其の弐拾四  北條 円 (Ⅳ)

文字数 2,557文字

希のアンテナにひっかかった、「京都杉村工務店」の事件。
悪人、善人というよりも、お金や欲望に負けた人達の末路。私は、どうしても同い年だった相原さんへの憐憫の情がつのる。彼女のしたことは許されないけれど、社会から「稀代の悪女」のように罵られるような人ではなく、彼女も被害者の一人だと言ってよい。
その人の犯した罪と与えられる罰とのバランスは、不公平で不均衡なものだと思う。
それもすべてわかっていて、彼女を謀りにかけた。

希は、わからないことや、疑問に思うことは、何でも確認しなければ気がすまない性分。自分が発端となったことなので、気になるのは当然だけれど、昼は福さまに叱られて叩かれて、夜はそのままクラブのママの仕事があって、疲れているなら早く眠れば良いのに、それでも、「なんでなんですか?」「それはどうしてですか?」と聞いてくる。ソファに座って説明していても、話の内容が難しくなると、途中で目がトロンとしてくるし、首がガクリと落ちることもある。コウ様にマッサージしていただいていても、気持ちよさそうにお尻をポッコリあげながら、うたた寝している。それをご覧になっている、コウ様の目がお優しい。
希の疑問の一つは、彼らが拠出した一〇億円の行方。
もちろん、それは契約に基づいて返還した。
「えぇ~、返しちゃったんですか?」
「そうよ。返さないと詐欺になるからね」
「でも、こんなバタバタしている中で、どうやって本人たちに返すんですか?」
それはそう難しいことではない。返還先は、「M&M投資顧問」が契約をしていた京都杉村工務店だから。
そう言うと、希は「なるほど」と頷いたが、納得したわけではなく、まだアヒル口のまま。犬飼や相原さんに返すのも正しくないと考えているようだけれど、お金の流れとして間違ってないのか、法律的に何か問題にならないのか、そのあたりが釈然としないらしい。
私たちは善意の第三者なので、誰がお金を出したのかも知らないし、知る由もないというのが建前。トラブルの有無に関わらず、配当金などを支払う対象も、資金を返還するときの対象も個人ではなく京都杉村工務店という法人。
もちろん、それは犬飼らもわかっている。恐らくは時期を見て、二代目社長を言いくるめ株式を増資するなどして会社を乗っ取っていただろう。
ただ、その手続きをする前に、ブラック企業として社会からの厳しい指弾をうけることになってしまい、動きが取れなくなった。そのため法的にみれば、単なる個人から会社に対する無担保の貸付金でしかない。表に出せない裏金なので、貸付証書なども作っていないだろうが、もし仮に作っていたとしてもそのお金をどう使うのかを決めるのは、逮捕され解任された田中社長ではなく、杉村社長が亡くなったあとの相続人、全株式を引き継いだ杉村元社長の妹、弟となる。
運転資金がショートしたわけではないけれど、ここまで社会的にブラック企業として大きく報道されたからには、会社として存続することは難しい。元社長の妹(田中社長の母)と弟は、私的整理による会社の清算を選択した。
その会社の整理を担当したのが、プロムナードのバーテンダーである加藤さんが事実上のオーナーを務める「京都みやび法律会計事務所」。弁護士が数十人、公認会計士も数十人という、大手企業や病院、寺社仏閣の法律顧問、財務顧問をほぼ一手に引き受けている京都最大の法律会計事務所。
事件が発生した時点では、決算上は利益があったけれど、まったく売れない宅地を抱えていたため、実質評価は債務超過となっていた。そのため、まずはこの土地を相場の二倍程度で「ヤマト開発」に買い取らせる。犬飼と相原さんの関係をつかんでいることを匂わせ、口止め料を含ませる。
それでも五億ほどの債務超過になったが、ここに一〇億のお金が返金される。
厳密に言えば、天から降ってきたようなお金の出所について、税務署が調査しなければならないのだが、彼らもややこしいことには関わり合いたくないだろうし、大手の法律会計事務所が仕切っているため何も言ってこない。
あるはずのお金がなければ大騒ぎになるけれど、棚からひょっこりと出てきたおはぎについては、誰もあれこれ言わないもの。行政含めすべての関係者が一刻も早く処理を済ませてしまいたい時には、特にそう。こうして全体の財政状況を明らかにしたうえでお金が残れば、最終的に会社に対して債権をもつ関係者で分配されることになる。
ここからは、会社の任意整理の問題。
この手の会社整理の場合、第一に優先される債権は税金や社会保障費などの公金。
今回は未払いの税金はなく、労働基準法違反の罰金がこれに相当するが、それは数十万の微々たるもの。
次に優先される債権となるのが、社員に対する給与の支払い。
通常の給与だけでなく、映像などから不正に残業代が支払われていないことは明らかであり、これに対して労働基準監督署の調査が入っている。
そして最後に、残った銀行借り入れや出入り業者への支払いなどの一般債権が分配されることになる。この優先順位も、担保の有無などによって変わってくる。
通常はこの流れに沿うが、法律事務所の会計士、弁護士が中に入って調整していることから、銀行にも当初の融資額の七割程度の返済で手を打たせ、細かな債務債権を整理すると、会社には七億円程度の資金が残った。
残った取締役である弟妹は、今回の事件を引き起こした道義的な責任があるとして、その全額を社員や亡くなった池崎さん、うつ病を発症した社員に対し、残業代と慰謝料を含め退職金として分配する決定をしている。勤続年数に合わせて、社員それぞれに二~三千万円の退職金と、池崎さんの御遺族には一億円の慰謝料が支払われ、これによって、労働基準監督署の調査も打ち切られている。
もちろん、その途中で犬飼らが債権の存在(個人貸付であること)を訴え出れば、彼らにも分配されることになるのだけれど、訴えでると、その不正な資金の出所を証明しなければならず、かつ賃貸借証書も作っていないだろうから、手の出しようがない。
犬飼は、浮浪者のような生活をしていたようで、病院にもかかれないまま持病の糖尿病が悪化し、ガリガリに痩せて横浜近郊の公園で病死者として見つかっている。
私は、彼には同情しない。
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