其の五  北條 希 (Ⅱ)

文字数 1,931文字

「あっ」と思ったら、びっくりしたように慌てて伏せられた。
「あら、魚住さん。こんにちは」
「どうも、ママ。よく似た人がいるなぁって思ってたんやけど、人違いかなぁと思ったりして。この間、久しぶりにお店の前を通ったら、名前が変わってたから。こっちの方からご無沙汰してしもて何やけど」
少し早口、次第に小さな声になりバツが悪そうに頭をかく。

私が昨年末のクリスマスまでやっていた末吉町にある『スナック プロムナード』のお客様。初回限定30%オフの手作りチラシを受け取ってくださって、初期のころから毎月にかかさず、一度か二度はお越しいただいていた。
永井や赤沢による嫌がらせで、八月頃から客足が途絶えてしまったのだけれど、魚住さんは春頃から、パタリとお顔を見なくなったと記憶している。だから、私やプロムナードに何があったのかもご存じないご様子。「最近、お姿を見ないな? どうされたのかな?」と思わないでもなかったけれど、もともと営業のお電話をするのは苦手だし、そのうち自分自身がそれどころではなくなってしまった。
遠い昔話のようだけれど、実際にはまだ半年にもならない。

背の高さは一九〇㎝はあるだろうか。高校時代はバレーボールのエースで京都の代表選手だったとお聞きしている。入口ドアのねじがとれたとき、椅子にも乗らずに手を伸ばして締めていただいた。近くで立ってお話しをすると見上げるようになる。一級建築士の資格をお持ちで、住宅専門の工務店の同期だという池崎さんといつもお連れさんだった。
「京都で家建てようと思たら、あれせえこれせぇ、あれするなこれもするなってがんじがらめの規制だらけなんやけどな、そこが面白いんや」
「子供らがこの家で、どう大きなっていくんか想像したら、それだけでおもろいんや」
「介護の住宅改修は言われるままに作ったらあかんねん。介護が必要な人のことだけやのうてご家族も含めて、先のその先までこっちが考えてあげんと」
人の暮らしや日々の営み、住まいについて考えるのが大好きなお二人。生活動線、家事動線という言葉を教えてもらったのもその時。
♫ 昼間のパパはチョット違う♫ というテレビCMで流れていた忌野狂四郎さんの優しい歌があるけれど、同じように、クラブやスナックで、リラックスして女の子相手にお酒を飲んでおられる時と、お昼間の顔、家でくつろいでおられる時の顔はちょっと違う。だから、このようにバッタリ遭遇しても、他の人に気が付かれないようにそっと目礼するくらいで、笑顔のまま通り過ぎるのが、私たちの世界のマナー。
それでも声をおかけしたのは、視線がしばらくついてきていたこと、おひとりだったこと、そしてもう一つ、私が知っている魚住さんとはまったく違っていたから。

顔も青白く、目にもあの頃のような生気が感じられない。同じ干支だというお話しをしたことがあるので、まだ四〇前のはずだけれど、肌は荒れて髪もずいぶん薄くなっておられ、とても三〇代には見えない。
「そうなんですよ。去年の年末に急にバタバタとお店を閉めることになってしまって、お世話になったみなさんに、十分な御連絡もできないままでごめんない。池崎さまも、お元気にされてますか?」
はしゃいだ声をだして、そうお訊ねしたのだけれど、すーっと笑顔が消えて目の光が暗くなった。そして唇をかみしめ眉間にしわを寄せたまま、無理に微笑むようにして首を小さく振られた。明らかに、私の知っている魚住さんではない。問いを重ねようとしたのだけれど、そのまま「じゃあ」と逃げるように去って行ってしまわれた。
細身でシュッとした長身の魚住さんと、一六〇㎝くらいの背の低い目のクリッとしたポッチャリ型の池崎さん。そう言えば、お店のミカちゃんが、落語家に転身されたタレントさんに似てはるって噂話をしていた。お話し好きの池崎さんと、それを聞きながら楽しそうに頷く魚住さん。息の合った仲良し凸凹コンビ。魚住さんはご結婚されているけれど、池崎さんは独身だったと記憶している。それもあってか、お店に来られるときは、いつもお店の女の子に有名店のお団子やケーキなどを買ってきてくださった。そう言えば、仙太郎さんの「もなか」にアイスを挟んで食べると美味しいと教えて下さったのも、池崎さんだった。
「真希ちゃん。これな抹茶アイスでも味の濃い、ちょっと大人の苦味があるのがベストマッチなんやでぇ」「そのへんに売ってるアイスモナカやと思たら、バチあたるでぇ」とウイスキーを数滴垂らしただけの水割りを飲みながら語る薀蓄と笑い声が、頭の中でこだまする。
この胸騒ぎは何だろう。この二年足らずの間に、お二人の身に何が起こったんだろう。
左手に持った、仙太郎さんの紙袋が急に重たくなった。
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