其の五  葉室 聡志 (Ⅰ)

文字数 2,509文字

人は、思考や行動を、みずからの自由な意思、理性的な判断によって決めていると思っているが、それは幻想である。
その自我は自己によって形成されたものではないからだ。通念としての常識や正義、善悪でさえ、この時代、この国、属する組織の特殊な観念、価値であることに気づけば、その枠の中で生み出される主体、思想が、自立・独立した固有のものではないことは自明である。
例えば、日本人の多くは「人の命は平等」であり、絶対的、普遍的価値観だと信じているが、世界の中では少数派である。性別や人種、階級だけでなく、信仰している宗教、宗派によって命の軽重は明らかに違う。一般国民の命も総理大臣の命も、天皇陛下のお命でさえも、みんな同じ重さだとはばかることなく公言できる国は、古今東西、現代の日本以外にはないだろう。
人格形成の基礎となるファクターは、親、友人、教師、書籍など育った環境の枠内で与えられたもの、もしくはその抗いの中で生まれたものでしかない。どの時代であれ、どの国であれ、どの宗教であれ、他者と関わりをもち、一定の社会生活を営む以上、誰ひとりその枠から逃れることはできない。
むろん、自我の固有性を否定するつもりはない。ただ、その前提を覚知できなければ、最低限のアイデンティティさえも守れなくなる。怪しげな宗教や陰謀論に振り回される若者が増えている理由や、「自分探し」という言葉に感じる滑稽さの原因はそこにある。

そもそも、客観的な判断と自我とは相反するものである。
一般的に情報量が増加すれば、より論理的・理知的に、より正しい判断ができるとされているが、人はその前段階で「好悪」「恐怖」「不安」「損得」「プライド」など、自我によって生み出された感情で情報を加工、峻別している。インターネットの検索サイトでは、履歴からその利用者の好むニュース・情報が目に付くようにプログラム化されているが、人間の脳も無自覚なまま同じことをしている。結果、情報量が多くなればなるほど、「見たいものしかみない」「聞きたいことしか聞かない」「都合よく解釈する」となり、客観性を欠いた自己の論理により深く傾倒していくという矛盾をはらむ。
これら人間の無意識の中にある思考のバアイス(歪み)を突くのが、謀(はかりごと)である。それは曖昧さのない明確な意図をもって、個人や集団の思考・行動をコントロールするという行為である。「理性的に行動している」という内的な感情、情動を、外部から刺激して発生させる一連の動きだと言いかえることもできるだろう。
謀は、嘘(虚)で固めるものだと思っている人も多いが、そうではない。
嘘(虚)は瞬間的には強いエネルギー、増殖力を持つものであるが、真(実)とは相性が悪い。親和性が低いと言った方が適切だろうか。その二つを人為的に組み合わせようとするとアレルギー反応を起こし、想定外のアクシデントが頻発する。また嘘(虚)は真(実)では修復できないという特性を持っている。そのため無理に塗り重ねると図柄全体に斑ができ、ひび割れが広がっていく。嘘(虚)は小さなものであっても、その転がりや派生をコントロールできなくなるため目的をもった謀のピースには向かないのだ。
謀は、虚偽以外のもので構成されるのが基本である。
ただ、偶然や真実を意図的に作り出すための作為・仕掛けは必要になる。

「イエメン産のモカマタリですね。とても美味しいです」
たちのぼる香を形の良い鼻梁にくぐらせている。
円の夫は、京都にある大学病院の准教授。ノーベル賞に届くはまだ二つほど階段はあるものの、基礎医学の研究者としては、複数の医学賞を受賞するほどの逸材で、人間的にも問題を抱えているわけではない。ただ、彼も結婚生活に満足していたわけではなく、制約の多い日本を離れ、アメリカで自由に研究を続けたいという希望があるという。父親の死後も京都での生活に固執する妻への不満を口にしている。
彼には、子供の頃に好きだったというテレビアニメのヒロインに似た髪の長い家庭的な女性を患者に見立てて近づけている。合わせて円の目にも留まるよう、香水や口紅をさりげなく振りまき、携帯電話に意味深なメールを送るなどしている。
二つ目は、インターネットの活用。
日本文化に興味をもつパリ在住の企業家の娘を仕立て、子供の頃の曖昧な記憶に、AIによって加工した写真をつけてアクセスし、SNSを通じて円の古くからの友人となる。
知的レベルの高い多くの人間がそうであるように、円も人智のおよばない神秘的なものに対する好奇心は強い。京都は怨念、情念が千年ものあいだ澱のように積み重なってできた都であり、諸外国からみれば、神秘の国ジパングの中心にある街である。スピチュアルを絡め、政治家や世界的な企業の社長が頼っているという謎の人物として「御蔭」という名前を出させる。合わせて、その少し前から、京都の文化や雅楽に精通した一人の初老の男性を、賀茂の河原でアプローチさせている。
そして、私は葉室聡史と言う名前で、帰国後このマンションに住んでいる。
新築後、誰も住んでいなかった最上階に、最近越してきた最後の住人であり、その服装、振る舞い、声口調は円の父親である智久のイメージを踏襲している。当該マンションの管理組合の理事長であり、階下の部屋に住む円には、彼女の父親が好んだ京老舗の和菓子を持って、一度挨拶に出向いている。
これら一つ一つの針(作為)は、それぞれ関連性のない独立した世界のエピソードである。それによって想起される記憶や感情には虚も実もない。これまでの経験やターゲットの性格、置かれた環境をベースとして、意図的に加えられた情報や思い込み、記憶によって、目標とした結論に到達するように思考や行動を少しずつコントロールしていく。
それは、円がそうと知らないままに、主役として舞台にあげられた演劇だといって良い。
この一ヶ月半の間、彼女はスポットライトを浴びながら、入れ替わる場面や役者に合わせて、自分の意志で考え、自分の言葉で語り、踊り続けてきた。
その仕上げとして二週間ほど前に、福が円に会っている。
そして、いまここに最後の幕があがっている。
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