ひまりプロダクション(6)

文字数 3,432文字

 日毬は、平日昼は大人しく学校に通い、放課後は街頭演説をせずに出社してくるようになった。弁当屋でのバイトも辞め、政治結社としての活動も控え目にしたそうである。
 また、日毬は土日祝祭日にボランティア活動をしているそうで、それは仕事の状況に合わせて臨機応変に取り組むことになった。日毬が所属しているボランティア団体は、児童養護(ようご)施設に入所している子供たちに対して学習指導をしたり、さまざまな行事を催して子供たちを支援しているところだった。日毬はその活動を細々とでも続けていきたいという意向で、できるだけ休日の予定は入れないようにする方針を立てた。
 日毬は努力家だ。仕事がなくても、平日は学校が終わると事務所にやってきて、俺が買い揃えたタレント関連の書籍を読み込んだり、大手モデルエージェンシーが毎年発行している所属モデル名鑑を隅から隅まで眺めたりと、業界のことを少しでも知ろうと懸命だった。
 幾つかの営業先に電話をかけ終わった俺は、ちょこんとソファに座ってモデル名鑑を眺めていた日毬に声をかける。
「日毬。一定期間、タレントの養成学校に通ってもらおうと思ってる。考え方とか、歌やダンスなんかを学ぶことができるはずだ」
 やたらと分厚い名鑑から、日毬は視線を上げる。
「そんな学校があるのか?」
「幾つかある。普通はこんなところに通ったからといって、プロダクションにスカウトされたり、タレントになれるわけじゃない。こういう類の学校は、芸能界に憧れる連中からお金を吸い上げるビジネスだ。それでも、基礎的な指導は行ってくれる。日毬の場合、すでにタレント活動をしているわけだから順序は逆だが、吸収できることはあるだろう」
 日毬が説明を吞み込んだのを確認し、俺は続ける。
「それから、歌やダンスの専属教師を付けることも検討してる。もう少し日毬の適性を検討してみて、営業の進行と合わせていろいろ試してみるつもりだ」
「わかった。最善を尽くそうと思う」
 日毬はモデル名鑑に再び視線を落とし、口にする。
「しかしこうして見ると、みんな自信に満ちた顔ばかりに見える。本当に私が戦えるのだろうか……」
「でもさ、よくよく見れば、大して美人がいるわけでもないだろう? その辺を普通に歩いているようなレベルの子ばかりさ」
 はっきり言って、掲載されている子の大半は、特筆すべきほど可愛いわけではない。ごく普通の子ばかりである。このなかに日毬が並べばすぐに一目置かれるだろう。
 かと言って、ずば抜けて美人だから売れるわけでもないのが芸能界である。もっともこれは、芸能界に限らず、あらゆるコンテンツビジネスに共通する不思議な現実だ。
「そうなんだろうか……私には美人が多いように見えるが……」
「そんなことはまったくない。ポーズを決めているから堂々として見えるだけさ。日毬は自分がどれほどの美貌の持ち主か、まだ自己認識できていないだけだ。……たとえば、その名鑑には五〇〇人を超えるタレントが掲載されている。だが、そのうちまともに仕事があるのは、上位の数名だけなんだ。九八%は、ただ掲載されているだけ」
「みんな仕事があるから載っているわけじゃないのか?」
 不思議そうに日毬は訊いてきた。
「そこに自分を掲載するにはお金を払わなくちゃならないんだ。大きく一ページ使って掲載されるためには四〇万円、小さな写真とプロフィールが掲載されるだけなら一〇万円という具合にな。要は、掲載されているモデルが、自分でお金を払ってる」
「ど、どういうことなんだ?」
 日毬は目を白黒させた。
「その所属タレント名鑑自体が、ひとつのビジネスなんだ。掲載されてる女の子たちから集金すれば、プロダクションは濡れ手に粟で稼げるだろう。名前の通った大手プロダクションだからこそできるビジネスモデルだな」
「その理屈はわかるが、どうして女の子たちがお金を出すのだろうか。だって仕事もないのだろう?」
「そりゃ簡単な話だ。誇らしい想い出にもなるだろう。自分が大手モデルエージェンシーに所属したタレントだったんだっていうな。四〇万円でそういう過去の事実を作れるのなら、あんがい悪くないのかもしれない。たとえ一度も仕事が入らなかったとしても、モデルとして活動した記録はまったくのデマじゃないからな。日毬には実感が持てないかもしれないが、そういうことで喜ぶ女の子は意外と多いものだ。この名鑑は、生涯の宝物になるんじゃないか」
 俺は机を立ち、日毬が座るソファに相対して腰かけた。
 首をふって日毬はつぶやく。
「私にはわからない。だが、すごいところなのだな……芸能界というのは……」
「そのなかから、たまたま運を摑んでメジャーにのし上がる子だっていないわけじゃない。その辺はもう誰にも予測できないし、本人の努力だけでなんとかなる世界でもない。幾つか重要な要素はあるが、極めて政治的な世界でもある。美人だとかスタイルが抜群だとか、それはたしかに重要な要素だが、必須というわけでもない。これから日毬が大政治家を目指していくにあたって、通じる部分も多いはずだ」
 日毬は図抜けた美貌の持ち主ではあったが、それは成功に直結しない。普通の子でも売れることが多々あるのが芸能界というところである。
 タレントが売れるために一番重要なものは、「パワーのある芸能プロダクションが、本気でそのタレントを売り出そうと思うこと」だろう。これがすべてと言っても過言ではないほど圧倒的なことだ。これさえあれば、女の子の美貌の良し悪しにかかわらず手堅く売れる。
 次点として、「運」「時流」「タイミング」も必要だし、「本人の努力」というのも不可欠なことだ。しかしプロダクションの意志ほどには重要なことでもない。「美貌」や「スタイル」は、その後に続く要素だろう。
 ひまりプロダクションは創業したばかりでパワーには乏しいが、それでも日毬一人を脇目も振らずに売っていこうとしている分だけ可能性はあるはずだった。大半のタレントは、所属しているプロダクションから見向きもされていないのだから。大手だろうと中小だろうと、売り込みを担当する営業には限りがあるし、全タレントに等しく力を分散するわけもない。何らかの要素を見出した上位数パーセントを集中して売り込むだけである。
 よく芸能界を扱った漫画・映画・小説・ゲームなどで、最初の段階から、無名のヒロインにオーラがあるような扱いになっていることがある。そのオーラに周りは徐々に感化され、動かされ、ヒロインたちがスターダムにのし上がっていくというストーリーだ。だが、物語を物語たらしめるために、やむを得ずそういう設定にしているだけである。
 最初に誰の目にも明らかなのは、そのタレントの「美貌」と「スタイル」だけだ。その両方とも、日毬は完璧に兼ね備えている。だがそれは絶対不可欠な条件ではなく、プロダクションの力や運によって道が切り開かれてゆく。オーラなど、有名になった後からついてくるものにすぎない。
 経営者でも政治家でも芸能人でも、オーラを放っているのは成功している者だけだ。人々は、「あの人はテレビで有名」とか「著名な賞を受賞した人」という事実を通して、権威というオーラを感じるわけである。そして大多数の一般大衆は権威に弱いから、オーラを感じる相手に声援を送ったり、嫉妬したりするのである。
 権威を屁とも思わない者には、オーラなど感じられない。有名人がいても、そこに群がる大衆に冷ややかな視線を送り、自分は素通りするだけだ。
 たとえば身近なところで言えば、俺のオヤジもオーラを放っている。しかも圧倒的なレベルで。子供の頃から俺は、そのオーラに(さら)され、四苦八苦してきたのだ。だがその威光は、東王印刷や織葉家の財産、元経団連会長という肩書きなどを体現したものであって、決してオヤジ個人が放っていたものではない。仮にオヤジがただの貧乏な中年の身分であったとしたら、頭の中身がまったく同じでも、オーラを放つことなどありえないのだ。
 現時点、明確なのは日毬の美貌とスタイルだけ。これは今売れているどんなタレントと比較しても負けない自信がある。その上で、これから日毬が売れてくるために必要なことは、俺の努力と、運と時流だけである。やれることはすべてやりつつ、時が巡ってくるのを天に祈るしかない。
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登場人物紹介

神楽日毬(かぐらひまり)

日本の未来を憂う女子高生。雨の日も風の日も、たゆまぬ努力を重ねて政治活動に励んでいる。

織葉颯斗(おりばはやと)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。営業先に向かう途中、街頭演説の最中だった日毬と出会うことになる。

健城由佳里(けんじょうゆかり)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。新人として織葉颯斗の営業に研修のため同行していたとき、演説中だった日毬に出会う。

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