一刀両断(5)

文字数 3,126文字

 事務所にやって来た日毬は、いつもと違っていた。
 口惜しさに打ち震えるように拳を握りしめている。
「おつかれさま、颯斗」
 そう挨拶した日毬は、俺の顔を見るなり、耐えかねた結界が破られるように目に涙を溢れさせた。
 日毬をソファに座らせ、肩に手を置いて優しく問いかける。
「日毬、どうしたんだ?」
「……今日、学校で、いつもの日本史教師と言い争いになったんだ……。私はヤツの捏造(ねつぞう)を指摘して、完膚無きまでに叩きのめしてやったのに……ヤツは言うんだ。私がテレビでバカにされてるって」
 日毬は腕で涙を拭う。
「最初は何を言っているのかわからなかったけど……あとでクラスの友達に確認したら、事実だって……」
「……ああ。今は流れが悪くなってる」
 俺は言葉をにごらせた。
「どうりで、同級生たちは余所余所(よそよそ)しいなって思ってたんだ。私がグラビアやCMに出てることを羨ましがってた子たちまで、ここ数日は何も言ってこなくなってたから……」
 声を震わせて日毬は続ける。
「みんなに聞いたら、色々教えてくれた。急いで学校から帰ってテレビを確認してみたんだ。そしたら私の話題が取り上げられてて……それで……。メチャクチャな言い分なのに、反論できないのが何より悔しい……」
「日毬。攻撃されている場面を初めて見れば、誰だって参ってしまうはずだ。だから今の日毬の気持ちは、痛いほどわかる。だけどな、こんなのは序の口だぞ。俺もメディアに関わって色々見てきたけど、本気でやられる時はこんなものじゃない。日本国中が一斉に非難の嵐を浴びせかけてくるような状況になる。これでも今は、まだまだ軽い方なんだよ」
「わかってるんだ。政治の頂点に立つのなら、幾らでもバッシングなんてあるはずなんだって。こんなの想定していたつもりだったし、幾らでも乗り越えてみせようって思ってた。で、でも私、こんなの初めてで……怖いって、そう思った……」
「そうだろうな……。初めての経験なんだから、尚更だ。それでもさ、本気で政治方面を目指すなら、もっと大変な事態になることも理解しておいた方がいい。だからな……ここで降りるってのも、アリだぞ」
 俺の言葉に、日毬は視線を上げる。
「……えっ?」
「日毬と付き合ってみて、つくづく感じるよ。日毬の本当の姿は、普通の女の子だってな。最初に日毬が演説してる場面を見かけたときは、とんでもない気丈で勝ち気な子だなって思ったけど、実はぜんぜん違ってた。日毬は使命感で懸命に生きてるけど、そんなものは捨て去って普通に暮らした方が、幸せになれると俺は思う」
「……」
「日本の未来なんて、ほとんどの人はなるようになるって考えてるんだ。何も日毬ひとりが悩んで背負い込むようなことじゃない」
 そう言うと、予想に反し、日毬の顔つきは引き締まった。
 日毬は涙を拭き、真摯に俺を見据え、決然と首をふる。
「……ダメだ。降りる選択などありえない。私は私である以前に、日本大志会の総帥だ。それは私の生き方であって、人生のすべてなんだ。日本の未来は私の両肩にかかっていると自負している」
「どうしてそこまでこだわるんだ? 日毬はまだ一六歳で、女の子なんだぞ?」
「この程度のことで、自分の誓いを曲げたとするならば、私は一生逃げ続ける人生を送らなくてはならなくなるはずだ。私は日本という国家に魂を捧げている。そこまでの誓いを捧げたのに、たかだかこの程度のことで怯むなど……」
 視線を落とし、つぶやくように日毬は続けてゆく。
「本当にバカなヤツだな私は……。あの卑劣な日本史教師より、私の方がずっと愚か者だった……。初めから答えなど決まっているのに、うじうじ悩むのは恥ずべきことだ……」
「日毬……」
「颯斗、このような恥ずかしい姿を見せてしまい、誠に申し訳ない。だけど安心してくれ。颯斗が一緒にいてくれるなら、颯斗さえ私の味方であり続けてくれれば、私はきっと乗り越えてみせるから……」
「……。しばらくバッシングの流れは続く可能性があるぞ。それでも、いいのか?」
「私はやり遂げてみせる。そのために私は生きているのだ」
「そうか……。ならば、俺も頑張ってやらないとな」
 俺は立ち上がり、机の上に置いていた週刊誌を取り上げた。先日、俺が取材に応じたばかりの記事が掲載されてあるものだ。
「日毬には、こうなった経緯を知っておいてもらう必要があるな。俺の勝手な推測も入っているけど、伝えておこう」
 そう言いつつ、俺は記事を広げて手渡した。
 受け取った日毬は、記事に視線を落として黙々と読み込んでいく。
 読み終えた頃、ポツリと日毬が口にする。
「そうか……例の移籍交渉の話が繫がってるのか……」
「あくまで憶測の範囲内だけど、まず間違いないんじゃないかとも思う。これまでの急激な日毬の話題の盛り上がりは、悪くない流れだった。それがここにきて急転したのには原因があるはずで、この記事の通りアステッドが何らかの手を打ったんだろうな」
「たかだか一プロダクションとの力関係でこうまで動かされるとは、メディアとはずいぶんいい加減なものなのだな」
「そりゃ人間が制作に関わってるものだ。ロボットがテレビ局を運営してるわけじゃないからな。どんな業界、どんな企業だって同じだろう。もちろん政治だって同じだぞ」
「私のために、これ以上颯斗に辛い思いをさせるのは忍びない。颯斗を苦しませる連中は、私が直接乗り込んで成敗してやる」
 日毬が真剣そのものだったので、慌てて俺は口にする。
「いや、違うぞ。こんな状況に日毬を追いやったのはすべて俺の責任だ。タレントを守るのがプロダクションの一番の務めなんだからな」
「だが颯斗が私を追いやっているわけではない。向こうが勝手に因縁をつけてきて、一方的に嫌がらせをしているだけではないか。颯斗はいつも私を守ろうとしてくれる。私以上に辛いはずだ」
「……。この解決は任せてもらえないか。向こうと話し合ってみようと思ってることがあるんだ」
「どんなことだ? 聞かせてくれ」
 そして俺は日毬に、売上の一割をアステッドに納めることで決着を図れないかという案を話して聞かせた。
 日毬は眉をつり上げる。
「バカな! それじゃ颯斗がアステッドの子分ということになるではないか。私が主催する日本大志会が、自友党か民政党の傘下に入るようなものだ。アステッドの指示には従わざるをえないことにもなる。認められない」
「それでも解決法のひとつじゃないかと思うんだ。この状況を打開するのが最優先だろう。アステッドとは話し合わなくちゃならない」
「私の目標のために、颯斗が犠牲になるというのか? 颯斗は言っていたろう。父に打ち勝ってみせるような企業を創るんだと。アステッドの傘下になることが、そのための道だとでも言うのか? ありえないぞ」
「……」
 俺は押し黙った。日毬の言う通りだったが、今の俺には力がないことも事実だ。雌伏(しふく)して時が巡ってくるのを待たなくてはならないこともある。
「颯斗、約束してもらうぞ。アステッドと話し合う時は、必ず私も同席する。絶対だ」
「それは……決められる話も決まらなくなっちまうかもしれん」
 俺は渋ったが、日毬はどうしても聞かない。
「颯斗を犠牲にして決める話など、私は認めない。私は颯斗と一緒に進みたいんだ。颯斗はもう、私の人生には必要な人なんだ」
「……日毬……」
「一人で決着を図ろうなんてしないでくれ。私も颯斗の力になりたい」
 切々と日毬は訴えてきた。
 その熱心な態度に押し切られ、俺は黙ってうなずいた。
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登場人物紹介

神楽日毬(かぐらひまり)

日本の未来を憂う女子高生。雨の日も風の日も、たゆまぬ努力を重ねて政治活動に励んでいる。

織葉颯斗(おりばはやと)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。営業先に向かう途中、街頭演説の最中だった日毬と出会うことになる。

健城由佳里(けんじょうゆかり)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。新人として織葉颯斗の営業に研修のため同行していたとき、演説中だった日毬に出会う。

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