其の弐拾六  北條 円 (Ⅵ)

文字数 1,610文字

希から、今日の宵山は、そのまま北白川に泊まると連絡があった。
二人きりになるのは、久しぶりのこと。嬉しい反面、恥ずかしさや様々な期待が綯い交ぜになって身体が疼くのが自分でもわかる。でも、それをコウ様の前で隠してもどうなるものでもない。兼盛の歌ではないけれど、隠していても、私の色は簡単に見透かされてしまうだろう。
希がいないので、コウ様が水割りを作ってくださる。
私は、その横で、加藤さんから教わった自家製のレーズンバターを切る。
お風呂あがりに、白いバスローブ一枚のままで、黒いソファに座ってお話しをする。
「このあと、相原さんはどうされるんでしょう」
「それなりに生きていくのとちがうかな。彼女は最後の最後で、手持ちのうち一億は使わんかったな。その金があったら、犬飼も自己資金だけで対応できたかもしれんし、ヤバいところから金借りて、死なんでもよかったやろに。女は怖いもんやな」
そう言って笑われた
先日、彼女が入院している滋賀県内の病院に、他の患者の見舞客を装って出かけた。琵琶湖畔に立つその病院のベンチに座って、同じ入院患者で認知症のおばあさんの車いすを押す彼女をみていた。まだ少し、刺された左わき腹を庇うようなしぐさをしているが、もう退院間近だという情報を得ている。お化粧をしていないこともあるだろうが、憑き物が落ちたような、優しい穏やかな顔をしていたのが印象的だった。
それが、彼女の本当の顔だったのだろう。父親を早くに亡くし、病弱の母親と二人きりの母子家庭で育つ。中学、高校と学力優秀の優等生だったが、生計を助けるために大学へは進学せずに、学校からの特別推薦で大手のヤマト開発へ就職したという。
その後の調査で、彼女を騙した同期の男性も犬飼の息がかかっていたことがわかっている。彼女はどこまで知っていたのだろうか。もしかしたら、途中から心のどこかで自分達の立てた計画が破たんするのを望んでいたのかもしれない。そんな気さえする。
「グッドラック」
もう、二度と会うことはないだろうけれど、彼女なら、しっかりと人生をやり直せると信じている。

「どうした、難しい顔をして」
「いえ、何でもありません」
そうお答えすると、グラスを置いて、私の膝の上にごろんと横になられ、やわらかく頭を乗せられた。
「人はよく、『大切なものを見失う』というけど、正確に言えば、目移りをして迷ういうことやろな。いつもそばにあるものの価値はわかりにくいけど、隣の芝生や目先の快楽や欲望はキラキラとしてよう目立つからな」
「はい」
「ただ、その多くは蜃気楼のようなもの。どこまで追いかけても必ず色褪せてくる。幸せになるには、少し臆病なくらいがちょうどいい。落ち着いた穏やかな生活の中にこそ、本当の快楽が見つけられるんだがな」
そう言って、私の頬を右手の親指と人差し指で、やわらかくつままれた。
謀りをかけた相手のことを、色々とお考えになるのだろう。悪魔のような永井にもそうならざるをえなかった理由がある。コウ様は、感情の起伏を表に出されることはないが、お側についていると、みずからたくさんお話しになるのは、その心が切なく哀しいときだとわかる。なぜか、とても愛おしくなり、形の良い耳を触りながら、幼子をあやすように、体をゆっくりと揺らす。
「そうそう、円は、ばばのマネをして僕が眠るまで起きている必要はない、目覚める前に起きる必要もない。円のよだれ垂らした可愛い寝相を見たいときもあるしな。僕の隣にいるときは、安心してゆっくり眠れ。いいな」
「はい」
返事をすると頬をつまんだ手が、ゆっくりとバスローブを開いて胸に下りてくる。
首を支えると、赤子のように音をたてて胸を吸われる。
穏やかな夜、温かい官能が全身を包んでいく。
首を抱き寄せられ、唇を重ねた。
コウ様のバスローブに手を入れ、固くなっているものをゆっくりと愛撫する。希が唇を尖らせているのが一瞬見えたけれど、そこから先はもう記憶にない。
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