ひまりプロダクション(10)

文字数 2,015文字

 続々と女の子たちが撮影を終えるなか、ジャージを着た日毬はプールの隅で一人うずくまっていた。
 編集担当者に挨拶を済ませた俺は、プールの隅に行き、うずくまる日毬の傍にしゃがみ込む。
「日毬、そろそろ時間だぞ」
 うつむいたまま、日毬はコクリとうなずいた。表情が見えないので、いじけているようにさえ見える。
「どうしたんだ? この前、由佳里と一緒に選んだ水着は着てきたんだろう?」
「着てきた……」
「じゃあホラ、ジャージはもう脱いで準備しないと。最後になっちまうぞ」
 順番を指定されたわけでもなく、とにかく早く準備できた女の子から撮影を済ませていた。撮影が終わった子は帰っていき、残りは数名だけになっている。
「はっ、恥ずかしい……」
 日毬は身体を強ばらせた。
「何を恥ずかしがることなんてあるんだ。今日ここにいる女の子のなかじゃ、日毬がナンバーワンだぞ」
「私の旦那(だんな)様になる相手ならともかく……衆目(しゅうもく)に意味もなく肌を晒すなど……やはり私には……」
 俺は言葉に熱を込めず、できるだけ冷静に状況を伝えることにした。頭の良い日毬には、若い子に対するような説得や説教は必要ない。対等な大人に向かうよう、俺は客観的に説明していく。
「日毬、決断のしどころだ。日毬を売り出していくためには、グラビアは避けて通れない道だと思う。日毬の最大にして唯一の売りは容姿だからだ。美貌とスタイルを他のアイドルたちと比べてもらえれば、日毬には必ずチャンスがやってくる。今回は写真二枚載るだけだが、今後は数ページにわたって掲載されることもあるし、写真集を出す機会だってある。これを乗り越えられなければ、日毬はスターダムにのし上がることはできないぞ」
「頭ではわかっているんだ……でも……」
「どうする? ここで降りるか?」
 穏やかな口調で俺は言った。
「降りたら、また街頭演説の日々だ……。私は他にできることを知らない……」
 やっと日毬は顔を上げた。今にも泣き出しそうな表情だ。
 ここで押し切っても良かったが、それはフェアじゃない。俺は一歩引いて、日毬に考えさせることにした。
「決して街頭演説ばかりが日本を変えることではないと思う。日毬が時折やっているような福祉活動やボランティアに懸命になることも、日本に貢献する道だと思うぞ。道はたくさんあるはずだ」
「ダメだ。もっと上から、根本的な国家像の変革が必要な時なんだ。病院で長期入院を余儀なくされる子供たちに接するほど……彼ら彼女たちが長期的に、安心して過ごせる国が求められている。日本は必ず、万民に温かい機会を与えられる国が作れると私は思う。その使命が、私にはあるんだ」
 切々と、日毬は思いの丈を打ち明けた。
「だから日毬は日本の頂点に立つって話だろ? 俺はそれに乗った。日毬が降りるなら、俺も一緒に降りるだけだ。責めはしないよ」
「そうだ……颯斗はこんな私に乗ってくれた……。ありがとう……。それなのに私は、颯斗に恩のひとつも返せていない。それに、これからも颯斗に傍にいて欲しいと思う」
「俺なんて何もしてないよ。プロダクションだってほとんど金はかかってないんだ。明日廃業したって損はしない。ちょっと気まぐれに付き合ったと思えば、後悔もない。日毬がやりたいことを優先させるといいぞ」
「私は日本を変えるんだ。それは私の命よりも優先する。だから私はやらなくてはならない。日本万民の未来のために。己自身の恥ずかしさなど、如何ほどのこともない」
 まぶたを閉じた日毬は、ゼイゼイと何度も深呼吸を繰り返した。
 しばらくして目を見開いた日毬は、決意に満ちた様子で空を見やる。
「日本、万歳……」
 祈るように、真剣な面持ちで日毬は小さく口にし、唇をかみしめた。
 そしてスックと立ち上がった日毬は、震える手つきでジャージのファスナーを下ろし、服を俺に預け渡してきた。
 顔を赤らめ、両手で胸の辺りを隠すようにしつつも、上目遣いで俺を見上げて口にする。
「い、行ってくる」
「ああ。行ってきな」
 俺は肩をトンと叩いて、日毬を送り出した。
 見事なプロポーションだと思う。毎日、剣道の訓練も積んでいるらしく、腕や股のたるみも微塵もない。絶妙な筋力は日毬の優れたスタイルをさらに引き立たせている。
 日毬に視線を向けたカメラマンは、口笛をふく。
「ひゅー、最後の最後で真打ち登場だな」
「……よろしくお願いする」
 それから撮影が始まった。
 かける時間は一人当たり一〇分程度だから、すぐに終わるはずだ。
 カメラマンの指示に忠実に従う日毬だったが、やはりぎこちなかった。この前の撮影ではキッチリできていた笑顔も、今度ばかりは強ばっているように見えた。こればかりは、水着撮影に慣れるまで仕方ないだろう。
 それでも日毬は懸命に撮影に応じ、無事に仕事を終えることができたのだった。
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登場人物紹介

神楽日毬(かぐらひまり)

日本の未来を憂う女子高生。雨の日も風の日も、たゆまぬ努力を重ねて政治活動に励んでいる。

織葉颯斗(おりばはやと)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。営業先に向かう途中、街頭演説の最中だった日毬と出会うことになる。

健城由佳里(けんじょうゆかり)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。新人として織葉颯斗の営業に研修のため同行していたとき、演説中だった日毬に出会う。

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