其の弐拾参  北條 希 (Ⅴ)

文字数 2,188文字

「人間は、自分のことは、悲しいくらいに、全く見えてないものですね」
いつもの、お風呂の時間にコウ様に聞いてみる。
「今日は、希はエライ哲学的なことを言うんやな」
「あの映像を見せていただくと、何だかなぁ…って感じです。何でというより、何がそうさせるのでしょうね」
「自我の殻は、自分を映す鏡になっていないから」
円さまがぽつりと言われる。自我こそが自分だと思っている人が多いけれど、それは単なる周囲からの教育、記憶、経験の蓄積でしかない。悲しい経験、辛い思い出、他人からの期待や責任、劣等感や優越感、誇りやプライドで固められた自分というものが重くなりすぎて、客観的で、正常な判断ができなくなるというご意見。
でも、自分の姿が見えてしまったら、人からどう見られているのか、すべて自覚できればどうなるんだろう。それはいいことだろうか、楽しいことだろうか、幸せなことだろうか…、そんなことも考える。
「殻の固い奴、自分のことしか見てない奴ほど、自分の姿が見えてないというけったいなことが起きるんやろな。金や欲望に目がくらむ状態を不幸と言い、恋とか夢とか友情のために、周りが見えなくなることを幸せとよぶのやろかな」
コウ様のなにげないその言葉がストンと胸に落ちる。
しばらく、その意味を考えていると、乳房をツンツンと突かれる。
「希のいま、夢中なってる一番大切なものは何?」
「倶楽部 プロムナードです。必死のパッチです。円さまは?」と続けて聞くと、
「そうね、私はコウ様の近くにお仕えしていること、かな?」
少し恥ずかしそうに照れながら、でも笑いながら嬉しそうに応えられた。
「それズル~い」と口をすぼめて水をバチャバチャと叩く。
私だって、コウ様や円さま、御蔭の家族が何よりも一番大切。自分のことが見えていなくても、御蔭の家族を見ているだけで幸せ。
『倶楽部 華夕』は、この七月から『倶楽部 プロムナード』に名称が変更となった(『倶楽部 真希』は無理ですってと、泣き泣きパッチの抵抗で、プロムナードにしてもらった)。クラブを運営している会社の社長さんは、バーテンの加藤さんになっている。ダンディな白髪のオールバックと白髭の加藤さんは、陣さまの配下で六七歳の独身。公認会計士と弁護士、それにお医者さんの資格もお持ちで、武術もお強いらしい。コウ様が新しい当主であることをお知りになったのは、アメリカからお帰りになってからだけど、御蔭の中核に近い一員でもある。
ちなみに、ホステスさんもみんな私より年上で、かつみんな英語が話せる(一人はフランス語もドイツ語も、もうひとりは中国語もOK)ため、外国からお忍びですごいお客様が来られても全く大丈夫。私一人だけ取り残されたような感じで、劣等感がギシギシ固まってくる。
六月最終日の閉店後、加藤さんと七人のホステスさんから、「明日から、ママとお呼びさせていただきます。今後ともお引き立て、ご指導いただきますよう、どうぞよろしくお願い致します」と、あらたまって頭を下げられた。
何か言葉にすると、涙がでそうだったので、一人ひとりにギュッと抱きついた。最後に加藤さんに抱きついて、ほっぺにチュッとすると、白いおひげにルージュがついて、恥ずかしそうに頬を撫でられた。
「よろしくお願いします」と頭を下げると、その責任の重さに身体が震えた。

祇園祭の期間中、宵々山、宵山、山鉾巡行の三日間は、『倶楽部 プロムナード』もお休みをいただいている。今日は、福さま、怜ちゃん、皆くんと一緒に、みんなで浴衣を着て宵山におでかけ。
まだ、七時を過ぎた頃だけれど、歩行者天国になった四条界隈はたくさんの人。
福さまは紺地の落ち着いたもの、私は白地に紺と青の絞りの入ったもの、怜ちゃんはピンクと赤の女の子らしい可愛いらしい花柄のもの、皆くんは銀色の浴衣に黒の角帯で、なかなかに男っぽく、格好いい。
誂えてくださった老舗呉服屋の「まるよし」に寄って、お茶で一服。
大昔からの御付き合いで、ここの娘さんと怜ちゃんは、仲良しのお友達らしい。
お話ししている間、二人で浴衣を見せ合って、コロコロと遊んでいる。
それからまた人の波に沿って、四条通りを烏丸通りから西へぞろぞろと歩く。
コンコンチキチン、コンチキチン。
鉾の名前は言えるかな…。山まで全部言える人はすごいです。
子供の頃は、お祭りが楽しみで、お父さんとお母さんと三人でこの人混みを歩いた。今年から、その思い出は痛みではなく、心を温めてくれるようになった。
「希ちゃんだけ、僕と怜の子守りさせるようでごめんね」
隣を歩く皆くんが、少し申し訳なさそうに笑う。この半年で一気に身長が伸びてあっと言う間に追い抜かれた。筋肉質の長い手足、陣さんによく似た切れ長の涼しげな目、冷静沈着、成績優秀、スポーツ万能、誰にも優しく、おまけにめっちゃ強い。こんな男の子が同じクラスいたら、女の子は勉強に身が入らなくて大変だろうな。
「いいよ、今日は皆くんとデートだと思って、私も楽しみにしてたからね」
そう言って、腕を絡めて小さな胸に押し当てると、体がビクッと反応して、恥ずかしそうに下を向いた。何かワクワク楽しくて、調子に乗ってほっぺにキスしようかと思ったけれど、嫌われると困るのでやめておいた。
今日は、このまま、みんなで北白川に泊まることになっている。
可愛い、弟と妹と一緒のお泊り会。楽しみ、楽しみ。
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