アステッドプロ(3)

文字数 3,727文字

 俺と日毬は事務所のソファに座り、揃ってテレビを見やっていた。日毬の特集が流れるのを、リアルタイムでチェックしているのだ。
 型に沿って流れるように日本刀を振り回した日毬が、カチリとサヤに刀を収めたところで画面が切り替わった。今度は、日毬が道場に正座して、リポーターと向かい合う映像だ。
 ヒザを折って目線を合わせたリポーターが、日毬に問いかける。
「日毬ちゃんはグラビアアイドルとして活躍されていますよね。それからCMや雑誌モデルでも……。一方で政治団体を運営しているとは、どうにもピンときません。どうしてアイドルをやっているんでしょうか? または政治団体をやっている理由でもいいです。教えてください」
 稽古着やハチマキはそのままに、日毬は日本刀を横に置き、正座したまま語る。
「私にとってアイドル活動とは、すなわち政治活動だ。それ以上でもそれ以下でもない。私にはなぜ貴公がそのような疑問を持つのかわからない。私には、芸能界にいることと、政治団体を運営することの間で、まったく矛盾(むじゅん)はないのだからな」
「なるほど……アイドルとは政治というわけですか……。これは興味深いですね。では、政治活動の抱負などを教えてくれませんか?」
 日毬はカメラに真剣な眼差しを向けて胸を張る。
「真正なる右翼は、日本に私ただ一人である。有権者諸君、我が国は今、大東亜戦争終戦以来、最大の国難を迎えている。政治は混迷し、日本民族は自らのアイデンティティを喪失しかねない分水嶺(ぶんすいれい)に立っているのだ。ならばこそ、私が日本を死守しなくてはならない。いかなる苦難を押し通してでも、私は私の政権を打ち立て、日本を救ってみせる。私には日本を背負う覚悟がある」
「どこから突っ込めと! ていうか、自分の政権を打ち立てるわけですか!? それはクーデター予告!?」
 リポーターが驚愕するも、日毬は冷ややかな視線を向ける。
「わからんな。なぜクーデターに繫がるのだ? 政権を獲る方法は暴力的手段だけではあるまい。私は党員を集め、自らの政党を大きくしていくつもりだ。そこから政権を奪取するための戦略は、臨機応変に考えるべきだろう」
 そんな風に、いつも通りの日毬と、リポーターとの間で、微妙にずれたやり取りがテレビでは続いていた。
 鼻をすする音が聞こえ、俺はテレビから視線を外して日毬を見やった。すると日毬は目を充血させ、涙を流していた。
「ど、どうして泣いてるんだ……?」
 俺が訊くと、日毬は涙をふきながら応じる。
「私の活動が……こんな風に全国に紹介されるとは……。今ほどアイドルになって良かったと思ったことはない……。颯斗……ありがとう……本当に、本当にありがとう……」
 感動しているのだろうか、身体は小刻みに震えていた。
 俺がティッシュの箱を前に差し出すと、それを日毬は何枚も摘み、鼻をかんだ。
「泣いてるヒマはないぞ。これからも取材が大量に入ってる。グラビアやモデルの仕事は目に見えて増えたし、日毬を巻頭にしてガンガン推したいって申込が引きも切らない状況だ。それから、テレビのエンタメ番組からレギュラータレントとしての出演依頼まである。ここまで来たら引き返せないから、この路線で行けるところまで押していくしかない。とんでもなく忙しくなるけど、大丈夫そうか?」
「私はやり遂げるつもりだ。とうに私は自分の命など捨てているのだからな」
 日毬の返事には悲愴感が漂っていた。覚悟を決めているということだろう。
「しかしだ、日毬にはすべて伝えておくけど、正直、これは難しい舵取りだぞ。今回の知名度の高まりは、日毬にとって諸刃の剣になる。今まで俺が営業で()いてきた種は、壊滅したに違いない。とくに大手企業CMへの日毬の出演は絶望的だ。ゼロから戦略を練り直す必要がある」
「なぜ壊滅したというんだ?」
「そりゃ簡単だろう。物怖じせずに政治的な発言を繰り返す日毬を、商品宣伝に使おうと考える企業なんて、まずないからだ」
「なぜだ。財界は私を真っ先に支援するべきだろう。私は日本国にとって味方でしかないというのに」
「そう思ってるのは日毬だけだ。経済活動は全世界と繫がってる。とくに日本企業のアジア圏との結びつきは深いし、政治的な波風はできるだけ立てないで欲しいと願ってる。ならばこそ日毬を商品宣伝に使うなんて、自ら地雷を踏むみたいなものだろう」
「私は何もアジアを侵略しようと企んでいるわけではないぞ。国境問題さえなければ、戦争などする必要はない。時にはアジア諸国と手を取り合って、欧米に対抗することも必要だろう。それにもかかわらず、なんという軟弱姿勢。企業こそ、国家と共にあるべきだ。敵は本能寺にあり……」
 日毬の言葉に、すばやく俺はクギを刺す。
「それは違う。元来、経済活動と政治活動は相容れないシロモノだ。あらゆる経済活動は、すべての消費者から愛される商品を作ることが最終目標にある。反面、政治活動は対立する組織に打ち勝ち、政権を奪取することが目標だ。政治は常に、暴力的な姿勢を内在している。企業の立場に立ってみれば、よほど政治的利権を有している企業以外は、可能な限り政治から遠ざかっていたいと考えるのは当然の姿勢なんだ。そしてメディアも芸能人も、企業がお金を出してこそ成り立つものと言っていい」
 決して企業だけではない。来年度の防衛省の仕事も絶望的だし、官庁や公益団体にも敬遠されてしまうだろう。第二次世界大戦での敗北の呪縛が未だ解けない日本では、とくに政治的発言は機微(きび)な注意を要する問題だ。
 日毬は断固とした口調で言う。
「しかし私にとっては、アイドルとは政治活動に他ならない。最初から颯斗も知っていたはずだ。第一、政治的な頂点を目指すなら、タレントとして頂点を極めることが一番早いと私に教えてくれたのは颯斗と由佳里だろう。私は政治の世界で頂点に立つために、アイドルの道を選んだのだ」
「それは俺も把握している。だが物事には順序というものがある。芸能人として押しも押されもせぬ地位を確立した後で政治に進出するなら、波風を乗り越えていくことができたはずだ。事実、ろくに政治も知らないタレント議員・スポーツ選手議員が世の中には溢れてる。しかし今は、日毬はタレントとして売り出しの真っ最中にあった。波風は強く、日毬の知名度急上昇に嫉妬(しっと)する人間も多い。だからこそ、俺もこの方向が正しいのかどうか判断しかねるということさ。もっとも、こうなった以上は選択の余地なんてないんだが……とにかく、計画をまっさらなキャンバスに描き直す必要があるんだということだけ覚えておいて欲しい」
「私は颯斗に迷惑をかけたということか……? 颯斗ほどの大切な者に、私が知らず識らずの間に迷惑をかけていたとしたら……私は、腹を切って詫びなくては……」
 日毬は哀しげな表情になり、無念そうに唇をかんだ。日毬なら本当に切腹しかねない。
 慌てて俺は口にする。
「迷惑ということじゃない。日毬の売り出し方を練り直さなくてはならないという話だ」
 ゴホンと咳払いし、俺は冷静に説明していく。
「いいか日毬。アイドルは、万人から愛されるように振る舞うことが仕事なんだ。本当なら敵を作っちゃいけなかった。ある有名なアイドルは、握手会で再会するファンの名前をすべて覚え、握手するときに『また会いましたね、○○さん』と声をかけることを常としていたという。そのアイドルは、後に有名になり、ファンから圧倒的な支持を受けるようになった。アイドルは、見えないところでそのくらい苦労して、味方を増やすために全力を尽くしているんだ」
「なるほど……アイドルとは、教祖みたいなものなのだな……。信者にそっぽを向かれないように注意し、崇拝され続けなくてはならない……」
「だけど日毬には敵が多くなってしまった。熱烈に日毬の発言を支持する味方もいるが、発言を聞くのも嫌だという敵だっている。これほど白黒ハッキリした、万人向けではないアイドルなんて普通はいないということだ。いや、それがアイドルかどうかすら怪しい。だから日毬の売り出し方は、未だかつてないものになっていく。その方法が、俺にはまだ思いつかないということを知っておいて欲しいということなんだ」
「……わかった。何より私が政治家として飛躍できるかどうかの分岐点と言って良さそうだな。私も懸命に方策を練り、最善を尽くそうと思う。颯斗、これからも、どうか私を支えてほしい」
「もはやこの道を変えることはできそうにない。結果がどうなるかわからないが、今は申し込まれた取材をすべて受け、スケジュールが合う限りテレビや雑誌の仕事も受けまくってみるしかない。忙しくなるが、いまは無我夢中でやってみよう。戦ってさえいれば、新しいキッカケが摑めるかもしれないからな」
 自分に言い聞かせる意味も込めて、俺は強い調子でそう口にした。
 いずれにせよ、もはや俺たちに選択の余地はない。こうなった以上、行けるところまで全力で駆け抜けていくしかなさそうだった。
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登場人物紹介

神楽日毬(かぐらひまり)

日本の未来を憂う女子高生。雨の日も風の日も、たゆまぬ努力を重ねて政治活動に励んでいる。

織葉颯斗(おりばはやと)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。営業先に向かう途中、街頭演説の最中だった日毬と出会うことになる。

健城由佳里(けんじょうゆかり)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。新人として織葉颯斗の営業に研修のため同行していたとき、演説中だった日毬に出会う。

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