其の拾九  北條 希 (Ⅱ)

文字数 2,329文字

お昼間は、円さまと一緒に、福さまに色々と教えていただいている。
北白川にある御蔭の家は、この世から隔離された異質の空間。
福さまはその精霊。この間、八十歳だと円さまからお聞きしてびっくりした。青春とか朱夏とか、人の一生を季節に例えることがあるけれど、白秋という季節のもつ美しさそのもの。流れるような優雅なお点前に、「私もあと五十年、六十年経ったとき、こんなきれいな人になれるかなぁ」とうっとり見ていたら、「これ、まれ」と、優しい目で笑いながら、ポンと畳を叩かれた。

円さまは、あの日のトナカイさん。私がプロムナードに一礼して鍵を締めた時、かぶりものの格好のまま、粉雪の舞う寒い外で立って待っていてくださった。何も言わずギュッと抱きしめられ、その胸でワンワンと泣いてしまった。いま、そのトナカイの帽子は、お守りにマンションの私の部屋の入口に飾ってある。
一人っ子だったので、お姉さんができてとてもうれしい。でも、姉妹というには、おつむの作りが違いすぎる。中学生のとき、友だちが、「賢いお姉ちゃんと比べられて大変や」と言っていたけれど、今になってその気持ちが百倍よくわかる。私も子供の頃に、お花とお茶とバレエを習っていた(ホントは嫌々、習わされていた)けど、もっと真剣にちゃんとやっておけばよかったと、今更ながら本当に、本当に後悔している。

御蔭の人たちは、みんな格好良くて、きれいで凛としているけれど、とってもお茶目でかわいい。この間、マンションでコウ様が飲んでおられたウイスキーを見ると、プロムナードで入れていただいたニッカのピュアモルトだった。「サトシさま」と私の下手な字で書いたタグも、ボトルの首にかけられている。
「一応、これは僕がお金払ろうてキープしたもんやしな。まだちょっとしか飲んでないし、こっそり行って取ってきた」といたずらが見つかった子供のようにはにかまれた。「わたしがお作りします」と申し上げたけど、「希につくってもらうと、金を払わんとあかんからな」と、私と円さまの分も、ステアしてくださった。
本当は、私が作った方が美味しいけど、時々に微妙に濃かったり薄かったりするけど、そんなところも大好き。一回りくらい年上で、それに一応、私の高校の元美術の先生だけど、いまだ、ご自分のことを「僕」と言われるのも、とても素敵。
いま、円さまから、「希も、簡単な英会話くらいはできた方がいいわね」と言われ、家で家庭教師をしてもらっている。円さまは英語の他、フランス語、ドイツ語、中国語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語などたくさん話せる。曰く、「言語の中では、日本語の方が特殊なのよ」らしい。わかったのは、英語の「グッドモーニング」とドイツ語の「グーテンモルゲン」は、そう言われれば似てるなぁ…ということくらいで、あとは何のことだかさっぱりポン酢。
コウ様も英語とフランス語をお話しになるらしい。
そのため、時折、マンションの中では日本語禁止になる。意地悪く、これ見よがしに二人で、ペラペラ、イチャイチャと話をして、付いていけない私は、必死の身振り手振りで、「モア スローリー」「ヘルプ ミー」と繰り返し叫んでいる。

御蔭は当主のコウ様をトップに、古くからの主従関係が厳しく引き継がれている。ただ、時代劇にでてくるようなそれとは少し違う。私は夜の仕事をしているので、帰るのが毎日午前二時ごろになるけれど、いつも起きていて、仕事で疲れていたり、武術の稽古で叩かれて筋肉痛になったりすると、コウ様がマッサージをしてくださる。
最初の頃は、筋肉を抓まれると、「ググゥ」と雷落ちたくらい痛くて、大変だったけど、「いっ、痛いです」と言えるくらいには慣れてきた。最近は、うつむけになっていると、あまりの気持ちよさに、途中で足が開いて、お尻がぽこりと突き出てしまう。そうすると円さまに、「希は修行が足りませんねぇ(Mare, need more tranning) 」とペンペンされる。そういう円さまだって、マッサージの時は丸いお尻がもぞもぞとしている。
マッサージが終わると、ストレッチをして、それから三人でお風呂に入って、大きなベッドで眠る。何もしないときもあるけど、一緒に抱かれるときもある。二人の舌が絡まって、同時に私の中に入ってくると、何が何だかわからなくなる。「遠くで誰かが大きな声で叫んでいるなぁ」と思っていたら、それは自分の声だった。
コウ様は、週に一度か二度、本家に戻られるが、その日は、円さまと二人で一緒にベッドに入る。包容力のある大きな胸を触りながら脚を絡ませて、これまで悲しかったこと、苦しかったことをお話しすると、頭を撫でながら一緒に涙を流して聞いて下さる。
私も、お母さんほどではないけれど、永井や木村、黒木だけでなく、絶対に許せない、絶対に許さないと心の底から憎んでいる人が何人もいた。言葉にできない、切り刻むような、どす黒い復讐の妄想に囚われていた。けれど、一緒に泣いてくださる円さまの涙で、そのブラックホールが解けて流れていくのがわかる。

そうそう、一つだけ困ったことが。
半年後には、私がママになって「倶楽部 華夕」を引き継ぐように言われている。
「倶楽部 真希」なんておこがましいと、無理ですってと必死のパッチで抵抗したけれど、コウ様と円さま、夕さまからも命令だって、笑いながら三人で両頬と鼻をつままれた。
死んでしまおうとおもったけれど、コウ様や円さま、新しい御蔭という家族の中で与えられた役割をもらって、北條希(まれ)として生まれ変わった。お父さんとお母さんと、そしてコウ様にもらった新しい人生だと思って精一杯、一生懸命の言葉の通り、一途に命を懸けて生きていく。
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