其の拾五  御蔭 高 (Ⅸ)

文字数 2,562文字

「メリークリスマス」
鍵を開け、舌をだしてのびているスカジャンをどさりと蹴り込む。
「ママ、約束通り、もう一回来たよ」
少しご機嫌ナナメの酔客は、付け髭をしてサンタクロースの格好をしている。
「クリスマスやのに、なんや雰囲気が殺伐としてるな」
「誰や、お前」と赤沢が威嚇するように、ゆっくりと立ち上がる。
「見てわからんか」
黒服と武闘派は誰だかわかっている。声をあげながら二人で殴りかかってくるが、物の数ではない。そのまま赤沢に寄って、肝臓に左から一発、前のめりになったところを天柱に一発。彼らと話をする気もないし、その役割でもない。テーブルの上でくたくたと昏倒した赤沢の襟首をつまんで、三人組と一緒にフロアに転がすと、その場所に座る。
「こんなことしてタダで済むと思てんのか」
この程度の修羅場はいくつも潜り抜けてきているだろう。怒りと動揺で顔が赤黒くなっているが、短い脚を横柄に組んだまま高圧的な態度は崩さない。
「存じ上げてますよ。悪徳市会議員の永井さんでしょ。知事になれるとか、南部の土地が動くとか、ありもしないガセネタ信じて、舞い上がってる脇の甘いおっさんやけど」
驚いたように垂れた目を大きく見開き、一人残った木村を睨みつける。
木村は、その視線から逃れるように、こちらを向き、「あなたのしたことは暴行傷害罪ですよ。警察に連絡します」と胸ポケットからスマホを取り出す。笑顔で受け流すと、永井がそれを制し、身体を起こしてこちらを向き直る。
「誰に頼まれた。斎藤のまわしもんか。こんなことして関東の巨大組織とドンパチになってもエエのか」
斎藤は祇園の繁華街を仕切っている京都に古くからある京都の斉藤組の組長。永井は苛立った時の癖なのか親指の爪の周りの固くなった皮を噛んで吐き出す。
「ヤクザに見えますか? サンタクロースですよ」
「ふざけるな、その付け髭取れや、失礼やろ、面見せろ」
そう言って、立ち上がって赤い帽子と白い付け髭を取ろうとしたところを首筋に一発、腹にも一発、そのまま赤沢たちの上に重ねてフロアに転がす。ここで永井と話をする気はない。驚いて立ち上がった木村の鳩尾に膝をいれて、もう一度ソファの上に座らせる。お腹を押さえて苦しそうにしているが、彼だけは気絶させない。
「佐倉、大丈夫か?」
「えっ、はい」と何が起こったのかわからない、びっくりした顔でコクリと頷く。
タイミングよく、ガチャリと入口のドアを開ける音がして、「失礼します」と円がタブレット型のパソコンを抱えて入ってくる。目じりが少し上がるように髪の毛を後ろでギュっと括り、大きな紺のふちどりの眼鏡。頭にはトナカイの角のついたかぶりものをしている。狭いフロアに四人の男たちが伸びているため、スカートの裾が広がらないようにそろりと跨いで僕の隣に座り木村の前に、モニターをセットする。
サンタが、それぞれ向きを変えながら、六台のカメラに手を振る姿が映る。
「では、もう一度、みんなで確認しましょうか」
そういうと、画面が六つに分割され、左端のデジタルカウントが動き始めた。

【書類偽造して、木村に偽証させて贈収賄に仕立てたで…】
【木村のじじいも、山の中に埋まってるよ…】
【娘さらって犯したら、誰も何も言わんようになった…】
【京都の古いやくざも一掃してな、赤沢の天下や】
【関東の組織とも手ェ切ってしまえ】

高性能のカメラで複数の角度から捉えられた映像は音声もクリアで、それぞれの表情まではっきりと写っている。
「この映像は、明日の朝には、ネットで公開されることになっている」
そう静かに問いかけると、震えながらも必死で虚勢を張ろうとする。
「なっ、なんや、お前の目的は、金か」
「……」
「こっ、こんなことして無事で済むと思ってんのか。そっ、それにこんな映像だけでは証拠にはならん、加工した作りもんやいうたらそれまでや」
引き攣った声で叫ぶと、かばんからミネラルウオーターを出して一気に飲みほす。
「そうやな、これだけでは証拠にはならんかもな。でも映像分析したら加工してあるかどうかわかるよ。それに証拠なんて必要ない組織もある。永井や赤沢のことを疎ましく思ってる連中が、そのまま、なかったことにしてくれるかな。それとも、永井さんや赤沢さんは、こんなこと言うはずがない、そんな人じゃないって信用されるほどの人徳がおありなのかな?」
暖かいはずの店の中で、柔らかい言葉に反するように彼の周りにだけどす黒い冷気が取り巻いていく。言い訳と逃げ道を考えているうちに、少しずつ身体の震えが大きくなり、両手を体に巻いて、それを押しとどめようとするが、どうにもならない。
木村が落ちるまで沈黙は五分と続かなかった。
もう一つの刺すような視線に気づき、突如、崩れ落ちるように床に膝をついた。

「真希ちゃん、許してください。仕方なかったんです。永井に言う通りにせんと、佐倉市議と一緒に罪に落とすと脅されて、妻や娘にも危害を加えると言われて、どうしようもなかったんです」
テーブルの下でだんご虫が身体を丸めるように土下座をしながら、四十男の泣きじゃくる声が響く。本当にそうだったのかもしれないし、永井と同じ種類の人間なのかもしれない。彼は中学の時に両親を事故で亡くしている。頼りになる親戚もなく、苦学をして高校・大学と定時制で学び、書生として佐倉市議の事務所に拾われて人生を歩んできた。
きっかけはどうであれ、もう今となっては変わりない。
どのくらいの時間が経ったろうか、いつの間にか、泣き声もおさまり、店内はまた静かになっていた。その静寂を破ったのは佐倉だった。
「木村さん、私はあなたを許す気はありませんし、今さら謝ってもろても、どうしようもありません。ただ、小さいころから真希ねえちゃんと慕ってくれた美優ちゃんと美里ちゃん、栞さんが、これから私と同じような、いや、うちよりもっと哀しい、苦しい、辛い思いをするんやと思たら、それだけは胸が痛みます」
その声に、呆けたように木村はへたり込んだ。テーブルの角で、頭をしたたかに打ち付けたが、痛みも感じないようだった。母娘三人の行く末を案じたのか、自分の言葉に真希が両手で顔を覆った。
「木村さん。罪滅ぼしとは言えんけど、あんたがこれまで永井に何をさせられてきたんか、どんなことがあったんか、みな言うてみ」

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