移籍などありえないこと。加えて、現マネージャーが自分自身を奈落から引き上げてくれた恩人で、世界で一番大切な相手であり、そこから離れて活動するなど検討外であったこと。そして提案を蹴ると、アステッドプロ社長と激しい口論になり、「これからも芸能界で活動できると思ったら間違いだ」と恫喝されたこと。とたんに仕事が枯渇し、メディアによる叩きが始まっていったこと。仕事先やメディアに対し、アステッドプロが圧力をかけたことは確実であること――。
 アステッドプロに対する以上に、日毬はメディア各社を激しく批判した。
 ビジネス街での演説で、道路にまでわんさと溢れている人の群れは、もはや大変な数になってきていた。見渡す限りの人波だ。
 振り返れば、かなりの数の警察官たちも集まってきている。群衆を取り巻いている警官は、パッと目に付くだけでも数十人いるようだ。もしかすると、アステッドプロが警察に連絡したのかもしれなかった。
 日本では、警察の許諾(きょだく)を取らないデモなどは認められておらず、厳しい監視の対象に置かれる。しかも車が立ち往生して、お祭り騒ぎのような喧騒になっていることは、道路交通法違反で処罰されかねない状況だった。
 そんな事態に構わず、日毬は演説を続けてゆく。
「ゆえに今回の記事も、ひまりプロダクションを叩く記事も、アステッドプロが背後にいる。『週刊ネクスト』の記事がすべて噓八百であるように、過去にマネージャーが叩かれた記事もまた噓八百である」
 日毬は堂々と、胸を張って宣言する。
「真正なる右翼は、日本に私ただ一人である。繰り返す、私は日本を背負っている。メディア関係者は肝に銘じてもらいたい。私を陥れる行為に荷担することは、日本に対する破壊行為に他ならない。私は自らの信念に忠実に、命を懸けて、日本の敵たちと対峙するだろう」
 そして日毬は脇に差していた木刀をサッと引き抜き、天へと掲げた。
「諸君、私について来い!」
 突如、日毬は反転し、アステッドプロが入居するビルの表玄関をくぐって中へと入っていった。
 玄関の両脇にいるアステッドプロの社員らは啞然としたままで、誰も日毬を止めることはしなかった。
 いくら開かれた会社とは言え、ここまでのことをやってズケズケと入って行くと、不法侵入と言われても仕方がない。
 それでも我先にと、テレビカメラを担いだメディア関係者らが日毬の後を追い、記者たちも慌ただしく続いた。やはりこの喧騒を生中継していたようで、記者たちはカメラに向けて忙しく喋っている。
 俺も記者たちに遅れを取らないよう、急ぎ足でアステッドプロの玄関をくぐって入っていく。人波で揉みくちゃになっていたが、なんとかして日毬に追いつかなくてはならない。
 もはや不法侵入を心配する者など一人もいなかった。こういうときこそ、日本メディアの横並び意識の本領が抜群に発揮される。赤信号、みんなで渡れば怖くないのだ。
 俺たちの後にはさらに野次馬の群れや警官たちまで続いてきたようだ。もう喧騒が激しすぎて誰もが揉みくちゃになり、ほとんど騒乱に近い状態になっていた。
 アステッドプロの社員たちは、もはや()(すべ)がないように立ちつくし、日毬に続く人の群れを見やっていた。アステッドプロのロビーには複数のテレビが並んでいたが、そのうちの大半にはここの騒動がリアルタイムで映し出されていた。日毬の演説も全国に放送されたのだろう。
 日毬は手に木刀を握りしめ、群衆の先頭をずんずんと突き進んでいく。
 俺は日毬に追いつこうとするも、前を行くカメラや記者たちの群れが邪魔すぎて、とても日毬に近づくことはできそうになかった。
 日毬の足取りははっきりしている。先日、俺と一緒にやって来た社長室へと向かっているのだ。
 社長室のドアの前。
 すぐにドアを開けることをせず、日毬はこちらを振り向いた。カメラマンたちが熱心にカメラを向ける。記者たちもカメラに向かって大声で叫び、辺りの騒ぎは半端じゃなかった。
「日毬! 待ってくれ、日毬!」
 俺は力いっぱい呼び掛けた。
 幾人ものメディア関係者たちが間に入っているせいで、声は届かないかもしれない。だが日毬はわずかな人のすき間から、俺を見つけてくれたようだ。
 日毬と視線が合った。日毬は微笑を浮かべ、小さくうなずいたように見えた。
 次の瞬間、日毬は再び振り返り、ダンと激しく音を響かせて社長室のドアを押し開く。
 日毬がずんずんと中に入って行った。狭い通路から、社長室にワッと人が吐き出されたような格好になり、続々と転げるようにして社長室に人が溢れ始める。やっとのことで俺も社長室に侵入すると、尊大に構える日毬と、コメカミをぴくつかせた仙石社長が相対していた。
 社長室のテレビには、ここの中継が映し出されている。やはり仙石社長はテレビでチェックしていたのだ。
 自分が今まさに立ち会っているシーンが全国に中継され、目の前のテレビモニターに同じ場面が映し出されているのは、なんだか奇妙な光景である。
 日毬と仙石社長が対峙するのを、テレビカメラが取り囲んでいる。先ほどまで実況に熱が入っていた記者たちも、社長室に入ると、緊張して睨み合う二人の様子に息を吞み、皆が押し黙って注目していた。
「貴様……。何のつもりだ……」
 苦しげに、仙石社長は言葉を吐き出した。
 日毬は堂々と宣言する。
「私は政治活動に命を賭けている。伊達(だて)や酔狂でアイドルをやっているわけではない。私とマネージャーに対する嫌がらせは即刻止めてもらおう」
「……クッ」
 仙石社長の口元は震えていた。怒りからだろうか、あるいは恐れからだろうか……。メディアに取り囲まれて少女に恫喝されるなど、生まれてこの方、想像したことなどなかったに違いない。しかもこれはライブ中継なのだ!
 鋭く仙石社長を見やったまま、日毬は朗々と声を響かせる。
「私は貴公を、日本の敵と認定する。ここで私に成敗されたいか、それとも潔く自ら腹を切るか……選ぶ時間を与えてやろう。一〇秒だ」
「なん、だって……?」
 仙石社長は目を見開いて、自信に満ちた様子の日毬を見やっているだけだった。為す術がないに違いない。
 膠着した睨み合いのなか、刹那の時間はまたたく間に過ぎてゆく。
「時間だ」
 そう言って、日毬は高々と木刀を掲げた。
 構えは上段。実に様になっている。
「……や、やめろ……」
 ジリジリと仙石社長は後じさりし、すぐ後ろのソファに、力無くストンと腰を落とした。
 小さな応接テーブル越しに、日毬はにじり寄る。
 決意を込めた日毬の表情に、仙石社長は両腕を顔の前に上げて口にする。
「おい……見てないで、誰か止めろ……。なぜ誰も止めようとしないんだ……!?」
 マスコミ関係者たちは息を吞んでカメラを構え、状況を注視しているだけで、誰一人として日毬を止める素振りすら見せなかった。むしろメディア関係者たちは、目の前で大事件が起こることを切々と心待ちにしているのだ!
 俺は慌てた。まさか本当に日毬が仙石社長に木刀を振り下ろしでもしたら、大変なことになる。木刀とは言えど、素人の剣ではない。道場の取材で幾度も日毬に立ち会い、その剣の腕前はここにいる誰よりも知っていた。
 俺は前の記者を搔き分け、日毬を止めようと試みる。
「やめるんだ日毬!」
 俺が呼び掛け、なんとか人波を押しやって前に出ようとした瞬間――。
 ついに日毬は気合一閃、木刀を振り下ろした。
「や―――――――――――――――――――ッ!」
「――――――――――――――――――――ッ!」
 仙石社長の絶叫が辺りにこだました。
 上段からの日毬の気合を込めた一振りは、仙石社長のギリギリのところをかすり、床へと着地していた。
 日毬と仙石社長の間にある応接テーブルが、木刀で真っ二つにされていた。木刀より厚い木製テーブルが綺麗にかち割られているのに、木刀も仙石社長も無傷……。
 だが仙石社長は気絶し、その場で伸びてしまっていた。
 周りを取り巻くメディア関係者や俺は、ただただ毒気を抜かれていた。
 やがて後ろから警察官たちが強引に人混みを押し分け、日毬の許へやってきて取り巻いた。しかし警察官たちも、日毬を囲んだはいいものの、しばらくキョロキョロと仲間の誰かが対応するのを見守っているようだった。
「ぼっ、暴行、器物破損確認! 現行犯逮捕ッ!」
 やがて一人が声を上げたのをキッカケに、別の警官が日毬の手にある木刀を両手でしっかり握りしめた。日毬は一切の抵抗をせず、その警官に木刀を差し出した。
 さらに一人の警官が手錠を取り出し、日毬の腕にかけた。すでに日毬は想定していたようで、静かに両手を差し出した。
 焦った俺は、警官たちに声を上げる。
「待って下さい! 日毬のせいじゃ――」
「颯斗、心配するな。すぐ戻る。ちょっと行ってくるぞ」
 気楽な調子でそう言って、日毬は俺に微笑した。
 それから白装束に身を包んだ日毬は警官を促し、堂々とした足取りで胸を張り、率先して社長室を後にしたのだった。社長室に入りきれず廊下で揉みくちゃになっていた群衆は、壁ぎわに身を寄せ、日毬の道を押し開く。
 人々が日毬を見守る視線には、深い敬畏(けいい)がこもっていた。

(1巻終、次巻に続く)
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登場人物紹介

神楽日毬(かぐらひまり)

日本の未来を憂う女子高生。雨の日も風の日も、たゆまぬ努力を重ねて政治活動に励んでいる。

織葉颯斗(おりばはやと)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。営業先に向かう途中、街頭演説の最中だった日毬と出会うことになる。

健城由佳里(けんじょうゆかり)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。新人として織葉颯斗の営業に研修のため同行していたとき、演説中だった日毬に出会う。

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