其の九  御蔭 髙 (Ⅵ)

文字数 1,815文字

以前、アメリカのセミナーで、企業経営者のほとんどは「悪徳で有能」もしくは「無能で善良」にわかれるという話をきいた。資本と経営が分離できていない日本の同族経営の二代目、三代目は、特にその傾向が強いという。当時、カリスマと呼ばれた企業買収(M&A)の投資家は「日本の労働者は真面目で従順、経営者は無能。これからの狙い目」「プライドとやる気の同族経営の無能経営者は一番扱いが楽」、レッツ、バイ、ジャパンと締めくくって爆笑をさらった。

不愉快な話ではあるが、否定することは難しい。
この京都杉村工務店の二代目社長を取り込んで誑かしたのが、不動産コンサルタントの相原絵里という三二歳の女性。隠し撮りされた数枚の写真を見ると、高級スーツに身を包み、いかにも仕事のできるキャリアウーマンといった空気を放出している。関西屈指のデベロッパー「ヤマト開発」の幹部の紐付きだという。彼女が、色と欲で二代目社長のブレーンとして会社に入り込み、業態だけでなく、長年、付き合いのあった建材メーカー、金融機関、すべて自分の息のかかった者たちに変えてしまった。
ハイエナビジネスと揶揄される経営コンサルタントには、「企業価値や利益の向上」という意思はない。頭の悪い経営者を垂らし込み、バックマージンによる利益を懐に入れ、できるだけの借金と経営責任を負わせて食いつぶすのが目的だ。倫理的に問題があるとしても、補助金不正などに手を冷めない限り刑事責任を問われることはない。彼女には経営にかかる権限もなく責任もなく、社長に間接的なアドバイスをしたにすぎないからだ。
無能をプライドでくるんだ二代目経営者によって、わずか二年足らずの間に、顧客第一主義の丁寧な設計、建築を基礎として堅実、着実に成長してきた「京都杉村工務店」は、以前とは似て非なる企業になった。ありきたりとは言わないが、この手の話はそう珍しいものでも、特異なものでもない。

「そうでしたか」
希は膝の上で手を重ね、一人掛けのソファに背筋を伸ばして浅く腰を下ろしている。
バーテンの加藤さんに車で送ってもらい、髪をアップにしたまま上がってきた。夕から譲られたという春めいたブルーの着物姿。本人は意識していないだろうが、風呂にも入っていないため、甘えん坊の末っ子とは違う高級クラブのママの貫録、張りが流されずに残っている。それは、以前のプロムナードにいた時の雰囲気とも非なるもので、店の格式や環境というものが、この半年で彼女を大きく変えている。
円から説明を聞いた後も、感情的に混乱している様子はない。
「どちらも一級建築士さんです。どうして、魚住さんも池崎さんも、そのような会社を辞められないのでしょうか」
「資料によると、自殺されたのは池崎さんだけですが、もう一人、社員の方がうつ病を発症し退職になっているようです。六人おられた女性の総務や財務の方は、この二年ですべて派遣社員に入れ替わっていますが、それ以外には辞められていないようです」
問われた円は僕の方を向いて答える。
「希はどう思う」
唇を一文字に結んで、「わからない」というように小さく首を小さく振る。
「この報告書やデータだけでは、まだ確かなことはわからない。人それぞれ、色々と理由は違うやろ。ただ、誰ひとり辞めてないということは、新しい社長とコンサルタント以外の社員は、信頼関係のある仲間なんやろうな。そやし、ええとこが見つかっても自分だけ逃げ出すことができんのと違うかな。それに、寝たきりで意識がない言うても、前の社長もまだ生きたはるし、このまま退職すると、恩人を裏切るような思いがするんやろ。前社長の意志も含め、そのあたりの想いや情報もコントロールされているんかもしれんな」
夜中の二時を超えている。
円の作った野菜ジュースに、小さなため息をついた希が口をつける。
静かな沈黙が流れる。
「典型的なブラック企業ですね」と円がこちらを向く。
「日本人に余裕がなくなった歪みの一つだな。高度経済成長にもひどい会社あったんだろうが、みんなで手をつないで働きバチ、エコノミックアニマルと笑われている時代のほうがまだ良かったのかもしれんな」
そう応ずると、希の目がキラリと光った。
「希のために謀るわけではない。池崎さんの無念を晴らすためでもない。ただ、いくつか針を打っておく必要があるだろう。二人にも手伝ってもらおうか」
そう言うと、二人は「承知しました」と声をそろえて頭を下げた。
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