其の弐拾壱  御蔭 髙 (XIII)

文字数 2,160文字

永井と赤沢は、南方とおぼしき島のジャングルにいた。
裸で一畳ほどの木の板に四肢を固定され、体中にハチミツと汚物をかけられたまま、熱帯雨林の山中に放置されている。翌日には、自然界にいる羽虫や蜘蛛、ムカデ、ダンゴ虫、蟻などが、肌色が見えなくなるほど人型にひしめき合い、蠢いている。その一部は、自殺防止のためにつけられたボール状の猿轡の間を通って、口や鼻の中に侵入している。そこに卵が産み付けられ、またそれが孵化し、時間をかけて体中を浸食していく。おぞましい絶え間ない痒み、痛みに苦しみぬいて死ぬことになる。
赤沢は左手小指の第一関節が欠損している。それが判断できるようにズームされており、ヒクヒクと動く欠けた指先が生命反応を示している。数日に一度、スコールが降るようで、洗い流されたあとの皮膚はどす黒く変色し、目は白く濁り、身体中に噛みちぎられた無数の穴が空いている。時折見せる、咽頭反射やゴホゴホという噎せに口の中にいる無数の蟲が弾き飛ばされる。その状況が固定カメラで、三日後、一週間後、十日後、二週間後の映像に収められている。
先に死んだのは赤沢。十日を過ぎたところで大の字の形のまま空気が抜かれた人形のように突然、ぺちゃんこに潰れた。
永井は、まだ身じろぎもせずにそのままの姿勢で生きている。
あとどれくらいの間、このような地獄の生を受け続けるのだろうか。映像は、彼が見上げている、抜けるような青空と小鳥たちのさえずりを最後に一月二五日で途切れている。
「事実は小説より奇なり」という言葉があるが、その中でも特に人間の悪意・残虐性は人間の想像、妄想をはるかに凌駕する深いものだ。わかっていたこととはいえ、気分のよいものではない。

もう一つ、今回のことで、しっくり腑に落ちないことがある。
あの日、永井は僕がヤクザの手の回し者ではないかと疑っていた。それは、普段から警察に捕まるよりもヤクザに消される可能性の方が高いとわかっていたということだ。
永井は形ばかりの後妻は言うまでもなく、息子にさえ愛情の欠片もない。目の前でコンクリートに詰められて殺されるのも、裸で男たちに犯されるのも、かすかな感情の揺らぎさえなく、平然と見ていた。
彼ひとりであれば、警察やヤクザからの追跡からも逃げきることができただろうし、普段から万一の場合に備え、その算段はつけていたはずだ。仮に、すべての悪行が暴かれ死刑になるとしても、これまで犯罪に関わった人間すべてを道連れにするだろう。どうして、そうしなかったのだろうか。謀(はかりごと)といえども、極限状態における人の内心のゆらぎまで謀れるわけではない。ただあまりに、その末路はあっけない。彼の本性をここまで隠し通してきた無類の用心深さ、警戒心や猜疑心も安穏とした議員生活の中で鈍っていたのだろうか。それとも他に理由があるのだろうか。

長い映像が終わると負のエネルギーを払うかのように長い息を吐いた。
「悪党の末路は悲惨だな」
「そうですね。ただ、法や倫理を破って生きていくということは、自らも法や倫理に守られる権利を捨てるということです。無惨ではありますが理不尽ではありません」
「排除されるべき理不尽はこの世には、他にたくさんある」
そう応じると、陣はゆっくり、小さく頷いた。
「功罪はうつろうものだが、正邪は不変である」
しばらくの沈黙ののち、陣がポツリと言う。
「それ誰が言ったの?」
「智にいさんです。円ちゃんといると、智にいさんに教えられたこと、叱られたこと、ひとつひとを思い出します」
「へぇ、智が陣を叱るなんてことがあったんや」
そう言うと、小さく微笑んで、その面影を辿るように遠い目をした。
「智がこの世ではわからぬ縁や業というものの正体を、玄と一緒にあの世から僕におしえてくれるそうな」
「えっ、それはどのようにして」
「わからん。正確に受け取れるかどうかは、僕の器量次第だと言われた」
「それは難しい宿題ですね」
「他人事みたいに言うな。僕の器量ということは陣もセットだ。でも、お爺さまにヒントでも聞いておけばよかったよ」

ぬるくなった酒の枡を、冷たいのに入れ替えてくれる。
「そう言えば、京都の斉藤会長も引退するらしいな」
「はい」
「陣は会うたことがあったな?」
「玄さまのお使いで、二度ほど」
「じじが戦時中に命を助けたことがあるとか」
「はい。このようなみっともない仕儀となり、死んでも死にきれない、玄に顔向けができないと涙を流しておられました。斟酌は無用、これ以上波紋を大きくしないようにと伝えておきました」
「見せかけの平和と民主主義が続いて、日ノ本も表も裏も上から下まで驕りでタガが緩みきっているんだろうな。あの映像はその極みだ。歴史は繰り返すというが、平安末期、室町末期というところか。僕らも同じことがいえるのかもしれないな」
そう言うと、「肝に銘じます」と静かに頭を下げた。
「そうそう、不思議に思ってたんやけど、円はどうして、あのとき、あれほど嫌がっていたトナカイの帽子をかぶることになったん?」
両手を後ろについて、そう訊ねると、陣は軽く眉間にしわを寄せながら上を向いた。
「円さまは、何と?」
「秘密だそうな」
「では、わたくしもそのように」
「まっ、いいけどね」と笑うと、
「申し訳ありません」とようやく目じりを柔らかく下げた。
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