其の拾五  田中 祐樹 (Ⅲ)

文字数 2,154文字

絵里さんからの指示で、あれから毎日、祇園のクラブに通っている。
夜の九時すぎから、閉店になる一時過ぎまでずっと。
だからいつも昼過ぎまで寝ていて、会社に行くのは、夕方五時を過ぎてから。無駄な残業代が発生しないよう全員のタイムカードを打った後は、八時過ぎまで会社にいて、戻ってくる社員に気合を入れている。一件の成約も有力な情報もなく、相変わらず使えないボンクラばかりで、どうしようもない。
口には出さないけど、みんな俺のことをバカにしているのがわかる。大きなビジネスに食いこめたら、若い女性営業マンに入れ替えてやる。どうせ他に行くとこないんだろうから、いまのポンコツ設計士や大工は別会社の下請けに入れて、全員飼い殺しだ。

絵里さんからベッドの上で、「なんとか喰いこんで」「何でも良いから、少しでも情報を引き出して」と甘えられ、「社長の俺に任しとけ」って引き受けたけど、何をどうすれば良いのかわからない。わかっているのは、京都南部の広い土地を買った「M&M投資顧問」の関係者というだけ。
絵里さんからは、どんな顔だったか、日本人だったかと聞かれたけど、酔っばらっていたし、覚えているのは連れていた美人の女と目立つオレンジの帽子だけ。たぶん五十歳くらいで、日本語だったから日本人だろうということかくらい。それも「絶対そうか」と言われると自信がない。今から思うと、関係者なのかも怪しく、単なる噂話をしていただけなのかもしれないけど、今さらそれを言いだせる雰囲気じゃない。

毎日のように、絵里さんから連絡が入る。「今日も来なかった」と言うと、がっかりしているのがわかる。でもこればかりはどうしようもない。追加で高いボトルを三本も入れたのに、ママや他のホステスに聞いても、「さて、どなたのことでしょう」「田中社長は毎日、長時間おられるので、よう知ってますけど…」と、とぼけて取り合ってもらえない。ホステスも誰も寄っても来ないし、ぽつりと放置されたまま居心地は最悪。それで飲み過ぎてさらに気分が悪くなる。昨日は、奴が店に来た木曜日だったので、絵里さんも遅くまで近くのホテルで待機していたが、空振りだった。
帰りにホテルに寄って、「もう、来ないのと違うかな。あの日は、たまたま来ただけかもしれんし。もっと他のいい土地を探そうよ」と言うと、初めて見るゾッとするような冷たい目で睨まれた。「社長がやる気がないのなら、何も言いません。どうぞお一人でご自由に頑張ってください」と怒って部屋を出て行ってしまった。「そいつらが来んのは、俺のせいやないやろ」とビールの空き缶をドアに投げつけたが、絵里さんに嫌われたくないし、もしいま辞められると大変なことになってしまう。

今日は金曜日。いつもよりお客は多いが奴らは来ない。
「はぁ」
午後の十一時を超えた。
ふらふらする頭で、「絵里さんに何て言い訳しようか」と思って下を向いていると、「いらっしゃいませ」というママの声とともに、店の雰囲気が変わる。顔を上げると、あのオレンジハットの男が、真っ直ぐこっちに向かって歩いてきた。
「こいつや」
はっきりとは覚えてないけど間違いない。その後ろには例のおばちゃん秘書がいる。もう一人はこの間の女優張りの美人ではなく安物のジャケットを着た若い男。
「でも、絶対こいつだ」
俺の左隣のソファに座った。絵里さんに電話しようかとチラと思ったけど、ポイントを上げるには、どんな話をしているのか一人で聞きだした方がいい。
ママとチーママが、NO1、NO2を連れて、いそいそとやってくる。
「ママ、この間はどうも。でも、ちょっと仕事の話をしたいから、またあとで…」と、そのオレンジハットが言うと、「では後ほど」と丁寧に会釈をして、隣の俺を睨むようにチラリと見て下がった。
絵里さんに渡されたジャケットの内ポケットに入れたボイスレコーダーのスイッチをそっと押す。身体を左に寄せながら必死で耳を澄ませたけど、金曜の夜で店がガヤガヤしているのと、小さな声でボソボソと話をしているので何も聞こえない。右側の禿げ親父が大声で馬鹿笑いしているのに殺意を覚える。「もう一杯、お作りしましょうか」と空気の読めないホステスが声をかけてきたため睨み返すと、黙って席を立ってどこかに行った。
五分もしないうちに、おばちゃん秘書のスマホが鳴る。その電話には出ずに、誰からかかってきているのか、着信画面をオレンジハットにかざす。「先生方が、痺れを切らしてお待ちのようだ」と男は笑って、席を立って秘書と二人出て行った。
あっという間の出来事で、後をつけるべきか考える時間もなかった。ママとチーママも小走りでそのあとをついて送りに出た。

ふと隣を見ると、まだひとりの男が席に残っている。社長のオレンジハットがいなくなったからか、「はぁ~」と声を上げ、ネクタイを緩めながら、背筋を伸ばしてくつろいでいる。振り向いたときに目が会って、そいつは少しバツが悪そうに、俺に小さく頭を下げて笑った。盗み聞きしてたのを見透かされたような気がして、慌てて顔をそむけたけど、もう一度見ると、やっぱりこっちを見ていた。
同じ三〇歳くらいの、少し頼りなさそうな人の良さそうな顔。
俺よりも、年下かも。
よし、こいつからなら、いろいろ話を聞き出せそうだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み