プロローグ(1)

文字数 3,366文字

 市ヶ谷駅を降り立ち、防衛省の本部正門へと続く並木通りはいつも粛然(しゅくぜん)としている。この道を行き交うのは防衛省職員か出入り業者が少なくない。自衛隊の制服を着用した士官たちや、隊員を乗せたジープなどが頻繁に出入りし、東京でもっとも軍の存在を身近に感じる場所だった。
「それにしても、どうして自衛隊は妙なコンセプトに走るんでしょうね? 先輩、そう思いません?」
 隣を陽気に歩く部下――健城由佳里(けんじょうゆかり)は、不思議そうに俺を見上げてきた。
「『美少女が防衛を語る』って広告コンセプトか? いや、ありがちだろ。今どき珍しくもない。そんな広告、街に(あふ)れてるよ」
「でも公官庁がそんな広報を求めるなんてどうかしていると思います。どうして二三歳じゃダメなんですか!」
「二三歳じゃダメなんて誰も言ってねぇし……。つーか由佳里、広報VTRに出たいのか?」
 ようやく仕事にも慣れてきた由佳里は蒼通(そうつう)に入社して二年目、まさに二三歳である。二三歳が少女に該当しないことには異論の余地などないが、ピンポイントに自分の年齢を指定してくるあたり、由佳里の飾り気のなさが(うかが)える。
「まさか。私は蒼通の社員です。その辺のタレントなんかと一緒にしないでください。……でもちょっとだけ、出てあげてもいいかなって思いますね。必死に頼まれればですけど!」
 蒼通は、日本最大の総合広告代理店だ。広告事業単体の企業として見れば、世界最大でもある。蒼通の社員自らが広告に出るなんて聞いたことがない。
「出たいんだな。別にいいけどさ、出演してくれても。どうせタレントのギャラなんてロクに払える案件じゃないんだ」
「ほうほう、そうですかそうですか。先輩がそんなに頼むなら、考えてあげなくもないですね。ミス早稲田クイーンの座に輝いた私としては、会社のために、この身を削ってご奉公せざるを得ないということでしょう。なんという社員を酷使するブラック企業。うん、でも、それなら仕方ない」
「正直、ミス早稲田って響きがどうも野暮(やぼ)ったく聞こえるのは気のせいか」
 冗談交じりに言うと、由佳里は大げさに俺を指差してくる。
「今、先輩は全国の早稲田OBを敵に回しました。ロックオンです。これでも一万数千の女子学生のなかで頂点に立ったんですからね。先輩の目は節穴(ふしあな)ですか? それとも脳ミソの方ですか? ……あ。なるほど、そっち系の、女性に興味を持てない人ですね。わかります」
「そのさ、先輩って呼ぶの止めてくれる? 青春スポーツ漫画みたいでこそばゆいんだが」
「先輩は先輩じゃないですか。私には先輩の言うことがわかりません」
 由佳里は高校時代、強豪で知られるテニス部に所属していたと聞いている。そもそも早稲田にも、テニスでの活躍が評価された推薦入学だったらしい。だから人一倍、上下関係には厳格なのだ。ただ、会社にまで部活動のマナーを持ち込むのはどうかと思う。
 俺――織葉颯斗(おりばはやと)は蒼通に入社して五年目。二六歳だ。由佳里は三つ下で、俺が初めて受け持った部下だった。
 俺たちは公官庁の営業を担当する事業部にいる。官庁が公示する一般競争入札案件を整理し、適切な企画と価格を提案していくことが仕事だった。今日は、すでに受注している防衛省の広報ビデオ制作のための打ち合わせにやってきたのである。
 もうすぐ防衛省の正門入り口に到着しようという頃――。
 ふいに、女の子の朗々とした声が響いてきた。
「真正なる右翼は、日本に私ただ一人である。有権者諸君、我が国は今、大きく(かじ)を切るべき瞬間を迎えている。日本が取れる指針はもはや少なく、残された時間には猶予もない。それ故、真に国家を愛する私――神楽日毬(かぐらひまり)は、日本の独裁者となり国家を正すことに魂を尽くす所存である」
 行く手には、拡声器を持って叫ぶ女の子。防衛省を囲む小高いコンクリートの壁沿いに、高校のブレザーを着て、軍人のように少女が直立していた。
 俺たちの前を行く通行人は、女の子と視線を合わせないようにして、そそくさと前を通り過ぎてゆく。
「なんでしょうね……あれ……」
 由佳里が呆れてつぶやいた。
「さあな……。右翼って名乗ってたし、右翼なんじゃないか……?」
 女子高生はひときわ高い声を張り上げる。
「真正なる右翼は、日本に私ただ一人である。有権者諸君、私は決断したのだ。政治家になってこの国を正すのだと。たしかに一六歳の私には被選挙権はない。それでも、今までの常識に縛られないでほしい。もはや過去の常識を引きずっていては、将来の安寧(あんねい)を手にいれることはできない。未来のため子供たちのため、日本は今、変わるべき時にある。自友党を廃し、民政党を放逐し、私が日本の独裁者になることでしか、この国の未来は開けない」
「一六歳……? 右翼というより、超絶なファシストなんじゃ……ううん、無政府主義者……?」
 由佳里は毒気を抜かれたようだった。
 俺たちは肝をつぶし、少し離れたところで思わず立ち止まった。
「真正なる右翼は、日本に私ただ一人である。有権者諸君、近年ウィキリークスは、ある他国高官が語った言葉を暴露した。『日本は肥満した敗者だ』と。現在の日本を(かんが)みるに、悲しいかな、的を射ている表現だと言わざるを得ない。大東亜戦争に敗れて以来、我が国は牙を抜かれ、丸々と肥え太ってきた。だがしかし、(うたげ)は終わりの時を迎えたのだ。肥満した自らの身体を持て余す私たちは、思うように身動きが取れず、動脈硬化に陥ってしまった。日本は今、かつてない危機の渦中にある」
 まじまじと女の子を見据えながら、俺はぼそりと口にする。
「なぁ……あの子、相当な電波っぽいけど……マジ可愛(かわい)くない?」
「私よりも?」
「冗談言ってろ。これから提案する自衛隊の広報に、ああいう感じの子がマッチすると思ったんだよ。一六歳ってことは女子高生だし、スッピンだろ。あのレベルなら即使えるなぁ」
「私はスッピンでも変わりません」
「訊きいてねえよ。それにしても、ふぅむ……」
 立ち止まって演説を眺め入る俺たちに気づいたのか、女の子はこちらへ熱い視線を注いでスピーチを繰り広げ始めた。
「有権者諸君、どうか私を支持してほしい。どうか私と共に、日本を一新する大業へと乗り出してほしい。我々が力を合わせれば、いかなる困難があろうとも、日本は何度でも立ち上がることができるだろう。優秀なる大和民族の子孫である我々は、奥底に計り知れない力を秘めているのだ。今こそ力を解き放ち、太平の未来を描き出す必要がある」
 もはや女子高生はこちらに身体ごと向き、俺たち二人に狙いを絞って演説していた。
「有権者諸君、私が総帥(そうすい)を務める政治結社日本大志会(にほんたいしかい)は、国民の力を結集し、我が国の復権を志向する正しき政治団体だ。我々は広く結社員を募集している。その心に熱い想いを宿したならば、いつでも私に声をかけてほしい。入会資格は日本国籍所有者であるということだけだ。私は、諸君らを同志として温かく迎え入れたい」
 演説少女と俺は、視線がガッチリとかち合った。少女は激しい身振りを交えて、俺に切々と語りかけ続けている。
――やばい。演説を聴いているとは思われたくない……。
 俺はサッと視線を背け、足早に歩きだした。後を追うように由佳里も付いてくる。
 できるだけ視線を合わせないように……かといってあからさまに視線を背けず、無関心を装って小走りに前を通り過ぎたのだった。
「真正なる右翼は、日本に私ただ一人である。有権者諸君、我が国の財政は危機に(ひん)しつつあり、周辺諸国より領土を(かす)め取られんとしている間際にある。私、神楽日毬は常日頃から日本の未来を(うれ)い――」
 拡声器を通した演説少女の声は背中に追いすがってきた。
 振り返れば負けなような気がする。ただただ俺たちは無心に歩き続けた。
 あんな少女がいるのかと茫然自失(ぼうぜんじしつ)としながら、俺と由佳里は言葉も交わさず、急ぎ足で防衛省正門へと向かったのだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

神楽日毬(かぐらひまり)

日本の未来を憂う女子高生。雨の日も風の日も、たゆまぬ努力を重ねて政治活動に励んでいる。

織葉颯斗(おりばはやと)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。営業先に向かう途中、街頭演説の最中だった日毬と出会うことになる。

健城由佳里(けんじょうゆかり)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。新人として織葉颯斗の営業に研修のため同行していたとき、演説中だった日毬に出会う。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み