其の弐拾五  北條 円 (Ⅴ)

文字数 2,060文字

「京都杉村工務店」のみなさんは、加藤さんのバックアップで退職金を持ち寄って新しい会社を設立された。京都南部の新規プロジェクトに参加いただけないかという打診したが、「私たちは地場の工務店なので…」と固辞されたと聞く。
希のもう一つの疑問は、あの土地について。
「なんで、あの土地が急に開発されることになったんですか? 永井は一応有力な京都市の市議会議員だったから、大きなゼネコンに指示すれば家やマンションを建てられたはずですよね」
少し口をすぼめて、女子高生のような顔を見せる。
思考の整理ポイントとしては間違っていないが、この妹は、その時々によって、ドキッとするほど大人びていたり、このように子供だったりする。
「希は、この間、コウ様にドライブに連れて行ってもらったんでしょ。何か変だとおもわなかったの?」と言うと、その時のことを思い出したのか、少し嬉しそうな顔をしたあとで、首を傾げる。
「そうですよね。JRや私鉄の駅も近いし、駅の反対側はマンションがたくさん建って開けているのに、片方は田んぼや畑ばかりです。途中からは、農家さんではなく永井の会社が持っていたんですし、少し変な話ですよね」
この希の疑問を解消するには、多少の土地に関する法律知識が必要となる。
「まず、自分の土地だからと言って、どこでも建物を建ててよいわけではないのよ」
一般的に都市部の土地は、都市計画法の中で「市街化区域」と「市街化調整区域」に分かれている。市街化調整区域とは、市街化を抑制する区域であり、基本的に建物やマンションを建てることはできない。また、これとは別に、農地法と言う法律があり、「日本の農業を守る」という視点から農地は固定資産税も安い。ただ、この市街化調整区域に存在する農地を他の目的で転用するには、各都道府県などに置かれる農業委員会というところの許可を得なければならない。この許可を得るには相当の時間がかかるし、かつ簡単には許可されない。
「つまり、便利な場所であっても、今のところあの土地には建物が建てられないし、農業しかできない土地なので、税金も安いし、土地の値段も安いというわけなの。ここまではわかった?」
「でも永井は何で、そんな土地を必死になって手に入れようとしていたんですか?」
「それは、あの場所に高速道路やリニアが通るという計画が前にあったからよ。もし、そうなれば、JRや国に高くで買い取ってもらえるし、それに付随して周辺の都市化が進めば、元々は便利な場所だから、一気に取引の値段が何十倍にも跳ね上がるでしょ。でも、そんな計画が出たり消えたりしたから、あの土地はそのままになってしまったというわけ」
法律や制度の話になると、途端に眠そうになる「ナンデナンデ姫」。
まぶたが、地球の重力に勝てなくなり少しずつ下がってくる。
「でも、あの土地が急に動き出したのは、希のおかげなのよ」
「えっ、どういうことですか?」と、閉じかけた大きな目がもう一度開く。
「希が、幹事長のスキルス性の胃癌を発見したでしょ。永井程度の力では動かないけど、与党の幹事長が動けば、利権にまみれた塩漬けの土地も動くのよ。それにね、単なる都市化ではなく、障害者や子供、お年寄りにも優しい、新しい街づくり『ハートフルタウン』のモデル地区ということで、民間資金の特区構想として国の色々な省庁や行政機関が一気に動き始めたのよ」
「なるほど、だから、その計画に合わせて、京都杉村工務店の不正を謀りにかけたということなんですね」と、どこまで理解できたのか不明だけれど、謎解きが終わると、また目がトロンとしてきた。

今回のターゲットは、「京都杉村工務店」ではない。またこの京都南部の土地の開発プロジェクトは、パズルのピースとして利用しただけで、問題の本質ではない。もちろん、犬飼さんや相原さんから、不正に蓄財したお金を巻き上げることでもない。
特に、見えにくい中小企業のパワハラ問題に対して、マスコミや社会の目を向けさせることが主眼であり、だからこそ、あのような劣悪で不愉快で、刺激的な映像を公開した。もちろんそれは、全国に存在する、数多の中小ブラック企業の末路がどうなるのかを悲劇的に演出し、それを表に出すためである。
このような劣悪な企業が存続する最大の理由は、子供のいじめ問題と同じように、その異常性が日常化することによって、経営者も社員も感覚が麻痺してしまうことにある。営業活動に対する叱咤激励が、いつの間にか、「死んでしまえ」「お前はゴミ以下だ」といった暴言に代わっても気が付かない。それを映像という形で客観視させ、「これは異常なのだ」と社会からの厳しいバッシングを受けさせることで、同様のことを行っている社長やその社員に気づかせるというところが、コウ様の投げられた小石の波紋だろう。
実際、この事件以降、インターネットの動画投稿サイトには、様々な業態の、いくつもの中小企業の異常性が映像や録音によって暴露され、社長が謝罪に追い込まれたり、事業譲渡されるなど、大きな広がりを見せている。

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