其の弐拾参  御蔭 髙 (XV)

文字数 2,355文字

それ以降、彼の消息は一五年、途絶える。その間、経済や金融を専門とする詐欺グルーブの一員として、融資詐欺、投資詐欺、保険金詐欺、取り込み詐欺などを行い、闇の世界では一目置かれる存在となっていく。業界内での評判はほぼ同じである。「弁護士をしのぐ法律知識」「根回しと口が上手い」、そしてもう一つが「情け容赦がない」。ここでも、彼の邪魔になる人間は、次々と行方不明になったり、交通事故に遭ったりしている。
「えびす顔の悪魔」
そう称される彼は、独立して一匹狼になったあとも、一度も司直の手にかかったことがない。ただ、次第に他を威圧する高い能力を疎まれるようになり、追われるように京都に流れてきたのが三八歳の時。それからしばらくして希の父親である佐倉市議に取り入り、政治の世界で再び暴走を始める。

彼に関わった人々は、それぞれに悲惨な人生を送っている
村長の娘は、衆議院議員の三男と結婚したものの、永井の息のかかった男にそそのかされ転落の人生を歩んでいる。小さな山間の温泉街で客を取らされていたが、四〇代半ばの若さで重度の麻薬中毒となり、精神病院で先日亡くなっている。目の中に光のない廃人となった後も、時折、何かに怯え、暴れて錯乱状態に陥ったという。また息子も、東京のある街で一人暮らしをしていたが、富士山中で、死後、数か月が経過した腐乱死体で発見されている。全身の骨が折られていたという。家族の中で当時の村長だけはまだ生きており、誰一人見舞客のない中、老人ホームで孤独に暮らしている。
父親が務めていた学校の校長にも一人娘がいた。東京の大学を卒業し、地方銀行に勤めていたが、付き合っていた男との隠し撮りがインターネットに流され、後にビルの屋上から飛び降りて自殺している。強姦ではないが、薬物を盛られ複数の人間から拳を膣や肛門に入れられるなど過度に倒錯した性癖を強いられているもので、彼女の出身地や親の職業がわかるようにベッドの上での睦み言が作為的に編集されているという。
父親を贈収賄事件に陥れた嵌めた小さな工務店は、失火によって店舗・家屋が全焼し、当人を除く家族全員が亡くなっている。その翌年、本人も首吊り死体で見つかっている。
その他、警察官、県会議員やその他教師、同級生、村民など同様のものが十数件に上る。
その特徴は、当事者ではなく、その家族(特に娘や妹)が犠牲になっていること。もちろん、一つ一つバラバラの事件であり、その背景や永井の関与も明らかではない。また、発生場所も複数の都県にまたがり、時期も一五年以上に渡っているため、一つとして犯罪として事件化することもなく、その関連性に気づくものさえいない。
いまは、その村も周辺の市に合併され、名前は残っていない。急速な過疎化、高齢化が進み、村民も当時の一〇分の一以下の数百人規模となっている。小中学校も廃校となり、永井の家族の住んでいた集落はすでに消滅、家屋は朽ちて草むらに覆われている。
彼の本当の名前は永井ではないということもわかっている。
その人生をつづった報告書の最後には、「将来の夢」という彼の小学校の卒業時の作文と、同時期の家族写真が添付されている。

【妹には重い障害がありますが、それは僕たち家族の宝物でもあります】
【つらいときでも妹が笑ってくれると、家族みんなが笑顔になります】
【妹がいつまでも笑って暮らせるような、そんな社会をつくりたいです】
                           【六年一組 木下優一】

どうして彼が、あの日、逃げなかったのか、少しだけわかったような気がする。
こいつは、すでに遠い昔に妹と一緒に死んでいたのだ。
車椅子に乗る妹の麻痺の残る笑顔に、頬をつけてVサインをしている。子供の頃の明るい表情と、希の店で見た悪魔の顔が重なり、少しぼやけてそして離れた。
彼は人の心を持たない悪魔に等しい。ただ、その名のとおり、優しい、真っ直ぐな心のままに成長し、彼が障害者や社会のために活躍している、もう一つの世界がどこかにあらんことを、願わざるを得ない。

報告書に目を通した後、ばばと一緒に風呂に入る。
いつもは、白い単衣を着て、背中を流してくれるだけだが、今日は、その背中を流し、一緒に湯につかる。
「希はどう、頑張ってるかな?」
「まだ、ちと頼りないところもありますが、強い覚悟と信念が見えます。夜の仕事もありますが、投げられても叩かれても痛うても、ワーワー泣きながら、顔をくしゃくしゃにして向かってまいります。孫娘が二人になり、可愛ゆうて仕方ありません」
「そう言えば、福の若い頃の写真、ちょっと希に似てるな」
「なんの希ごとき、いまでもばばの方がずっと美人でございます」
「それは、おみそれいたしました」
そう言って、ひとしきり笑った後で、ゆっくりと話し出す。
「先代様が、時折、御蔭の謀は、川の中に小石を投げ込むようなものだと仰っておられました。ただ石を投げ込むことはそう難しきことではないが、石が手から離れ水面に落ちたあとも、その波紋まで操作し、制御できなければ、本当の謀とは言えぬと…」
呼応するように、湯気が天井からポトリと音を立てて、湯船の中に落ちる。
「波紋は消えても、御蔭の意思が投げ込まれた川は、元の流れではないということは、多くの人がわかったはず。福は感服致しました」
そう言って、嬉しそうに何度も頷いた。
「福にそう言ってもらえて、安心した。褒めてもらったのは、中学三年生の時に、初めて棒術で一本取った時以来かな」
「もう二十年前のことでございますね。よく覚えておいでです」
「じゃあ、今日は、久しぶりに、乳を吸って寝るかな」
風呂の中で大きく伸びをしながら、冗談めかせてそう言うと、子供の頃のように、両手を広げ、世の不条理を覆うように僕の頭を抱いた。
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