其の拾八  北條 円 (Ⅲ)

文字数 3,092文字

「若い社長さんとお話しを進めるのは難しいと思っていました。どうしたものかと思っていたんですが、こちらにも、少し動きがありましてね」
コウ様はこれまでの取っつきやすいけれど抜け目ない、飄々とした雰囲気を消して裏の顔をチラリと見せる。それに引きづられるように「動きと言いますと」と彼女が初めて口をはさんだ。
「土地がらみの大きなプロジェクトでは、お金だけでなく、様々な人の手を借りなければスムーズに進まない。それなりに上手くやったつもりだけど、終盤にきて少しだけ情報が漏れていて、耳聡い一部の人達から、『地場の土木や建築業者も計画に参入させてくれないか』という依頼が来ている。もちろん、京都でのプロジェクトだから、京都の地場産業の方々との連携も必要なんですけど。ただね…」
親和性を高めるように、少しくだけてそう言うと、「山本さん(なぜか元夫の名)」と突然私に続きを話すように促される。彼女は、そこで私がいるのに初めて気づいたかのように、こちらを見た。
「癒着と談合で成り立っているような会社を入れると、情報の統制や管理ができません。かといって、それを無下に断るのも角が立ってしまいます。そこで、政治的な関わりのない、地場の優良な住宅の建築、設計業者として知られている御社に、中核企業の一つとして御助力いただけないかというご相談です」
奥歯をかみしめ機械的に頬を緩めてはいたが、目の奥には、(どうしてこんな女が…)と見下すような嘲りと強い憎悪がある。彼女はこの一〇年、人としての喜びや哀しみ、女としての夢や憧れといったすべての感情を、憎悪に転換することで生き伸びてきたのだろう。他人の人生を憐れむのは恥ずべきことだと思うが、あまりに哀しい。
私の声を聞きたくなかったのか、すっとコウ様の方を向く。
「私たちにどのようなことを、ご依頼いただけるのでしょうか」
しばしの沈黙。彼女越しに、新緑の大文字山が見える。
コウ様が黙っておられるので、私が続きを話す。
「現在の計画では、造成地の約六割程度が一般の住宅地となる予定です。その約三分の一、つまり全体の二割の造成や建築をお願いすることになります。そのゾーンは、京町屋をイメージした和風建築で統一される街づくりとなります。規模的に御社だけで難しいでしょうから、下請けとしてデベロッパーやハウスメーカーさんに、分散してお声かけいただいても結構です。もちろん、その場合は、事前に、その業者名や区画割をこちらにお知らせいただくことになりますが…」
そう話したときに、彼女の眼からは怒りが消え、もっと暗い炎が立ち上る。
緊迫の中、黙っておられたコウ様が、それを引き取って、話しを続けられる。
「それには一つの条件があります。ご存じの通り、私たちの表向きの顔は、投資会社ですから、プロジェクトに参加いただくには一緒に投資に参加していただくことが必要です。その最低のロットは一〇億。まだオープンにできない話ですから、銀行や他社からの借り入れはできません。社長様の個人資産を含め、御社の自己資金で賄っていただくということが前提です」
コウ様は、間を取るように目の前に置いてあった、ペットボトルの水を一口含み、そして、キュっという音を立てて、その蓋を締めた。
「もちろん投資ですからリスクはゼロではありません。ただ、実質的な開発がスタートする前に、何か大きな問題が発生し中止となった場合は、利息はつきませんが全額返金します。それは複数の都市銀行が共同で担保します。ただ、プロジェクトがスタートした後で、万一、天災や予期せぬトラブルで継続が難しくなった場合は、その損失に合わせて返金させていただくことになります」
一気にそう言った後、「予期せぬトラブルって何がありましたっけ?」と、少し困ったような笑い顔が向けられる。
この面談は、演劇のひとコマのようなものであるが、前提となる事実があるだけで、シナリオもセリフもない。雰囲気に合わせてアドリブで勝手にお話しになり、自分の言葉に疑問があるときは、こちらにその矢が飛んでくる。愛らしくもあるが、何を聞かれても澱みなく答えられるよう細かく想定しておかなければならず、困ったもの。
「そうですね。京都でのプロジェクトですから、万一、大規模な遺構や遺跡が発掘されれば、工事が当初の予定よりも遅れる可能性があります。ただ、歴史的には少し外れた場所ですから、大地震などの天災よりも可能性は低いかと思われます」
「投資額の返済と配当については?」
「基本的には土地の開発、造成のための投資ですから、一年毎に配当をお出しし、SPC(投資のための特別目的会社)を解散する時に、初期投資額を全額返還するという形になります。確定的なことは申し上げられませんが、地価は現在の数倍以上のものとなります。現在のところ、来年の四月スタートで、プロジェクト終了までは五年、配当は投資額の年一五%、福利で合計約六一%を想定しております」
私が、手帳を広げてそう申し上げると、「一応の最低ラインだと思ってください。もちろん、それはあくまでも、全体の土地やその開発に対する配当であって、御社の個別の住宅設計や建築にかかる利益は別のものです」と言葉を添えられた。

雰囲気を変えるようにソファ背もたれに体を預け、大きく背伸びをされる。
「実は、祖父母が一五年ほど前に、小さな家の介護リフォームで御社にお世話になったことがありまして、祖母は祖父が亡くなった後も、杉村社長と池崎さんという担当の方の名刺をお守りのように大切にしていました。先日、田中社長からお名刺をいただいて、久しぶりにその笑顔を思い出しました。今回のプロジェクトの参加は、御社にとって決して悪い話ではないと思いますが、金額的に投資が難しいということであればお断りいただいて結構です。私たちも、『技術力・信用力の高い御社にお話しをさせていただいたが断られた』ということで、相手の顔を立てることができます」
「ありがとうございます。確かに大きなお話しですから、社長やその他株主にも図らなければなりませんし、即答はできかねます。ただ、一〇億程度であれば、これまでの蓄えもございますし、ご用意できるかと思います。正式なご返答をさせていただくまで、一週間程度、お時間をいただけますでしょうか」
その彼女の言葉に、(それで良いのかな?)と、同意を求めるように、こちらを向かれたので、表情を変えずに、小さな会釈をするように瞼で答えた。
「申し訳ありませんが、御社の社長さまに一度、ご挨拶させていただくことは可能でしょうか」
「このプロジェクトの社長はこの山本です。代表は…、今どこにいるの?」
「えっと、ニューヨークかドバイか、そのあたりだと思います。ムンバイかもしれません。向こうのプロジェクトに問題が発生したとか言っておりましたので。日本に戻る予定は、しばらくありません」
彼女の胸元に差されている、ペン型のボイスレコーダー。今回の実質一五分程度の短い会談の全容が録音されている。私たちに気付かれていないと思っているだろうが、それは、犬飼から資金を引き出すために、あえて彼女に与えたものである。
ただ、その中には、固有名詞は一つもでてこない。
犬飼も、別に落とされた針によって、「ヤマト開発」の中で絶体絶命の窮地におちいっている。彼らに逃げ道はなく、裏金をすべて吐きだすしか他に方法はない。
コウ様を残し、ホテルの部屋から出て、廊下で彼女を見送る。
その後ろ姿を暗い炎が包み込み、大きく燃え上がっている。私は、それが彼女の人生を焼き尽くしてしまうことを知っていた。
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