其の拾参  相原 絵里 (Ⅱ)

文字数 2,097文字

この春に代表権をもつ副社長になった犬飼から、ヤマトのお荷物になっていた洛北の三流の土地を紹介され、それを三割増で「京都杉村工務店」に買わせ、その差額を折半している。建築資材や各種メーカーもメインバンクもすべて差し替え、その紹介料や差額も裏金としてポケットに入れている。ただ、犬飼はわたしの知らないところで元値を叩いているだろうから、本当は折半ではないだろう。いま、私の手元にあるのは二億くらいだから、あの男はその倍の裏金を手にしているに違いない。
「京都杉村工務店」で働く社員の人達は明らかに営業向きではない。嘘も下手だし、客を丸め込むためのセールストークも知らない。実際、左京区の外れにある宅地用に販売した五〇区画の土地で、これまでに売れたのはたったの一区画。それも、元地主の子供が住むために、最初から決まっていたものだけ。一時間に一本しかないバス停まで徒歩一五分。車が二台はないと生活できない。かろうじて京都市内というだけで、学校やスーパーも遠く、住宅地として成り立たない。広いだけで産廃かごみ処理施設くらいしかないだろうと大手が判断した土地を、高値で買って売れるはずがない。
このバカ社長を除いて、そんなことは社員もみんなわかっている。それでも、クソ熱い中、交代で休みの日に草引きにいっているらしい。設計も大工も一流で、引く手あまただろうに、まだ、寝たきりの社長が復帰すると思っているのか、誰も退職届を持ってこない。会社の命令と良心の板挟み。ヤマトの営業マンのようにワッショイワッショイで「はんこだけ押してもらえば、後は知らない」というタイプではなく、義理人情に篤いお客様ありきの本当にいい人達。もし、田舎からでてきたばかりの十八歳の時、犬飼に利用されず、普通に真面目に生きていれば、こんな人達と結婚して幸せな家庭を築いていたかもしれないと思うと、無性に腹が立ってくる。その怒りのやり場がなくて、彼らにきつくあたってしまう。

亡くなった池崎さんもそう。
目じりの少し垂れた、私よりも六つほど年上の小太りの一級建築士。まったく好みのタイプじゃないけど、ベテランの多い設計士の中、この人だけが独身で、それが何故か気になって、どんな家を作ったのかと見に行ったことがある。
車の入らない、京都特有の幅二mない細い路地の奥にある、二〇坪に満たないような老夫婦が住む小さな古い町屋の改修。「ヤマト開発」では目もくれない五百万程度のちっぽけな契約。でも、バリアフリーを声高に叫んでる大手のハウスメーカーには絶対にできない仕事だった。手すり、車いす置き、杖置き、雨でも濡れない大きな庇など、外から見ただけでも細やかな工夫がたくさんされている。おじいさんが、認知症のおばあさんの車いすを押しながら、楽しそうに小さな花壇に水をやっていた。
他の社員は、私の目も見ないけれど、彼だけは京都の名菓だという甘いものを買ってきて、「相原さんもどうぞ」って、私の机にも置いてくれる。嬉しくて目がふっとなったけど、それがバレるのが怖くて、「お客も取れないくせに、ガキみたいに買い食いしてるんじゃないわよ」って、顔をめがけて投げつけてしまった。
あの時に彼が見せた、悲しそうな顔がいまも忘れられない。それから出社しなくなり、しばらくしてから、北陸のある町で日本海に向かって崖から飛び降りた。
私は地獄に落ちるのが決まっている。数年前に母さんも死んでもういない。
だから、このバカをしゃぶりつくして、金をむしり取って、この世にいる間だけでも贅沢三昧してやる。

下降一直線だった私の人生にも、ようやく浮かぶ瀬が見えてきたのかもしれない。
こんなバカでも、タナボタで社長になるほどだから、類稀なる強運の持ち主のよう。ホステスから相手にされていないのにも気づかず、いきがって高級クラブ通いをしていると思っていたら、突然、とてつもない情報を掴んでくる。隣の席に座った男が、京都の南部の土地の再開発にかかる話をしていたといった時、すぐにピンときた。
その土地は昔から関西の不動産業界では有名だった。
京都と大阪を繋ぐ便利な場所なのに、新しい高速道路が通るとか、リニアの駅の候補地になるとか、様々なうわさが飛び交い、様々な欲と利権が重なって市街化調整の農地指定からはずれなかったところ。その上、地主が行方不明になって、そのあとを永井とかいう悪徳市議が買いあさったまま塩漬けとなり、そこにショッピングモールやホテル、アミューズメントパークを融合させた、京都南部の目玉となるような巨大な施設が建設されるという噂が出たかと思えば、これがまた行方不明になったりと、これ以上ないほどの【いわくつき】で、あと五〇年くらいは、そのままだろうと思われていた。

デベロッパーは情報が命。新駅やスーパーの出店計画、行政の動きなど、その変化を把握していなければ仕事にならない。そのためヤマトはあちこちに食わせ、飲ませ、抱かせ、表沙汰にできない金をばら撒いている。特にあそこは、関西だけで千数百あるリストの中でも三本の指にはいる、注目度、重要度共にトップランクのもの。
面白くなってきた…。
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