其の拾四  相原 絵里 (Ⅲ)

文字数 2,064文字

翌日、すぐに法務局に走って登記簿を挙げると、その周辺一体すべての所有者が今月の初め「M&M投資顧問」という会社に変更になっていた。確認しようと犬飼の個人アドレスにメールを入れると、即座に返信があり、「電話では話ができないから、外で会えないか」と言いだした。私たちは汚い金でつながった関係であり、吐き捨てるような命令だけで「会いたい、会えないか」などと言われたことは一度もない。それも、十九の時に一度だけ連れて行かれた大阪ミナミの有名な高級料亭を指定された。

「絵里、何でその名前を知ってんのや?」
「何故って京都にいれば、土地の動静は気になるでしょ。一応、不動産コンサルなんで」
「そんなことを言うてんのやない、何でその会社に興味があんのかを聞いてんのや」
「犬飼さんこそ、どうしてこんなところに、私を呼び出したんですか?」
そう言うと、暗い顔をして黙り込んだ。
そのままじっと見つめていると、男のほうから目を逸らした。
「まぁ別に、隠すようなことでもないですけどね。ひょんなことで、その関係者と親しくなったので、どんな会社なのかなと思っただけですよ」
そう突き放したように言うと、「本当か。どこで会ったんだ。ひょんなことって何だ」と汚い泡を飛ばして、かみつくように勢い込んできた。

電話での雰囲気がおかしかったので、会う前に「ヤマト開発」に探りを入れている。女だけを武器に生きてきた私には、犬飼も知らないそれなりのルートがあり、私を抱いた家庭持ちの男達のうち、何人かは本社の部長クラスになっている。今でも必要な情報ラインにいる男にはたまに抱かれてやっているし、メールや会話の録音は残してあるため、私の質問にはきちんと応えてくれる。
それによると、犬飼はいま窮地と言うよりも、てっぺんにまで登りつめるか、地獄にまで転げ落ちるかの岐路に立っているらしい。私がいた頃は、将来の社長間違いなしだと言われていたが、もう一人の派閥の長である現社長が作ったコンプライアンス委員会で一部業者との癒着が問題視され、社内に怪文書が飛び回るなど、その前途に暗雲が立ち込めているという。
私が密かに持っている犬飼に関する数々の不正の証拠を出せば、今の社長は小躍りして喜ぶだろうが、いまはまだそんなことをする気はない。それが本当に威力を発揮するのは、こいつがトップに立ってからだ。
「五十歳くらいの眼鏡のオシャレで素敵な男性ですよ。でもこれ以上のことは犬飼さんにも秘密ですよ。極秘だって釘をさされてますし。どうしてもと言われるなら、そちらの持っている情報と、ギブ&テイクでいきましょうよ」
私が直接会った訳でもないし、バカ社長も面識があるというわけでもないが、喰いつかせるために、この手の話は膨らましておくに限る。
「どこや、外資か、中国か、どこや」
「さぁ」
そう笑って煙草に火をつけると、飼い犬に手を噛まれたと思ったのか、一瞬赤黒くなったが、大きなため息をつくと諦めたように話し始めた。
「お前はもう知っとると思うけど、ワシもここでデカい手柄立てんとまずいんや」
大きな土地が動くと、金だけではなく、連動して政治や行政など様々な力や思惑が蠢きだす。ペーパーカンパニーをいくつ通しても、誰が何の目的で、どうして、いくらで手に入れたのかは、すぐにわかるという。しかし、今回は大手の建設会社や不動産会社、デベロッパーなどはどこも動いておらず、その金の出どころも、どのような経路でその会社に権利が渡ったのか、何のためなのか、どのような会社なのかも全くわからない、文字通り雲をつかむような話だという。
「残念ながら、教えてやれる情報は何にもないんや。ホンマや。ワシだけやない。京都南部の土地は、どこも詳しい情報をキャッチしてない。間違いない。どう考えてもおかしいし、それだけに、想像もつかんような大きな話が働いてんのは事実なんや。そやし、この話にちょっとでも、食い込むことができたら、今の状況を打開できるんや。なぁ絵里、頼むわ。あのアホぼんも金ヅルになってんやろな。上手いこといったら、また、なんぼでもええ話、回したるし」
そう猫なで声を出して迫ってくる。昔はもう少し危険な匂いのする知的でワイルドな男だったのに、いつの間にか金と権力に汚いだけのおっさんになった。最初からそうだったのかもしれない。子供の私にはわからなかっただけだ。
「ガードの固い、底の見えない会社ですし、そう簡単ではないとおもいますよ。これまでのやり方は通用しないというのはその通りでしょうね。でも一応、頭の中に入れておきます。犬飼さんやヤマトさんにお手伝いいただけそうなことがあれば、ご連絡しますよ」
そう言って、タバコを灰皿に押し付けると、犬飼は嬉しそうにビール瓶を私に傾けた。
店を出ると、「この後、久しぶりにどうや」とお尻を触ってきたが、「間に合ってますよ」と手荒くはじくと、コソコソとその手をすぼめた。この男に復讐するためにも、何がなんでも、あのバカの尻を叩いて「M&M投資顧問」に喰い込まなければならない。
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