アステッドプロ(8)

文字数 3,467文字

「おめでとう、日毬。テレビのレギュラー番組が一本決まったぞ。こいつは記念すべきことだ。これからも次々と話が舞い込んでくるはずだ」
 事務所にやってきた日毬に、俺は開口一番、そう声をかけた。
「レギュラーとは何だ?」
 丁寧に靴を揃えながら日毬は訊いてきた。
「定期的に出る番組が決まったということだよ。毎週、同じ時間に、日毬がテレビに出るということだ。しかも、ほとんど看板タレントとしての扱いなんだ。駆け出しのアイドルとしちゃ、こいつは凄いことなんだぞ」
 俺は熱っぽく言ったが、日毬はあまり興味を示さなかった。応接ソファにちょこんと座り、気のない素振りで俺を見やる。
「私の目標はタレントなどではない。タレントとして褒められても嬉しさを感じないな。しかし、テレビに登場する機会が増えるということは、日本大志会の目標に一歩近づいていると言えるだろう」
「そういうことだな。他の番組からもいろんなアプローチがあるから、今後も立て続けに出演番組が決まっていくだろう。むしろ日毬のスケジュールをどう調整するか、心配で仕方ない。学校を休まなくてはいけないことも増えてくると思うけど、抵抗あるか?」
「私は自発的に勉強しているから、わざわざ学校の授業で学ぶ必要があるかどうかと問われれば、いささか疑問がある。むしろ颯斗と一緒にいる方が、はるかに勉強になるから驚いているくらいだ」
 俺は机を立ち、日毬に相対してソファに座りながら訊いてみる。
「学校と実社会を比べたら、そりゃそうだろう。大学に進学する予定、あるか?」
「ない。姉上も高校を出てすぐ、うちの道場を継いでいる。私も大学なぞに行く時間があるのなら、政治結社日本大志会の政治活動に全力を尽くすべきだと考えている。余計な時間を費やしている場合ではない」
「なるほど……。しかし日毬はタレントじゃなく、政治家を目指しているわけだろう。俺の立場としては大学進学を勧めるべきところだが……」
 日毬の学力のほどは知らない。しかし、頭は悪くない子であることは十分にわかっている。日毬は決して天才肌ではないが、他人が遠く及ばないほどの堅実な努力家だ。俺としてはしっかり教育環境を用意してあげたいところだった。だが最終的には日毬が決めることでもある。
「日本は懐が深い国だぞ。日本のトップは中卒だろうが大卒だろうが関係ない。器の方が重要だ。私は日々研鑽(けんさん)を重ね、器を磨いていると思う。それに教育はどこかへ行って学ぶものではなく、自分自身で吸収するものだ」
「そうか……。そこまで日毬が言い切るなら、それもいいか……。じゃあ日毬の勉強時間を、俺が気にする必要はないということだな?」
 たしかに日毬の言う通り、日本は海外と比べて学歴閥の影響は小さい。学歴が壁になるのは、大企業への入社を目指すときにほぼ限定される。日本には実力があれば人の上に立てる風土がある。田中角栄のように中卒が総理大臣にまでなり得るのは、日本だけの現象だ。これがヨーロッパや中国だったとしたら階層が固定されてしまい、そうは問屋が卸さない。
 たとえば自由・平等・友愛を掲げた市民革命で民主主義の土台を作ったとされるフランスの実像は、小さな子供のころに少数のエリート組に入れるか、それとも下層民かが明確に決まってしまう夢のないエリート社会だ。少し前まではアメリカも幅広い層にチャンスがある国だったが、近年、急速にヨーロッパ化してしまった。
 それに比べれば日本はまだ風通しがよくて、勉強エリートのことを優秀だとか偉いだなんて本心では誰も考えていない。泥臭い環境のなかを実力でのし上がっていく人の方が尊敬の対象になる。武士だった家康よりも、農民上がりの秀吉の方が好まれる社会なのだ。
 欧米の支配層は総じて極めて優秀なことは間違いなく、大衆が絶対的にバカな存在だと考えている。一方、日本の支配層は大衆と変わらない。
 もしかしたら風土だけでなく、日本は大学教育の中身が薄く、かつ学生のモチベーションも受験が終わるとプッツリ途切れてしまうので、中卒と大卒の実力に大して違いがないという理由もあるだろうか。どこかに就職口を求めているわけではない日毬にとって、大学に行く行かないが、人生を規定する材料にならないことは確かだ。少なくとも日毬に、強く進学を勧める理由はないかもしれない。
「私の人生は日本国家と一体化している。少しでも余計なことに時間を費やしている余裕などないのだ。ならばこそ、私は人前で水着にだってなっているのだぞ」
 そんな日毬の話に、俺は思わず微苦笑した。水着グラビアと政治的成功が結びついていることに、つい笑みがもれてしまったのだ。
「颯斗? 何がおかしいのだ?」
「いや、なんでもない。わかった。これからは日毬の勉強時間など考えず、全力で売り込みを続けていくことにしよう。……ところで、日毬に注目する人々が凄まじい勢いで増えている。そこでだ、プロダクションとしては、日毬のファンクラブを創設しようかなと考えているところだ」
「ファンクラブとは、具体的にどのようなものか教えてくれないか」
「日毬のことが好きな人たちがファンクラブに入会すれば、優先的に日毬の最新情報を流してもらえるとか、ファングッズを手に入れられるとかするわけだ。その他、さまざまなサービスがあっていい。誕生日には日毬から直筆のハガキが届くとか、ファンクラブ会員だけを集めて日毬と握手会をするとか……。もちろんファンクラブに入会するにはお金がかかる。月五〇〇円として、年間六〇〇〇円で会員になれるなどの形を取るわけだ。しかし別に、これで儲けようって話じゃない。金銭面だけなら赤字だろう。ファンを大切にするためには必要な活動のひとつだ」
 日毬は腕を組んでうなる。
「ふぅむ……。政治結社日本大志会ではダメなのか? 党員になった者には、私の演説を優先的に聴かせたり、政権奪取のための会合に参加してもらったりするといい。集めた党費の収支報告も全党員にきちんとしていくから、颯斗の言うファンクラブよりも公明正大なものになるはずだ」
「党員……それは、どうなんだろうか……。もしかしたら今回の事態で、党員って増えてるのか?」
 俺の問いに、日毬の顔がパッと輝いた。
「まだまだ少ないが確実に増えているぞ。申込はネットでのみ受け付けているのだが、党員数は一気に一五〇名に達したんだ。このままいけば、今月中には二〇〇名を超えるだろう。ほんの少し前まで私一人しか党に所属していなかったことを考えると、格段の成果だ。やはり私は颯斗についてきて良かったんだと思う……。颯斗には、感謝してもしたりない……」
「一五〇名ってことは、党費は毎月三〇〇〇円だから……月四五万円の党収入ってことか……。そいつはなかなかのものだな」
 まぁ、このレベルでマスコミに取り上げられ、一躍時の人となれば、こんなものだろう。一五〇名は案外少ない方だが、極右思想を掲げているのだから仕方ない。もしかすると一時的に千単位に達するかもしれないが、その辺りで頭打ちするのではないだろうか。
 いくら閉塞感や不況感が暗く世相を覆っている現状でも、この日本で、そうそう簡単に極右団体が万単位の人数になるわけもない。一定数まで行けば、その後は少しずつ減少していくかもしれない。
「考えてみれば……日毬が政治結社でファンを集めているのに、もうひとつファンクラブを立ち上げるわけにもいかないか……。政治結社はどうかと思うが、ファンから二重取りするわけにもいかない。しばらく日毬に任せてみるしかなさそうだ」
「颯斗、任せて欲しい。日本大志会はきっと、党員三〇万人に拡大することだろう。自友党の党員数は一〇〇万人前後いるからまだまだ遠く及ばないが、それでも一定の発言権を持つ政治結社として、重要な役目を担うことになるはずだ。数年後には党員一〇〇〇万人を目指したい」
 日毬の声は確信と情熱に満ちていた。
「そういうことじゃ……ないんだがな……」
 応えに窮し、俺は言葉を濁らせた。日毬は真剣そのものだし、国を愛する心は重々理解しているので、決意を踏みにじるようなことは言いづらい。
 何にしても、ファンが増えるのはいいことだ。とにかく今は、将来の政治的なトラブルを心配するよりも、この地盤を固める方が大切である。
 それから取材や番組出演の日取りを調整し、日毬のスケジュールはびっしり埋まったのだった。
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登場人物紹介

神楽日毬(かぐらひまり)

日本の未来を憂う女子高生。雨の日も風の日も、たゆまぬ努力を重ねて政治活動に励んでいる。

織葉颯斗(おりばはやと)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。営業先に向かう途中、街頭演説の最中だった日毬と出会うことになる。

健城由佳里(けんじょうゆかり)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。新人として織葉颯斗の営業に研修のため同行していたとき、演説中だった日毬に出会う。

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