ひまりプロダクション(7)

文字数 4,569文字

 防衛省に次ぎ、二本目の日毬の仕事は中堅ティーンズ雑誌『エイティーン』の撮影だった。かなり無理をして営業でねじ込んだ先で、まったく新規で営業した編集部だった。昔のツテをたどってゴタゴタやるより、まっさらなところで営業した方が早い場合も多いということだろう。
 出版社のスタジオに日毬を連れ、時間通りに到着すると、すでに数多くの女の子がいた。
 ちょうどスタジオの中央で撮影中のタレントを俺は指差す。
「ほら、今撮影してる子――片桐杏奈(かたぎりあんな)だ。知ってるか?」
 直接こうして見ると、やはり可愛い子だ。その美形には定評があるが、彼女の自然な仕草やポーズが可愛らしく、どことなく印象に残り、そこにいるだけで人々を魅了するタレントだった。
「最近、事務所で勉強したから知ってるぞ。大手タレント事務所、西プロダクション所属のアイドルだろう? 雑誌やテレビに引っ張りだこのようだな」
 ほとんどテレビを見ない日毬も、雑誌や本で勉強を重ねているらしい。この世界で活動するなら、有名タレントの名前くらいは知っておかないと失礼になってしまう。
「一八歳の高校三年生、国民的アイドルの一人だ。デビュー後わずか半年で、一気にスターダムにのし上がった。同時に三本のメジャーCMに出演してゴールデンタイムに何度も登場、同時期に主演をこなした映画も好成績、その映画用に歌った主題歌までヒットし、話題をかっさらったんだ。……まぁ西プロダクションは曲がりなりにも上場企業で、力のあるところだからな。プッシュするタレントを一人に絞り込めば、そういう力業ができるってことさ」
「そうなのか。プロダクションの力が重要だと颯斗が言っていた意味が、わかった気がするぞ」
 杏奈の撮影は続いていた。彼女は雑誌『エイティーン』の看板モデルでもあり、雑誌を売るためにもっとも重要な柱にもなっている。
 撮影に向かう杏奈は堂々としていて、洗練されていた。熟練の技と言ってもいいほどで、日毬にも参考になるはずだ。
 真剣な面持ちで杏奈を見やっていた日毬に言う。
「だがな、西プロダクションには一〇〇人以上の所属タレント、数十人の所属アイドルがいる。皆、たくさんの志望者のなかから勝ち残ってきた女の子たちだ。そのなかで、どういう政治原理が働いたのか知らないが、彼女だけが選ばれてプッシュされた。片桐杏奈には、他の子にはない魅力があったんだろう」
「大手プロダクションに所属できても、その後の競争はもっと激しいものなのだな」
「だから安易に大手プロダクションに所属すれば勝ちってわけでもない。プロダクションの大小よりも、経営側が本気で売り出そうと思ってくれるかどうかが、実は一番重要な要素かもしれない」
「そういう意味では、私は恵まれているということかもしれないな。颯斗が全力でやってくれている」
 日毬は俺を見上げて微笑んだ。
 俺はうなずく。
「頑張るよ。精一杯な」
 ちょうどそのとき、杏奈の撮影が終わったようだった。
「杏奈ちゃん、おつかれさま!」
「おつかれー!」
「ごくろうさん!」
 周りのスタッフがねぎらいの言葉をかけると、杏奈も明るく挨拶する。
「おつかれでーす! どうもでしたー!」
 そして杏奈はスタッフたちに手を振って、トコトコとドアの方へとやってきた。分刻みでスケジュールが埋まっている彼女は、もう次の予定に向かおうとしているのだろう。
 杏奈とすれ違うとき、挨拶をしないわけにもいかないので、俺は声をかける。
「こんにちは。新人アイドルの神楽日毬です。今後、この現場で仕事しますので、よろしくしてやってください」
「うむ。よろしくお願いする」
 日毬もいつも通りだ。
 ふと立ち止まった杏奈は、まじまじと日毬を眺めやる。
「……神楽、日毬ちゃん? かわいーい! 何歳なの?」
「一六歳になったばかりだ」
 日毬が即答すると、杏奈は目を輝かせる。
「一六歳!? えー、ホントに!? もう胸とか私ぜんぜん負けてるし」
 いかにも女子高生といった風に杏奈ははしゃいだ。
 この業界では、杏奈は話し好きとして有名だった。だが、彼女が話し出すと独演会のようになってしまうため、逆にトーク番組に出すことは御法度になっていると風の噂で聞いたほどである。
「ちょっと触ってみていい?」
 杏奈はそう訊きながらも、日毬の返事すら待たずに胸に手をやった。
「あっ……」
 日毬は可愛らしい声を上げ、胸を両手で(おお)い隠すようにしながら目を白黒させる。
「なっ、何をする!?」
「本物だ……。パットじゃない……。本物だよこの子……。この可愛さでこの胸とか反則……ホントに新人さん? うーん……ぜったい売れると思うなぁ。日毬ちゃんならグラビアで一撃でしょ。うんうん、いけるって、超いけるよ」
 アゴに手を当てて考える格好をしながら杏奈は言った。言葉や仕草には嫌味がなく、不思議な愛嬌がある。
 そのとき後ろのドアが開き、男が声をかけてくる。
「杏奈、何してるんだ。次の現場に向かわないと間に合わないぞ」
 マネージャーだろう。
 俺が言葉をかける。
「引き留めてしまってすみません。前を通り過ぎたもので、一言ご挨拶したかっただけなんです」
「あっ、そうでしたか。杏奈は放っておくと誰彼かまわず話し続けるタチなんで……。どうも、西プロダクションの森です」
 それから森と俺はお互い名刺を取り出し、挨拶を交わした。
 しげしげと俺と日毬を見やっていた森は口にする。
「ひまりプロダクション……? お初に聞く名前ですね。……ていうか、可愛い子じゃないですか」
「でしょでしょー? ちょっと嫉妬しちゃうよねー。この胸とかに」
 杏奈は日毬の後ろに回り込み、突然、胸に手を回してわしづかみにした。
「やめっ……あんっ。ぶ、無礼者!」
 日毬は真っ赤になって怒り、杏奈の手を振りほどいて、胸を守るように両腕で覆った。日毬の手は震えていた。
 マネージャーも杏奈に向けて声を上げる。
「こらっ、杏奈! 迷惑だろう! ほら、行くぞ」
 そして俺と日毬を交互に見やったマネージャーは頭を下げてきた。
「誠に申し訳ございません……。今後ともよしなに……」
「じゃーねー、日毬ちゃん! またお話ししよ!」
 杏奈は何度も手を振り、マネージャーに引っ張られながらスタジオを後にしていった。
 まだ胸を押さえたままの日毬は、ポツリとつぶやく。
「生まれて初めてだ……。姉上にも触られたことなんてないぞ……。大敗を喫した気分がするのはどうしてだ……」
「あれが彼女の素か。噂に違わずだ。むしろテレビや雑誌に登場するときの方が、かなりテンション抑えてあるんだな」
「芸能界とは恐ろしいところだ……。あんなタレントが跋扈(ばっこ)しているなんて……」
「片桐杏奈は特異な存在だよ。あれが普通だとは思わない方がいい。アイドルデビューを果たしたって、あそこまで売れるのは一〇〇人に一人に満たない狭き門、ほんの一握りだ。たしかに頭一つ抜けた美人だが、それだけじゃない。運を引き寄せる何かが、彼女にはあるんだろう。……とにかく、彼女の撮影風景は参考になったろ? 最初はあんなに堂々とできないけど、慣れだからな」
 俺の言葉に、日毬は苦々しい面持ちでうなずいた。杏奈との出会いが、日毬にはよほどショックだったようだ。
 そのあと俺は、担当の編集のところへ日毬を連れて挨拶にいった。
「どうも、ひまりプロダクションです。今回はありがとうございます」
「ありがとう。恩に着るぞ」
 日毬も丁寧に頭を下げた。
「ああ、どうも。じゃあ早速ですが撮影に入りましょうか。ええと、神楽……日毬ちゃんでしたっけ。ふうむ……実物は写真よりずっと可愛らしいですね……」
 感心したように編集者は日毬を見やり、続ける。
「新発売するジーンズの撮影に参加してもらいますんで、まずはこれ、着てください。それとトップスはこれ固定ね。更衣室はあそこ。着替えたら、ここに並んで待っていて下さい」
 日毬は渡されたトップスとジーンズを持ち、更衣室へと向かった。
 撮影スタジオはとにかくフル回転で、ゆっくり挨拶している暇もない。『エイティーン』は毎月発売しているが、そのための撮影は膨大だ。流れ作業で撮影をこなしていくことになる。
 片桐杏奈は雑誌の看板モデルであり、トップアイドルだから、彼女がスタジオ入りしているときは、撮影も彼女を中心に回る。しかしその他一般のタレントたちの撮影のときは、もう完全に工場でベルトコンベアーに乗せるような作業だといっていい。
 ティーンズ誌は多種多様な種類のカジュアル衣料を雑誌に掲載しなくてはならないため、さまざまなモデルの需要がある。それなりの容姿を持つ女の子であれば仕事は幾らでもあった。しかし一部の看板モデルを除外すれば、軽い扱いのモデルにはほとんどギャラは出ない。申し訳程度に交通費のようなものが出るくらいだった。のし上がっていくために、タダでも受注したい相手が腐るほどいるのだ。
 看板モデルになるまでの道のりは険しく、長い。継続して何ヶ月も何年も雑誌に登場し、徐々に注目を集め、ファンが広がっていくのを期待するわけだが……それは一朝一夕に成し遂げられることでもない。
 ジーンズをはいた日毬が戻ってきた。トップスの黒のタートルネックは目立たないが、それだけに日毬のスタイルの良さを強調していた。
 日毬は指定された場所に立ち、俺を見やってくる。目くばせを交わすと、日毬は口元を引き締めてうなずいた。これから重要な戦いに挑むといった覚悟の表情だ。他の女の子たちは駄弁(だべ)っていたり、鏡で化粧をチェックしていたりと気楽に過ごしているなかで、日毬は特異な存在だった。
 その日、何度も日毬はジーンズを穿き替え、カメラマンやスタッフの指示に忠実に従い、一生懸命だった。
 日毬の撮影が終わるころ、編集者が俺の側までやってきて声をかけてくる。
「マジ可愛いっすね、彼女。どこで見つけてきたんですか?」
「街中です。声をかけて、この業界に引っ張りました」
「あぁ、渋谷とか原宿でスカウトしたんですか。あれだけの容姿なのに、よく他のプロダクションに獲られなかったですね。他社のスカウトもいっぱいいたでしょう?」
「実はスカウトしたのは若松河田駅のあたりなんです。知ってます、若松河田?」
「若松……え? 大江戸線の? 曙橋とか、あの辺? 東京女子医大があるあたり?」
 編集者は意表をつかれたようだった。
「そうそう。そのあたりです」
「なんつー渋いところでスカウトしてるんですか。あの辺、何もないでしょう。そんなの初めて聞きましたよ」
 しばらく俺と編集者は、日毬の撮影を見ながらスカウト話で盛り上がった。
 一通り話し込んだあと、俺は礼を言う。
「今回は参加させて頂き本当にありがとうございました。うちもスタートしたばかりなんで至らない点はあるかと思いますが、今後とも継続してお願いできればと」
「ええ、仕事はいっぱいあるんで。ギャラはあんまり出ませんが、それでも良ければ」
 担当者は何度もうなずいた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

神楽日毬(かぐらひまり)

日本の未来を憂う女子高生。雨の日も風の日も、たゆまぬ努力を重ねて政治活動に励んでいる。

織葉颯斗(おりばはやと)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。営業先に向かう途中、街頭演説の最中だった日毬と出会うことになる。

健城由佳里(けんじょうゆかり)

日本最大の広告代理店、蒼通の社員。新人として織葉颯斗の営業に研修のため同行していたとき、演説中だった日毬に出会う。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み