其の弐  北條 円 (Ⅱ )

文字数 2,434文字

そんな私の無聊を慰めてくれるのは、インターネット。
「そで擦り合うも…」という諺があるけれど、その袖の振り幅をワールドワイドに広げてくれるのが最新の情報技術であるというのは、とても面白い。海外の知人とも瞬時につながることができ、数十年途切れていた縁もリコネクトしてくれる。
またそれは、日本という国に対するイメージも大きく変えようとしている。
これまで海外では、敗戦国、戦犯国という濃灰色のフラッグを外せば、経済大国、技術大国という、どちらかと言えばハードなイメージが強かった。しかし、最近ではクールジャパンという言葉も浸透し、若者を中心としたマンガやアニメといったサブカルチャー、更には、和食、和装、盆栽、錦鯉など古来よりの日本文化に興味を持つ人が増えている。
その両者は上手くリンクしており、百人一首をテーマとしたアニメが、海外でも大きな人気となっているらしい。こちらも、聞かれても恥ずかしくないよう当時の社会環境やまつわる蘊蓄を、あらためて勉強し直す機会となり、子供の頃には見えなかった中世の時代に生きる人々の息遣いを再発見する。
それは一過性の流行、ブームというものではない。生活水準の高いセレブの中には、二千年の時を超えて連綿と続く皇室、幾度の大震災でも揺るぐことのない日本人の高い精神性など、その奥にある目に見えない神秘に惹かれる人が多い。
特に、京都に暮らし始めてからは、御付き合いのある海外のセレブリティや政府関係者、企業経営者から、侘び寂び、和の心などについての質問を受ける機会が増えた。

困った時は、「転石、苔むさず(A rolling stone gathers no moss)」という諺についてお話しをする。それぞれの国の教育や社会環境によって、価値観は大きく違うということを表すもので、種を明かせば、お父さまがその昔、国連のパーティでスピーチをされたときの受け売りである。
この諺は、アメリカとイギリスでは意味が正反対であることが知られている。前者は、「時代や社会に合わせ、柔軟に行動を変えないと取り残されてしまう」、後者は、「社会に迎合して軽々しく行動を変える人は、大成しない」というもの。
「転石、苔むさず」は、イギリスで使われる意味と同じである。ただ、日本では単純な人生の成功、失敗ではなく、人間の生き方、美徳、美意識を説く意味合いが強い。言葉の中にある「no moss」と、君が代にある「苔むすまで」は、表面的な意味だけで、対比、対訳できるようなものではない。
単語一つひとつにも、成り立ちや用法からくるニュアンスがあり、それはその種族の持つ文化、歴史、想いでもある。日本語を母国語とするものが、その特殊な価値観や美意識を、母国語以外の言葉で伝えるという複数のバイアスがかかることになる。互いにその重み、歪みがあることを前提としなければ、わかりあうことは難しい。

外交官の娘として諸外国を廻ると、文化、思想の違いだけではなく、「日本国」や「日本人」について深く考えるようになる。日本が何故、数十年前に、世界を相手に戦わなければならなかったのか、それが世界の歴史という表層ではなく、人類の進む時間のうねりの中で、どのような意味を持つのか…。
哀しいことではあるが、公立学校の教師が、自国の歴史に対し喜々として悪口雑言を吐いているような国は、世界広しと言えど日本しかない。日本に一時帰国していた中学三年生の時、その自虐史観と言われる表面的で一面的な歴史認識、平和学習に疑問を感じ、お父様にそれについてお尋ねしたことがある。
少し考えたあと、「その役割に気が付かないのも、日本という国に与えられた美徳であり、また業でもあるのだろう」と少し寂しそうな笑顔で応じられ、そして、なぜか破顔して、大きな手のひらで私の頭を強くなでられた。
今なお、わたしの心と体を温めてくれる笑顔と手のひらの記憶。

いま、ネット上で仲良くしているのが、私より二つ年上で日本が大好きだと言ってくれるパリジェンヌ。お父さまの古い友人の娘さんで、小学生の時、国連主催の国際貢献の討論会のパーティで一度お話をしたことがある。アドレスは公開していないのだけれど、古い共通の友人を通じてSNSがつながった。父と私と三人で撮ったその時の写真をわざわざ探し出してメールで送ってくれた。週に一度くらいだろうか、オンライン会議システムを使って一時間くらい話をする。
ある日、古来より日本の歴史の陰で暗躍してきた一族のことを知っているかと質問を受けた。欧米の人たちは、精神世界を語るときに、「スピリチュアル」という言葉をひく。ただ、彼女が知っているのは、その一族は古来より日本の歴史の陰にあり隠然たる力を持っているということ、その当主は京都に住まわれているということだけ。どちらにも「らしい…」という接尾辞がつき、それ以外のことは厚いベールに包まれているという。
子供じみた都市伝説や伝奇小説の類いだといわれるとその通りだろう。テレビに登場する、いかにもといった風情の霊媒師、スピチュアルというものは、霊感商法と隣り合わせのショービジネスだといっていい。インターネット空間には、現実と空想の区別がつかない人達が語る滑稽な陰謀論も氾濫している。
その一方で私たちの周りには人知の及ばない不可思議なものが存在していることも事実。有能な外交官として、超現実主義者であったお父さまでさえ、「偶然やインスピレーションを軽く見てはいけない」「私たちが覚知している事象は、この世を司るものの欠片でさえない」と言われていた。
いくつかの用語をインターネットで検索してみたが、もちろんその程度では何もでてこない。何人かの知人にそれとなく聞いてみたが、誰も聞いたことがないという。雲をつかむような話で、そのような人が本当にいるのかさえわからない。
ただ、私は彼女が告げた、その「御蔭(みかげ)」という名前に、何故か運命的なものを感じ強く惹かれた。
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