アステッドプロ(1)
文字数 2,384文字
俺は営業アポイントをすべてキャンセルし、さまざまなメディアから舞い込んだメールの取材依頼を捌き、慌ただしく事務所へと戻ってきた。今は営業どころじゃない。
絶え間なく入る取材の電話やメールをやり取りするだけで、かなりの時間が喰われてしまう。気づけば夕方になっていたが、取材の申込はひっきりなしだった。
ガチャガチャとカギを開ける音が響いた。日毬がやってきたのだ。
日毬には高校にいる時に携帯で連絡を入れ、「養成所には今日から通わなくてもいいから、高校が終わったらすぐ事務所の方へ来てくれ」と伝えていた。
「颯斗、いたのか。おつかれさま」
事務所に入ってくると、日毬はいつものように礼儀正しく言った。
「おつかれさん。座ってくれ」
「うむ」
日毬はトコトコとやってきて、応接ソファの、いつもの定位置に腰かけた。
俺も一旦メールを打つ手を止め、机を離れて日毬に相対して座る。
「高校では何もなかったか?」
「いつも通り、私は熱心に授業を受けてきたぞ。今ちょうど日本史の授業で大正時代を扱っているんだが……日本史教師がガチガチの左翼でな。恥も外聞 もなく噓八百を並べ立てたものだから、ヤツの捏造 を私は厳しく追及してやったのだ。殴り合う直前までいったが、私は一歩も引かなかった。ヤツはきっと、コミンテルンの回し者に違いない」
「学校でまでそんな論戦やってるのか」
俺は苦笑した。
そんなことばかりやっているから、これだけ容姿がいいのに、男子生徒たちから避けられるのだと思う。そのことに、日毬は気づいてなさそうだ。
「当然だ。日本を正すためには、まずは自分の身の回りの事象から正さねばならない。あのような教師を放逐するのは国家にとって必要なことだ。私が裁きを加えてやらねばならない」
そう言って日毬は胸を張った。いつも通りの日毬だ。
何気なさを装って俺は切り出す。
「そういや昨晩、音声配信サイトにたくさん声をアップしたみたいだな」
「そうだな。私は頑張ったと思う。一〇〇はアップしたのではないだろうか。颯斗が努力してくれているのに、肝心の私が何もしないわけにはいかない。昨日でだいぶ慣れてきたぞ。これからは毎日、最低でも五〇はアップしていこうと考えている」
「日毬の声、とんでもなく話題になってるぞ」
「そうなのか? どんな人が聴いてくれているのだろう? 日本国民に、私の熱意が少しでも伝わってくれるなら嬉しいものだ」
どうやら日毬自身は、自分が一躍名を馳 せていることを知らないようだ。今日は高校に行ってきたはずだが、誰にも指摘されなかったのだろうか。
だが考えてみれば、俺がそのことを知ったのも日中になってからだった。ネットでは深夜を通して盛り上がっていたのだろうが、大手メディアが動き出したのは昼からである。よほど朝方までネット三昧の高校生でもない限り、同級生が知らなくても無理はない。
そして大手メディアを通して一般人がこの騒ぎを知るのは、早ければ『報道ニュース18』で特集が組まれる明日の夕方からか……いや、その前に、明日の早朝にはスポーツ新聞紙面に日毬のカラー写真付きで登場するかもしれない。とにかく現時点だけでも、取材の申込は二〇社を超えていた。取材なしで、勝手に記事として配信されることの方が多いことを考えれば、もうすぐ日毬の名前は日本列島を駆け巡るはずである。
「おそらく明日には、日毬は全国的に名前が売れることになるはずだ。良くも悪くも、一気にメジャーにのし上がることになる。売り出そうと思っていた方向とは大きく違う形でな……」
「一気にメジャーに? コツコツ積み上げていくと言っていたのは颯斗ではないか」
日毬は釈然 としない顔をした。
ため息をつきつつ、俺は言う。
「ところが現実は面白い……」
「元気がないぞ。颯斗、どうしたのだ? 熱でもありそうだな」
日毬はソファから立ち上がり、こちらのソファまでやってきて、俺のすぐ隣に腰かけ直した。
そして心配そうな表情で、俺の額に手をあてがってくる。日毬の手は温かい。
「熱はないみたいだ」
スッと手を引いた日毬と、間近で視線を合わせた。
しばらく俺は、どうしたものかと頭を悩ませ、まじまじと日毬の顔を直視した。なんとも難しい状況だ。この流れに乗って突っ切ってみるべきだろうか。
半ば呆然と思案していると、ふいに日毬は顔を赤らめ、恥ずかしそうに視線をそらした。
「日毬、素で勝負してみるか?」
俺に視線を戻した日毬は首をかしげる。
「素、とはどういうことだ?」
「日毬のありのままで、ってことさ。何一つ飾らない日毬で、アイドルとしてどこまで通用するか、やってみるのも一つの方法なのかもしれない。というか、事ここに至っては、俺たちに打てる選択肢は多くないんだ」
「ありのままで勝負など、当たり前だろう? 私の容姿が変わるわけでもないし、私の考えが変わるわけもない」
さも当然といった風に日毬は応じた。
あやふやで、まやかしが跋扈する芸能界にあって、日毬は微塵もこの世界に迎合していくつもりはなさそうだった。むしろ日毬のなかでは、虚構に身を委ねることなどまったくの想定外なのだろう。元来が、どこまでも一本気なのだ。
ポン、と俺はヒザを叩く。
「よし、やろう。俺も、この選択がどういう結果をもたらすかわからない。だが、日毬を日毬のままで押していってみよう。申し込まれた取材をぜんぶ受け、演技もせず飾りもせず、すべて日毬の考え通りに行動してみるか。日毬は史上初の、素のままのアイドルだ」
「私には、颯斗が今、何を言っているのかよくわからないぞ。まだまだ私も勉強不足ということだろうか……」
しきりに日毬は困惑した表情を浮かべた。
絶え間なく入る取材の電話やメールをやり取りするだけで、かなりの時間が喰われてしまう。気づけば夕方になっていたが、取材の申込はひっきりなしだった。
ガチャガチャとカギを開ける音が響いた。日毬がやってきたのだ。
日毬には高校にいる時に携帯で連絡を入れ、「養成所には今日から通わなくてもいいから、高校が終わったらすぐ事務所の方へ来てくれ」と伝えていた。
「颯斗、いたのか。おつかれさま」
事務所に入ってくると、日毬はいつものように礼儀正しく言った。
「おつかれさん。座ってくれ」
「うむ」
日毬はトコトコとやってきて、応接ソファの、いつもの定位置に腰かけた。
俺も一旦メールを打つ手を止め、机を離れて日毬に相対して座る。
「高校では何もなかったか?」
「いつも通り、私は熱心に授業を受けてきたぞ。今ちょうど日本史の授業で大正時代を扱っているんだが……日本史教師がガチガチの左翼でな。恥も
「学校でまでそんな論戦やってるのか」
俺は苦笑した。
そんなことばかりやっているから、これだけ容姿がいいのに、男子生徒たちから避けられるのだと思う。そのことに、日毬は気づいてなさそうだ。
「当然だ。日本を正すためには、まずは自分の身の回りの事象から正さねばならない。あのような教師を放逐するのは国家にとって必要なことだ。私が裁きを加えてやらねばならない」
そう言って日毬は胸を張った。いつも通りの日毬だ。
何気なさを装って俺は切り出す。
「そういや昨晩、音声配信サイトにたくさん声をアップしたみたいだな」
「そうだな。私は頑張ったと思う。一〇〇はアップしたのではないだろうか。颯斗が努力してくれているのに、肝心の私が何もしないわけにはいかない。昨日でだいぶ慣れてきたぞ。これからは毎日、最低でも五〇はアップしていこうと考えている」
「日毬の声、とんでもなく話題になってるぞ」
「そうなのか? どんな人が聴いてくれているのだろう? 日本国民に、私の熱意が少しでも伝わってくれるなら嬉しいものだ」
どうやら日毬自身は、自分が一躍名を
だが考えてみれば、俺がそのことを知ったのも日中になってからだった。ネットでは深夜を通して盛り上がっていたのだろうが、大手メディアが動き出したのは昼からである。よほど朝方までネット三昧の高校生でもない限り、同級生が知らなくても無理はない。
そして大手メディアを通して一般人がこの騒ぎを知るのは、早ければ『報道ニュース18』で特集が組まれる明日の夕方からか……いや、その前に、明日の早朝にはスポーツ新聞紙面に日毬のカラー写真付きで登場するかもしれない。とにかく現時点だけでも、取材の申込は二〇社を超えていた。取材なしで、勝手に記事として配信されることの方が多いことを考えれば、もうすぐ日毬の名前は日本列島を駆け巡るはずである。
「おそらく明日には、日毬は全国的に名前が売れることになるはずだ。良くも悪くも、一気にメジャーにのし上がることになる。売り出そうと思っていた方向とは大きく違う形でな……」
「一気にメジャーに? コツコツ積み上げていくと言っていたのは颯斗ではないか」
日毬は
ため息をつきつつ、俺は言う。
「ところが現実は面白い……」
「元気がないぞ。颯斗、どうしたのだ? 熱でもありそうだな」
日毬はソファから立ち上がり、こちらのソファまでやってきて、俺のすぐ隣に腰かけ直した。
そして心配そうな表情で、俺の額に手をあてがってくる。日毬の手は温かい。
「熱はないみたいだ」
スッと手を引いた日毬と、間近で視線を合わせた。
しばらく俺は、どうしたものかと頭を悩ませ、まじまじと日毬の顔を直視した。なんとも難しい状況だ。この流れに乗って突っ切ってみるべきだろうか。
半ば呆然と思案していると、ふいに日毬は顔を赤らめ、恥ずかしそうに視線をそらした。
「日毬、素で勝負してみるか?」
俺に視線を戻した日毬は首をかしげる。
「素、とはどういうことだ?」
「日毬のありのままで、ってことさ。何一つ飾らない日毬で、アイドルとしてどこまで通用するか、やってみるのも一つの方法なのかもしれない。というか、事ここに至っては、俺たちに打てる選択肢は多くないんだ」
「ありのままで勝負など、当たり前だろう? 私の容姿が変わるわけでもないし、私の考えが変わるわけもない」
さも当然といった風に日毬は応じた。
あやふやで、まやかしが跋扈する芸能界にあって、日毬は微塵もこの世界に迎合していくつもりはなさそうだった。むしろ日毬のなかでは、虚構に身を委ねることなどまったくの想定外なのだろう。元来が、どこまでも一本気なのだ。
ポン、と俺はヒザを叩く。
「よし、やろう。俺も、この選択がどういう結果をもたらすかわからない。だが、日毬を日毬のままで押していってみよう。申し込まれた取材をぜんぶ受け、演技もせず飾りもせず、すべて日毬の考え通りに行動してみるか。日毬は史上初の、素のままのアイドルだ」
「私には、颯斗が今、何を言っているのかよくわからないぞ。まだまだ私も勉強不足ということだろうか……」
しきりに日毬は困惑した表情を浮かべた。