国家と共に(4)

文字数 1,609文字

 雑誌『エイティーン』の撮影でスタジオ入りのためタクシーを降りると、ちょうど片桐杏奈がビルから出てくるところだった。
「日毬ちゃ――ん!」
 俺たちを発見した杏奈は、ボストンバッグを投げ出し、大きく手を振ってこちらに走り寄ってきた。
「こ、こんにちは……」
 日毬は挨拶しつつも、俺の後ろに隠れるようにした。
 そんな日毬を杏奈が覗き込む。
「見たよ見たよ、CM見たよ! AC! 良かったよ! バッチリ! なんか日毬ちゃんの名演に感動しちゃった!」
 ひとりで一方的に盛り上がった杏奈は、今度は俺を見上げて口にする。
「マネージャーさん、日毬ちゃんをよろしくお願いしますね! もう絶対売れます」
「ありがとう。トップアイドルの杏奈さんからそう言ってもらえると、こっちも頑張ろうって気になるよ」
 俺は本心から言った。
「おお? よく見れば、なんだかマネージャーさん、若いですよね? ていうか、どこのプロダクションだっけ?」
 杏奈は、今度は俺の方に興味が向いたようだった。
「ひまりプロダクション。実は所属タレントはまだ日毬一人でね。できたばかりの新参事務所なんだ」
「えー!? じゃあもしかして、若くして社長さんだったり!?」
 口に手を当てて、杏奈は大げさに驚いたようだ。
「そういうことになる」
「やだ、すごい! カッコいい!」
「ハハハ……。ぶっちゃけ、芸能プロダクションの社長なんて大したものじゃないよ……」
 身の丈を遥かに超して褒められると、萎縮(いしゅく)してしまうから不思議だ。
「そんなことないですよ! だって日毬ちゃんを抱えてる事務所なんですよ! すっごい尊敬しちゃいますから!」
 ふと杏奈は、子供のように俺の後ろに隠れている日毬に首をかしげる。
「どうしたの、日毬ちゃん? 元気ないよ? 風邪(かぜ)でも引いてたり?」
「そうではない。大丈夫だ……」
 日毬の声にはいつもの張りがなかった。ここに来るまでは普通に会話していたから、決して体調が悪いわけではないはずだ。
「そっかなぁ? ちょっと待っててね」
 杏奈はそう言って、慌ただしく玄関のところに投げ出していたバッグの許へと走っていった。そうかと思えば再び勢いよく戻ってきて、俺の後ろにいる日毬へと小さなビンを差し出してくる。
「はい、エレナインG! 撮影が徹夜で続いて疲れたときとか、なんかやばいなーって思ったときにグビグビ飲むの。いつもカバンに一本入れてるんだ。超効くよ、飲んでみて」
 戸惑う日毬に、杏奈はビンを無理やり押し付けた。
 そのとき、杏奈のマネージャーである森がスタジオの入り口から出てきた。そして放置してあった杏奈のバッグを持ち上げ、こちらへ呼び掛けてくる。
「杏奈! 時間に遅れてるぞ! 早くしてくれ!」
「あっ、はーい! じゃあね日毬ちゃん、それから社長さん! またね!」
 大きく手を振った杏奈は、忙しなくマネージャーのところへ戻り、車へと乗り込んだ。
 スタジオの駐車場から出る車とすれ違うとき、森は俺と視線を合わせ、会釈(えしゃく)してきた。俺も頭を下げ返す。
 そして車が見えなくなるまで、杏奈は俺たちを向いて幾度も手を振っていた。
 手のなかのエレナインGに視線を落としながら、日毬はポツリとつぶやく。
「良いヤツ……なんだな……。……でも、苦手だ……」
「日毬でも敵わない相手がいたんだな」
 苦笑交じりに俺が言うと、サッと日毬は視線を上げ、激しく抗議してくる。
「かっ、敵わないヤツなどいない! いるわけがない! 私は国家のために、いかなる困難でも乗り越えてみせる! 私には臆する敵など一つもないのだ! ……ただ……杏奈がちょっと苦手だなって思っただけで……」
 杏奈と会うと、日毬はいつもの調子が狂わされるようだった。たぶん最初の出会いで、胸をわしづかみにされたショックが強く残っているせいだろう。
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登場人物紹介

神楽日毬(かぐらひまり)

日本の未来を憂う女子高生。雨の日も風の日も、たゆまぬ努力を重ねて政治活動に励んでいる。

織葉颯斗(おりばはやと)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。営業先に向かう途中、街頭演説の最中だった日毬と出会うことになる。

健城由佳里(けんじょうゆかり)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。新人として織葉颯斗の営業に研修のため同行していたとき、演説中だった日毬に出会う。

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