其の拾七  北條 円 (Ⅰ)

文字数 2,731文字

御蔭に仕える北條家の者として迎えた初めてのお正月。
大晦日の二三時半。粉雪舞う中、井戸水で身を清め、真新しい白装束に着替える。
新年、午前〇時からお師匠を祭司とした厳かな神事がとり行われる。
参加者全員が下着もつけない単衣だが、なぜか寒さを感じない。
今年から福さまに代わり、私が龍笛を、お師匠が笙、陣さまが篳篥を吹かれ、締太鼓の夕さまの音に合わせてコウ様が舞われる。
篝火と雪明りの中、色のない世界で極められる艶やかさ。
数百年、数千年の時空を軽やかに行きかう、新しい年を寿ぐ自由な舞。
その後で、一人ひとり御屠蘇をいただく。コウ様の前に、篠崎家筆頭の福さま、その後ろに陣さんと夕さん、その後ろにキチンと正座した皆くんと怜ちゃん。わたしは北條家の筆頭として福さまと同じ高さ、お父さまが座った場所に一人で座る。
序は、円、福、陣、夕、皆、怜。眼を閉じると、北條は篠崎家よりも左の上席。私の隣に座っているお父さまの姿が現れ、気の高ぶりとともに、身がきつく引き締まる。

それが終わると、それぞれが紋付や黒留袖に着替えて、お正月を祝う宴会となる。それぞれに何度もお会いしているけれど、全員が一同に会するのは、一年のうち、祭祀や儀式が行われる定められた幾日しかない。
一二月の第三週の土曜日の午後に、マンションの管理組合の主催で行った子供向けのクリスマス会。思いのほか入居者からの寄付もたくさん集まった。篠崎家の関連会社でもあるマンションの建設会社や管理会社からも過分の協賛をいただき、マンション周辺の町内の子供たちも招待し、それは盛況なものとなった。メインゲストであるサンタクロースは、少し迷ったのだけれど、お師匠にお願いした。
コウ様には内緒にしていたのだけれど、どこかでお聞きになったらしい。
「こともあろうに神職にサンタをお願いするなど、どういうことだ」と宴席で肴にされる。
「お師匠しか頭に浮かびませんでした。子供たちにもわかりやすい、神さまのありがたいお話しもいただいて、親御さんからも、とても感謝されました」と言い訳をする。
「八百万の神ですからな、キリストさんもサンタさんもよしということです。それに円ちゃんのお願いをむげに断るわけにもいかんですしな。ちいさな子供に本物かと自慢の髭を引っ張られて往生しました…」と笑って許していただいた。
最初は、陣さま、夕さまとお呼びしたが、「本当は円ちゃんが上位だから、そうすると円さまと呼ばないといけなくなる」と言われ、陣さん、夕さんとお呼びするようになった。また、これまでは円はまどかだったが、御蔭では『えん』であり、コウ様からも、今年からはそう呼ぶと言われる。
初めてできた可愛い甥と姪、皆くんと怜ちゃんに、お年玉を渡すことができた。
最初は遠慮していた怜ちゃんも、仲良しになってえんお姉ちゃんと呼んで、膝に座って一緒に遊んでくれる。まだ少し恥ずかしそうにしている皆くんだけは、円さまと言ったが、「皆くんが一五歳になったらそう呼んでね、それまでは円ちゃんって呼んでね」と言うと、「はい。円さま」と応え、「あっ? すぐには難しいですね」と首を傾げて笑った。

クリスマスイブの夜、コウ様がサンタクロースの衣装で車を出られて、陣さんと二人きりになった。
冷静で穏やかで、白衣の似合う優秀な外科医のよう。刃物や鉄砲などを持っていないかと不安だったが、陣さんは何の心配もないと飄々とした表情でモニターを見ておられた。その通り、呆気ないという言葉も当てはまらないほど、あっという間に決着がついた。陣さんはそのコウ様より強く、その差はわたしと福さまほどあるという。その物差しが思考の範疇を超えている。
「円ちゃんも、毎日福さまにしごかれているようやね」
「はい、まだ隙だらけで、バシバシと叩かれております」
「まあ、我が母御ながら、すべてにおいて人間離れしているからね。でも、円はとても筋が良いと褒めておられたよ」と優しい笑顔。慰めていただけるのはありがたいが、実際のところ一本も入らず、一方的に攻められ叩かれ続けるだけの毎日に変わりはない。
「叩かれるのが、多少上手くなったというところでしょうか」と笑うと、「そうそう、それそれ、それが一番大切」と、ちらりとこちらに笑顔を向け、モニターに視線を戻して話しを続けられた。
「実戦においては、今のように一瞬で片がつく。スポーツではないから『はじめ』って審判の声がかかるわけでもないし、準備もできない。戦いの大半は不意打ちで、『あっ』と思った時にはもう負け。それで命まで断たれる。上手く叩かれるということは、脳内の電気信号よりも早く身体が刹那に動くということ。実践ではそれが一番大事」
そう言われれば、これまで全身だったのが、少しずつ叩かれる場所が定まってきたように思う。先日、コウ様にマッサージしていただいたときも、「少し上達したな」と仰っていただいた。その時はそれだけでわかるものなのか、何が上達したのか、不思議に思ったのだけれど。
「コウ様が、『日本で陣に敵うものはいない』って仰ってました」というと、それを肯定するでも否定するでもなく、変わらない優しい目で微笑まれる。
「子供の頃から毎日鍛錬していると、突然壁を破れたというか、光がさすというか、自分でも『強くなったな、上達したな』って感じる時があって。それで、もっと強くなろうと努力していると、『なんて俺は弱いんだ、なんと未熟なんだ』と言うことに気が付く。それを何度も行ったり来たりと繰り返していると、途中から何がなんだかよくわからなくなってくる」
そう笑うと、私がお聞きしたかったことを、先回りして続けられた。
「智にいさんは強い人だった。確かに途中からは武術としての技術や実践では私の方が上回ったけれど、お手合わせを願うと、いつも必ず言葉にできない、私に欠けている何かを授けてくださった」
そう言うと、遠くを見るような目をされた。
「きっと、『強さとは何か』という答えを自分の中に見つけられたんだと思う。それは『この世とは、我とは何か』ということであるように思う。残念ながら、私はまだまだ未熟で、そこまでは到達していない。だから、コウ様や智にいさんに恥ずかしくないよう、その答えが見つかるよう精進しないと」
これまでゆっくりとお話ししたこともなく、いつもニコニコ、飄々としていて、とらえどころのない人だと思っていたけれど、とてつもなく大きなエネルギーと優しい熱い心を持つ人だということがよくわかる。
「一緒に頑張ろう」
「はい」
そう返事をすると、胸が熱くなった。
涙を見られないよう、笑いながら手元にあるトナカイのぬいぐるみをかぶった。
それは測ったように、ピッタリと私の頭に収まった。
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