一刀両断(1)
文字数 2,450文字
「アステッド、っすかぁ……。触りたくないところが出てきましたねぇ……」
話を聞き終えた由佳里は、腕を組んで眉をひそめた。
営業の合間に、汐留の喫茶店に由佳里を呼び出し、状況を説明していたのだ。蒼通はすぐ傍である。
「由佳里はどこまで知ってるんだ? 俺なんて正直、アステッドに関してはゴシップレベルの話しか知らないんだけど」
「それは私もです。まぁでも、アステッド関連のタレントが必ず番組やドラマに出演できるように、テレビ局各社と裏条約のようなものがあって、タレント出演枠を持っていることくらいは普通に聞きますよ。実際、アステッド系列にそっぽを向かれちゃ、テレビ局は番組なんて作れませんからね。プレッシャーを受けてるのは局の方なんじゃないですか。蒼通にしてみれば、そんなことは局の判断であって、こっちには関係ないですよ。取引する分には一般的な企業です」
由佳里はひまりプロダクション創業のキッカケになった言い出しっぺであり、何かと気にかけてくれている。それに、日毬の営業を仕掛けてくれていた。由佳里が動いているのは蒼通を絡めた大掛かりな仕事だから、まだ形にはなっていない。だから由佳里には現状を知っておいてもらう必要があった。
「ほとほと困ってるよ……。日毬を譲り渡したくはないし……かといって抵抗を続ければ、日毬を売り出していくことは不可能になってしまう。テレビに無視され続けては、タレントの成功なんてありえない」
「無視ならまだマシです。放置すれば、そのうちテレビは日毬ちゃんのことを叩き始めますよ」
由佳里の指摘に俺はうなずく。
「それは俺も理解してる。雑誌やネットに叩かれるだけならそれほど痛くないが、誇張された雑誌やネットの記事に影響を受けてテレビが動いたりすると、一気に手詰まりになっちまうよ。だが、その流れになりつつあることを、肌でチリチリと感じてるんだ。考えるとゾッとするが……そういう世界だからな」
由佳里は顔をしかめる。
「むう……。創業以来、初めてにして最大の危機ですね」
「まだ創業したばかりだけどな」
「アステッドに勝てる気がしない……。アステッドは黒い噂が絶えませんが、暴力団関連なんでしょうか?」
「それも俺にはわからない。おそらく、経営陣の個人的な付き合いくらいはあるだろうが、会社としては違うというスタンスだろう」
昔から、芸能界は暴力団の重要な資金源のひとつだった。そもそも、入場料を取って客に演劇や舞台を見せる興行は、伝統的なヤクザ者のビジネススタイルと言っていい。
人を集めて祭りや盛事を執り行うには、ヤクザ者の協力が必要不可欠だった。ヤクザ者に興行をしきらせ、一定の利益配分をすることで、その地域での興行の安全を保障したのだ。それに数百年前から、芸能人の興行には用心棒が必要であることにも古今東西で変わりがない。今ならボディーガードという呼び名が妥当だろう。
ラジオやテレビが普及し、芸能の大衆化が急速に進んだから、芸能の世界もごく普通の人の割合が大半をしめるようになり、ヤクザ者の影が薄れたことは確かだ。それでも、元来の業界の基本構造が一朝一夕で変わるわけもない。そもそも芸能界はヤクザ者が作った側面もあるのだから。
そんなことは、メディア関係者なら誰もが理解している。芸能界から暴力団を追放しようとする運動を警察庁・警視庁が主導して行っているが、そんなことを達成できようか。誰が暴力団関係者で、誰がクリーンかなど、芸能人やプロダクションに目印が付いているわけもないのだから、本人の脳みそを解剖して聞かないとわからない。その判断を、警察がするなんてことの方が恐ろしい。本人は相手のことをよく知りもしないのに、たまたま暴力団関係者と飲み会の席で同席して写真を撮られ、それで黒と判断されたら堪らない。
要するに、少なくとも現状では、芸能界にブラックな勢力が入り込むことは自然な状態なのである。そしてメディアは微妙なバランスのなか、見て見ぬフリをして、既存のビジネスモデルに影響が出ないようにしているだけなのだ。
俺は声をひそめる。
「いろいろ方策を考えてるんだが……ここだけの話にしてくれよ。一案として、上納金を納めることを考えてる。日毬の譲渡には応じられないけど、日毬が活動して得た売上の一割を無条件で差し出すとかさ。そうすれば納得してくれて、逆に仕事を紹介してくれたりするような仲になる可能性も、ありうるんじゃないかと思うんだよな。かなり希望的観測が入ってるけどさ」
「こうしてアステッド系列のプロダクションが、またひとつ産まれるわけですね。なんですかその企業舎弟 。織葉組長の誕生ですか。親分、私も舎弟にして下さい!」
冗談交じりの口調で言う由佳里に、俺はクギをさす。
「うっせ。こっちは真剣なんだよ。杯 を交わすってわけじゃないんだから舎弟じゃない。宣伝に協力してくれたお礼に、広告費を払うみたいなものだ」
「用心棒代も広告費と言えなくもないですからね」
「経理上は、広告宣伝費に計上できる。経営指導料として扱ってもいい。その気になれば大丈夫だろう。問題は、アステッドがそれで納得してくれるのかどうかだ」
それから俺と由佳里は一時間ほど、今後の方策について話し合った。
由佳里は着々と日毬の仕事を準備してくれているようで、密かにさまざまな構想を進めているらしい。大掛かりだけに時間はかかるし、蒼通で動いているのは由佳里一人だから、実際に案件が決まるかどうかはわからない。しかし、これだけ力を入れて取り組んでくれる相手が蒼通にいるということは、間違いなく大きな柱である。
蒼通の後押しがある仕事が入ってくれば、日毬の今の知名度を踏み台にして、一気に上り詰めていくことができるはずだ。
やはり焦点は、それまでにアステッドとの悶着を解決できるかどうかだった。どうにかして、トラブルを終息させなくてはならない。
話を聞き終えた由佳里は、腕を組んで眉をひそめた。
営業の合間に、汐留の喫茶店に由佳里を呼び出し、状況を説明していたのだ。蒼通はすぐ傍である。
「由佳里はどこまで知ってるんだ? 俺なんて正直、アステッドに関してはゴシップレベルの話しか知らないんだけど」
「それは私もです。まぁでも、アステッド関連のタレントが必ず番組やドラマに出演できるように、テレビ局各社と裏条約のようなものがあって、タレント出演枠を持っていることくらいは普通に聞きますよ。実際、アステッド系列にそっぽを向かれちゃ、テレビ局は番組なんて作れませんからね。プレッシャーを受けてるのは局の方なんじゃないですか。蒼通にしてみれば、そんなことは局の判断であって、こっちには関係ないですよ。取引する分には一般的な企業です」
由佳里はひまりプロダクション創業のキッカケになった言い出しっぺであり、何かと気にかけてくれている。それに、日毬の営業を仕掛けてくれていた。由佳里が動いているのは蒼通を絡めた大掛かりな仕事だから、まだ形にはなっていない。だから由佳里には現状を知っておいてもらう必要があった。
「ほとほと困ってるよ……。日毬を譲り渡したくはないし……かといって抵抗を続ければ、日毬を売り出していくことは不可能になってしまう。テレビに無視され続けては、タレントの成功なんてありえない」
「無視ならまだマシです。放置すれば、そのうちテレビは日毬ちゃんのことを叩き始めますよ」
由佳里の指摘に俺はうなずく。
「それは俺も理解してる。雑誌やネットに叩かれるだけならそれほど痛くないが、誇張された雑誌やネットの記事に影響を受けてテレビが動いたりすると、一気に手詰まりになっちまうよ。だが、その流れになりつつあることを、肌でチリチリと感じてるんだ。考えるとゾッとするが……そういう世界だからな」
由佳里は顔をしかめる。
「むう……。創業以来、初めてにして最大の危機ですね」
「まだ創業したばかりだけどな」
「アステッドに勝てる気がしない……。アステッドは黒い噂が絶えませんが、暴力団関連なんでしょうか?」
「それも俺にはわからない。おそらく、経営陣の個人的な付き合いくらいはあるだろうが、会社としては違うというスタンスだろう」
昔から、芸能界は暴力団の重要な資金源のひとつだった。そもそも、入場料を取って客に演劇や舞台を見せる興行は、伝統的なヤクザ者のビジネススタイルと言っていい。
人を集めて祭りや盛事を執り行うには、ヤクザ者の協力が必要不可欠だった。ヤクザ者に興行をしきらせ、一定の利益配分をすることで、その地域での興行の安全を保障したのだ。それに数百年前から、芸能人の興行には用心棒が必要であることにも古今東西で変わりがない。今ならボディーガードという呼び名が妥当だろう。
ラジオやテレビが普及し、芸能の大衆化が急速に進んだから、芸能の世界もごく普通の人の割合が大半をしめるようになり、ヤクザ者の影が薄れたことは確かだ。それでも、元来の業界の基本構造が一朝一夕で変わるわけもない。そもそも芸能界はヤクザ者が作った側面もあるのだから。
そんなことは、メディア関係者なら誰もが理解している。芸能界から暴力団を追放しようとする運動を警察庁・警視庁が主導して行っているが、そんなことを達成できようか。誰が暴力団関係者で、誰がクリーンかなど、芸能人やプロダクションに目印が付いているわけもないのだから、本人の脳みそを解剖して聞かないとわからない。その判断を、警察がするなんてことの方が恐ろしい。本人は相手のことをよく知りもしないのに、たまたま暴力団関係者と飲み会の席で同席して写真を撮られ、それで黒と判断されたら堪らない。
要するに、少なくとも現状では、芸能界にブラックな勢力が入り込むことは自然な状態なのである。そしてメディアは微妙なバランスのなか、見て見ぬフリをして、既存のビジネスモデルに影響が出ないようにしているだけなのだ。
俺は声をひそめる。
「いろいろ方策を考えてるんだが……ここだけの話にしてくれよ。一案として、上納金を納めることを考えてる。日毬の譲渡には応じられないけど、日毬が活動して得た売上の一割を無条件で差し出すとかさ。そうすれば納得してくれて、逆に仕事を紹介してくれたりするような仲になる可能性も、ありうるんじゃないかと思うんだよな。かなり希望的観測が入ってるけどさ」
「こうしてアステッド系列のプロダクションが、またひとつ産まれるわけですね。なんですかその
冗談交じりの口調で言う由佳里に、俺はクギをさす。
「うっせ。こっちは真剣なんだよ。
「用心棒代も広告費と言えなくもないですからね」
「経理上は、広告宣伝費に計上できる。経営指導料として扱ってもいい。その気になれば大丈夫だろう。問題は、アステッドがそれで納得してくれるのかどうかだ」
それから俺と由佳里は一時間ほど、今後の方策について話し合った。
由佳里は着々と日毬の仕事を準備してくれているようで、密かにさまざまな構想を進めているらしい。大掛かりだけに時間はかかるし、蒼通で動いているのは由佳里一人だから、実際に案件が決まるかどうかはわからない。しかし、これだけ力を入れて取り組んでくれる相手が蒼通にいるということは、間違いなく大きな柱である。
蒼通の後押しがある仕事が入ってくれば、日毬の今の知名度を踏み台にして、一気に上り詰めていくことができるはずだ。
やはり焦点は、それまでにアステッドとの悶着を解決できるかどうかだった。どうにかして、トラブルを終息させなくてはならない。
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