其の拾六  御蔭 高 (Ⅹ)

文字数 2,178文字

木村が語ったのは陣が二週間の間に調べた内容をはるかに凌駕する、想像を絶する漆黒の闇だった。永井の前妻を含め病気や事故、自殺に見せかけて殺された人は七名、うち中村老人やホステスの女子大生を含め、四名は山中や琵琶湖に遺棄され行方不明になっている。その殺人や死体遺棄の場所に、すべて木村は立ち会っている。暴行傷害、強姦、脅迫、冤罪によって自殺に追い込まれた人は未遂を除いても両の手指では足りない。
「膣と肛門に、爆竹をたくさん突っ込んで百円ライターで火をつけました。手足がばらばらに壊れた人形みたいに動きました」
「永井が紐で首を絞めている間、久恵さんが暴れるので足を押さえていました。舌がだらりとの伸びて尿と便が垂れ流しになりました。臭かったです」
「青いバケツの中に頭をいれて逆さ吊りで痙攣するの放置していたら、目を開いたままゲロ吐いて死んでいました」
「農薬無理矢理飲ませたら、喉をかきむしって口から白い泡と真っ赤な血を吐いて死にました。白目が全て真っ赤になってました」
「こいつら三人組と一緒に、山の中に穴を掘って捨てました」
ときおり悪寒に身体を震わせながらも、その時々の情景をポツリポツリと話す。その絶望的な告白だけで二時間近くかかった。円と佐倉はあまりの凄惨さに血の気を失って青ざめている。さすがに佐倉市議を陥れた事件だけは悔恨の情が残っていたのか、焦点を失った虚ろな瞳からポロリと涙が落ちた。

木村が取り出した手帳には、医師、弁護士、会計士、会社経営者、市役所職員や警察官、市会議員の名前と加担させられた悪事、隠蔽の内容とその日時が記されている。直接的なものだけでなく間接的なものを含めると百名を下らない。すべてが明るみにでれば、自ら命を絶つ人間は、その数倍に膨れ上がるだろう。
「わたしらのことを神さんや仏さんが許すはずないし、おかしいと思ったんです。知事の話も、南部の土地の話も全て嘘やったんですね」
「嘘もホンマもない。そういう世界もあったんかもしれんな。今ここにあるんは違う世界やいうだけや」
「あなたは何者ですか。警察ですか? 検察の特捜ですか?」
「それを知ってどうする。もうどうしょうもないことは、あれこれ考えるな。永井に会わなければと今さら悔やんでも時は巻き戻せない。ただ、誰かに尻尾を掴まれてから自首すんのと、自分で罪の意識を感じて自首すんのとは、後々違ってくるんとちゃうか? あんたは誰かに言われて自首するんやない。良心の呵責に耐えられんかったんや。残された嫁さんと二人の娘さんのプライドのためにもな」

その言葉を最後に、彼の人生を押しつぶしていく重苦しい沈黙が支配する。
滲んだズボンからはアンモニア臭が広がっている。鞄も持たず夢遊病者のようにふらりと立ち上がると、倒れた永井に躓き、刹那、目を見開き怒りがマグマのように膨れ上がったが、フッと笑ってひとり店を出た。陣の話によると、途中、ポケットからスマホを取り出し、泣きながら話をしていたという。それを鴨川に投げ捨て、コンビニで五〇〇mlの缶ビールを買って飲み干し、午前二時過ぎに府警本部に入るのを見届けた。
木村が出ていくと、「では、わたしもこれで」と円もタブレットを片付け、トナカイのふわふわした角を下げて、もう一度そろりと赤沢と永井を跨いで出て行った。
気を張っていたのと、急激な展開についていけてないのだろう。佐倉は二人きりになると、ふらふらとカウンターにもたれかかり、和装のままクタクタとフロアに座り込んだ。脇から抱き上げて、真ん中のソファに座らせる。
「サトシさんは、何者なんですか?」
「今日はなんや、ようけの人にそう聞かれるな。でもその前に、せっかくサンタさんの格好をしてるんやし、佐倉にプレゼントをあげんとな」
そう言うと、持ってきた大きな白い袋に手を入れる。
「メリークリスマス」
取り出したのは、一〇年前、女子高校生の制服姿を描いた一枚の油絵。教室の机に座って、頬杖をつきながら外を見ているという単純な構図。
「ルノワールさんほどは、上手やないけどな。タイトルは、『春の憂い プロムナードを夢見る女子高生』ってとこかな」
彼女は、それを不思議そうな顔でじっと見ていたが、はじかれるように目を見開いた。
「これ私ですよね。たしか高校一年の美術でクロッキーのモデルした時ですよね」
「佐倉は最初から全く気が付かんかったなぁ。ほら、もう一つ証拠」
そう言って、首にかけていた、彼女が作ってくれた少し黄ばんだ白いフエルトのお守りを胸から出して見せる。前に、赤い糸で『お守り』と糸で綴ってあり、後ろには薄くなっているが、『葉室先生へ』と書いた文字が読み取れる。
それを手に取ると、そのお守りと僕の顔を、交互にまじまじと見た。
サンタクロースの帽子と髭をとる。
「ほんまや葉室先生や。先生のこと忘れたことないのに。なんでやろ、ぜんぜん気がつきませんでした」
女子高生に戻ってポワーンとして顔でそう言うと、前回、ここでしたことを思い出したのか、白い襟元から首筋に紅潮があがってくる。
「二ヶ月ほど前に日本に帰ってきた。佐倉、いろいろと大変やったな。もう大丈夫。よう一人で頑張った。えらい、えらい」
そう言って頭を撫でると、みるみる涙があふれ、サンタクロースの胸にすがって生まれ変わった赤子のように、ワンワンと大声を上げて泣いた。
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