其の拾七  北條 円 (Ⅱ)

文字数 2,392文字

コウ様が、相原さんにお電話をされているのを隣で聞いている。
「謀(はかりごと)」というのは、ある目的をもって、ターゲットとする人間の思考や行動をコントロールすること。それには綴りと呼ばれる調査や針と呼ばれる仕掛けの精密さも重要だけれど、相手の性格や置かれた状況によって、その難しさと判断は変わってくる。
謀りやすい、騙されやすいのは、欲の皮が突っ張ったひと、お尻に火のついたひと、それと慢心して足元が見えなくなっているひと…。
「今回は初めからみな揃うてるからな」
電話を切って軽く微笑んだあと少し寂しそうな眼をされた。
恐れ多いことだが、そのお気持ちは私にもぼんやりとわかる。もし神や仏というものがおり、それが人間と同じような心の痛みを感じるのであれば、辛いものだろう。
一般的な謀略、策略は、「絵を描く」と隠喩されることがあるが、コウ様の謀は、どちらかと言えばジグゾーパズルに近いもの。散らばっているピースの中から、設定した図柄に合わせて不必要なものを排除し、必要なものだけをはめ込んでいく。
足りないピースは、仕掛けの中で生み出される「思い込み」「フィクション」「記憶」などで丁寧に補っていく。どこをフォーカスしても、真っ赤なピースは見つからない。全体を俯瞰しても、一般的な事件や事故と同じように、いくつかの出来事、幸運、不運の重なりであるため、どの立場からみても、振り返ってみても、すべては私たちの通常の生活と同じ「偶然の産物」でしかない。

最も重要になるのは、各ピースの見極め。
使用される「純然たる事実」と「作られたエピソード」には、「誤解」「思い込み」、さらには「記憶」「経験」「性格」「社会常識」「心理状態」「感情」「プライド」などの色がついており、明確な線で区分できるわけではない。時間経過によって、それぞれが影響し合い、グラデーションのように色も形も変化する、移ろいやすく不安定なものである。
目の前で起こった同じ事象に対しても、それぞれの人の視点、性格、心理状態によって、その反応は変化する。図柄の全体の仕上がり、各ピース一点一点の色彩や濃淡、バランス、影響、関連性、変化を十分に把握していなければ、そのパズルは作成途中で瓦解する。
それは、知識や技術、経験によって培われるものではなく、また一般的な行動心理学と言う範疇でもない。言葉にするのであれば、芸術的、研ぎ澄まされた美的感覚というのが一番近いだろうか。
もしかしたら、コウ様にはそれぞれの人の性格や欲望、想い、憂い、哀しみ、それを取り巻く人間関係や感情というものが、色みを帯びて映っているのかもしれない。もし、そうであるならば、私や希は、その瞳にどのように見えているのだろうか。
一度、お聞きしてみたいような気もする。ただそれは、それは畏ろしくもあり、切なくもあり、官能的でさえある。灯りの中で裸を見られるよりも、大きく足を広げられるよりも、数倍、いや数十倍、想像するだけで全身がゾクゾクするくらい恥ずかしい。

鴨川のほとりにできた新しいホテルの一室で、相原絵里さんに会う。今できる唯一の変装、「無表情なおばさん秘書スタイル」。娼婦になるにはまだまだ修行が足りない。いつも古風な陣さんの、オレンジハットのCEOの姿にも驚いたが、ドレスアップした希には、そうとわかっているわたしでさえも、研ぎ澄まされた近寄りがたいオーラが漂う。
コウ様は、取っつきやすいけれど抜け目のない、フットワークの軽い、裏の世界にも精通した若いブローカーといったところ。いつもと何も変わらないようで、少し不摂生をして痩せられたようにも見えるし、髪型、歩き方、姿勢、話し方、声のトーン、小さな癖さえも微妙に少しずつ違っている。別々の家、違う生活環境で育てられた一卵性の双子だと言えばよいだろうか。私は、わかっているからそう思うだけで、まったく知らない人から見れば、似ているとも思わないだろう。
御見立て通り、社長の田中祐樹は、会談には参加させてもらえず、ホテルのカフェラウンジのすみで、テレビドラマのように、逆さまの新聞を片手に私たちの顔を確認する役が与えられていた。

「どこから、このお話しを耳にされたのかは、お聞きしないことにしましょう。今日のところは、お名刺も結構です」
握手だけで世間話や挨拶もなく、彼女が座るとコウ様は、そう話を切り出された。
「ご推察の通り、例の土地が動き始めています。法的な問題も大方は整理できています。数年後には、あのあたりに新しい大きな一つの街ができる予定です。この計画は、すでに最終段階に来ているのですが、オープンにするまでもう少し静かにしていたい。それはご理解いただけますね」
相原さんは、しっかりと頷いた。
「高慢に聞こえるかもしれませんが、私たちの力をもってすれば、みなさんの口を塞ぐということは、それほど難しいことではありません。それに、先日、御社の社長さんと、楽しくお酒を飲ませていただきましたが、あまり詳しいことはご存じないようだ」
少し微笑んで私の方をお向きになったので、無表情のまま御意の意味をこめて、頷くように小さく頭をさげる。陣さんによる御蔭のリサーチはすべて終わっている。彼女と若い二代目社長との関係、いま京都杉村工務店がどのような経営状態にあるのか、彼女がそこで何をしているのか、そしてその裏にいる「ヤマト開発」の犬飼副社長、そして彼女がこれまでやらされてきた仕事、そして彼らが不正に蓄財している隠し資産の総額。
相原さんは、化粧が少し濃く、険のある目だけれど、きれいな人。
偶然にも私と同い年で、誕生日も一週間ほどしか違わない。干支も星座も同じ。
違う人生を歩んでいれば、違う顔つきになっていただろう。彼女がしていることは許されることではないけれど、同じ女性として、そうして生きてこなければならなかった姿が痛ましくもある。

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