其の弐拾弐  御蔭 髙 (XIV)

文字数 2,059文字

その数日後、秘書の木村の残した資料と供述に基づいて、陣の手の者が調べ上げた追加の調査の綴りが届けられた。念入り、巧妙に隠していたようだか、赤沢とは同じ村の出身だということがわかり、そこから紐づる式につながった。
その中で興味を引いたのは、永井が変貌するまでの半生である。
彼は、北関東の外れにある、小さな村の生徒数百人程度の小さな中学校で生徒会長を務めており、教師や他の生徒からの信頼も厚く、神童と呼ばれていた。六歳年下の妹は小児麻痺で重い障害があったが、毎日、その車いすを押して、隣の小学校までの坂道を送り迎えする様子が見られたという。
その家族が村から追い出された理由は、人によって意見が違う。同級生の多くは、彼が中学生の時に、村長の娘に書いたラブレターがきっかけとなったトラブルだと言う。娯楽の少ない田舎に暮らす思春期の彼らにとって、それは大きな事件だったに違いない。
「用務員の息子が優秀だったのが、村長は面白くなかったんだろう」と話す人もいる。その村長には、永井と同級生だった娘の二つ上に長男がいた。その息子に政治家の地盤を譲り、権勢を拡大し、ゆくゆくは県会議員や国会議員にしたいという望みがあった。しかし、当の本人は、甘やかされて育ったせいもあり、途中で高校にも行かなくなり、今で言う引きこもり、ニートのような状況にあった。
ただ、封建的な村社会とはいえ、当時、数千人の人口規模がある村で、そんな子供じみたことで村八分のように追いだされるとは考えられない。
村を追われる、直接的な原因となったのは小学校の修繕を巡る贈収賄事件である。永井の父親が用務員を務めていた小学校で、校舎の大規模な修繕計画があった。父親は、その職務上、その計画書や見積りなどを見る機会があり、同時にその知識もあったことから、工事費の水増し、談合などの不正に気が付いた。それを校長に進言したのだが、校長からすれば村長から指示であり、村議会も全て承知していることである。
父親は、その職務において一部の業者と癒着していると逮捕され、用務員を解雇になる。不起訴となっているものの、贈収賄事件(接待などの便宜を受けていた)として、地方紙の隅にも名前入りで掲載されている。ただ、父親には業者選定の権限はなく、村内の工務店の同級生と酒を飲み、その費用の一部(二千円程度)を負担してもらったという程度のもので、軽微というよりも無理やりと言った方が良い。
「用務員が、私腹を肥やしていた…」
「小学校の建て替えでも、いい思いをしたかったのだろう…」
関係者の中には、今でもそう話す人もいるというが、そのことについては「忘れた、知らない」と触れたがらない様子だという。一方で、七〇代、八〇代(永井の親世代)は、一家のことをよく覚えていて、「いつも妹さんの車いす押して、きちんと挨拶のできるエエ子じゃった」「そんなことをする人らではない。強欲の村長にだまされたんじゃ」「見て見ぬふりをして、上手に立ち回ればよかったんじゃ」と反論、擁護する声は大きい。答えはひとつではないが、情報を繋ぎ合わせると、全体として彼とその家族を取り巻く状況が見えてくる。

永井の家族は故郷を追われ、その生活は一変する。大人しく真面目だった父親は事件の反動から、偏狭な自己の正義感に取りつかれ、他人を全く認めなくなった。どの会社でも、あげつらうように他人のミスを指摘し、ささいなことで激高。定職にもつかなくなり、酒浸りの生活となっていく。
永井は、定時制高校に進学したが、朝から晩まで仕事をしないと生活が追いつかず、加えて重度の障害をもつ妹への介護もあり、半年程度で退学を余儀なくされている。生活を立て直すために、妹を一旦、障害児施設へ入所させてはどうかと言う話もあったそうだが、永井は頑として受け付けなかった。母親もスーパーののレジ打ちなどの仕事を放りだし、夜のスナックで働き始め、男ができて家を空けることが多くなる。それでも永井は妹に寄り添いながら、朝は新聞配達に始まり、夜は遅くまで内職のクリスマス用の造花を作っていたという。
そのような生活も、村をでてから一年もたなかった。
当時、一六歳だった永井が懸命に守ろうとした、妹とのささやかな生活を断ち切った一つの事件、それを報じた短い新聞記事が添付されている。

【12月23日、21時30分頃。東京都足立区竹の里の木造アパートで火災があり、この家の夫婦と長女の三人が死亡した。近所の話によると、普段から夫婦ケンカが絶えなかったと言い、消防は夫が発作的に灯油をまき、火をつけたと見ている。これを助けようとした長男は左手にやけどを負ったものの命に別状はない】

何があったのか、どうしてそうなったのか、記事の通りなの、そうではないのか、詳細はわからない。警察や消防での取り調べにも永井は黙秘し、一言も応えていない。
ただ、彼がそこで見たものを想像することは難くない。消防が駆け付けた時、彼は黒焦げになった妹を両手に抱いて、コンクリートの土塀に寄り掛かっていたという。
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