第336話 死神はいつも嘘を吐く出張版2023

文字数 1,931文字

エンタメ小説というのは、かなり「型」があるのです。型を破ってもいいけど、それは型があって、それを意識した上で「破る」という意味で破るのであって、やっぱり型はあるのです。
一瞬荒唐無稽に思えるSFにだって、型はあるわねぇ。
起承転結や三幕形式に依存しない「純文学」に関しては、どうですか、理科?
それをわたしに振ってどうしたいのかしら、みっしー?
今回の『早退届』は、『死神はいつも嘘を吐く』の出張版だ、という話なのです。
仕方ないわねぇ、じゃあ、答えるけど、純文学は、他のジャンルよりも「文脈」を大事にするわね。
ほぅ、具体的にはどうです、理科??
どんなに新しいと言われる文学でも、歴史の上に成り立っている、ということよ。
先攻作品を大事にするのは、他のジャンル、サブジャンルも同じじゃないのですか??
簡単に言うと「批評性」のある作品づくりが求められるわね、純文学には。出来れば、一部の批評家だけでなく、純文学を好きな層が「これは!!」とわかるくらい「文脈」がわかるといいわね。
「同時代性」と言った場合、同時多発的に全然関係ないところから同じ問題系統を持った「新しい文学」が現れて時代を席捲することがありますが、その「新しさ」については、それじゃ説明出来ないのです。「新しさ」と文脈の関係性についてはどうなのです??
愚問ね、みっしー。そのひとつ前の時代の文学に対する反省や憤りや、古さを「刷新」する、という意味合いにおいて「新しい」のが通常ね。そのギミック、ガジェットとして、「新しさ」が突出している作品があるからわからないだけじゃないの、それは。そういう意味合いにおいて「文脈」がある、と考えた方がいいわね。
文学理論自体が刷新されないような、批評が機能不全に近いかたちになっている現代において、「新しさ」の「よりどころ」になるのは、じゃあ、なんだと言うのです??
いや、それこそは各々が考えて書くことだからなんとも言えないけど、例えば目新しさがない、という状態は、逆に今は「文脈」を辿っていけば、ないはずよ。例えばそれこそ、私小説の復権があったこともあるでしょう。「飽和した現代にそれをやるか!?」というのは、常にあるわね。
私小説を西村賢太がやったり、アンチロマンを中原昌也がやったりすることがあったわけですね。横から言うと、中原昌也はノイズバンド『暴力温泉芸者』のボーカリストであり、それは町田町蔵率いる『INU』の、そのボーカル町田が、町田康として『くっすん大黒』などで関西弁で現れたことに似ていて、さらに言えば、関西弁文学は岩野泡鳴というキラー作家が過去に存在したことが文脈上、重要になる、というのと似ている、という話ですね。
村上春樹にしても、海外文学の翻訳文体でポストモダンなつくりかたをして現れたら、そりゃあ文脈が外国文学で、しかも意識的にやる、って方向性を出して、日本文学研究と言えば村上春樹、となるわね、海外で。文脈が海外での方が分かりやすいし。それに、アメリカの作家はエージェント制を取っていて、村上は自分でエージェントを見つけ出して発売するって手法で売り込んだのは有名な話よね。文体や内容だけでなく、制度的なものにも合致させた。
三島由紀夫が『鏡子の家』を出したときに翻訳家が離れていってしまって、大江健三郎の翻訳に傾いた、という有名な話もあるのですよね。大江の海外での需要の着火点がその事件だった、という文学裏話もあるのです。
大江も、構造主義の洗礼を受けていて、「同じことが繰り返される」というわかりやすい構図を出した作品が『万延元年のフットボール』だったりするわね。
川端康成の文学性については、どうですか??
ノーベル賞を川端が獲ったときに、美しい日本の私、と川端が言う場合、それは「残酷な美」ということなのよね。日本の歴史の教科書では語られない歴史を語る。芸能民や漂流民を美しく語るんだから。で、それは同時代性ももちろんあったけど、だいたいの文豪は早死にしてしまい、逆に川端はその全集の半分が文芸時評になるほどにたくさん書いていて、新人発掘に余念がなかった。つまりボス的な存在でもあった。まあ、そのぶん、冠婚葬祭、特に弔辞を読む機会がたくさんある立場だった、という人間性もあっただろうし、なんとも言えないわねぇ。
「隔絶された状態はない」と。でも、若い作家が新人賞を獲る場合、そんなに考えているのですかね、理科。
それこそ、それは批評家のお仕事になるんじゃないかしら。
……今回は突然の主張版だったわけですが、『死神〜』の本編も、そろそろまた更新したいですね、理科。
そうね、みっしー。
では、今夜はこのへんで。おやすみなさい、なのです。
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登場人物紹介

朽葉コノコ(くちはこのこ):元気いっぱいの女の子。語尾は「〜のだ」である。


佐原メダカ(さはらめだか):ドジっ子。コノコを「姉さん」と呼ぶ。実は本作品の主人公なのでは、という疑いもある。

成瀬川るるせ(なるせがわるるせ):ボックスティッシュとお友達。ほかの作品に出てくるるるせとの統合が上手くいかない、ただのキモオタ野郎。

苺屋かぷりこ(いちごやかぷりこ):ファミレス〈苺屋キッチン〉のウェイトレス。『偽典〜』では活躍したが、『〜モダン天鵞絨』

での存在感はいまいちだったと、るるせは思っている。

鏑木盛夏(かぶらぎせいか):『夢浮橋モダン天鵞絨』で活躍したが、るるせによると「あれは盛夏と壊色の物語の外伝なので、現代を舞台にしてこいつらのことを書きたい」と語って早幾年(はやいくとせ)。

夢野壊色(ゆめのえじき):昔は書いててラクなキャラだったが、無駄に『百瀬探偵結社〜』などに登場するため、イメージ崩さないように書く必要が出てきていて悩んでいるが、それ以上にかぷりこと涙子と壊色の書き分けが厳しい。チャットノベルだからどうにか書けている状態。書き分け出来るくらいに作者の力量が上がることが期待される。

空美野涙子(そらみのるいこ):空美野財閥の一人娘。ガラが悪い。このチャットノベルでは説明出来ない設定の数々に拍車をかけてわけわからなくしている一人である。

雛見風花(ひなみふうか):盛夏の小さな恋人。盛夏と風花が恋人って設定、もはやほかのキャラもレズってることが多いるるせの小説では忘れ去られがち。

長良川鵜飼(ながらがわうかい):壊色の後輩。結構好きなキャラだけど、このチャットノベルでの活用方法が浮かばない。撹乱させるタイプのキャラなので。

白梅春葉(しらうめはるは):殺人鬼。あまりに書きやすい性格をしているので、逆に登場回数を制限したいところ。

谷崎順天(たにざきじゅんてん):こいつと津島尚は、るるせが別名義で出していた電子書籍雑誌の短編や、文学フリマでの同人誌で出てくるが、黒歴史ではある。が、るるせは数回〈転生〉していて、るるせ以前は全部黒歴史だから、困ったものである。

津島尚(つしまなお):谷崎の後輩。こいつら主人公で長編が書きたいが、そんなことを登場人物紹介で書いてどうするのか。わからない。

田山理科(たやまりか):『死神は〜』の主人公。妹のちづちづと知らない町に引っ越し、二人で暮らしを始めたが、ちづちづがどこからか拾ってきた少女・みっしーも同居することに。趣味は絵を描くこと。ペインティングナイフを武器にする。と言いつつ、ペインティングナイフで戦ってるシーンて、見たことねぇ!! と一瞬思ったが、こいつ『パイナップルサンド』の主人公で、戦ってた、そう言えば。

みっしー(みっしー):死神少女。十王庁からやってきた。土地勘がないため力尽きそうなところをちづちづに拾われて、そのまま居候することに。大鎌(ハネムーン・スライサー)を武器に、縁切りを司る仕事をしていた死神である。と、あるが、モデルは『密室灯籠』にて出てくるミシナという登場人物であるのは、ここだけの内緒である。何故かというと、密室灯籠のネタバレになるからである(ドーン)!!

ちづちづ(ちづちづ): 理科の妹。背が低く、小学生と間違われるが、中学生である。お姉ちゃん大好きっ娘。いつもおどおどしているが、気の強い一面をときたま見せる。みっしーとは友達感覚。……と、いう設定だったが、いつの間にかいつもイカソウメンもぐもぐしながら不遜な態度を取るキャラになっていたのであった。

青島空雷(あおしまかららかい):『文芸部は眠らせない』に登場する高校一年生。月天とコンビを組んで執筆活動をする文芸部員。ほかの部員に迷惑をかけないように幽霊部員でいようとしたていた、って設定だった気がする。今じゃ主人公(?)の山田よりずっと人気なキャラである。ていうかもはや主人公では?

蛇蝎月天(だかつげってん):青島の相棒。お笑い好きで釘バットを得物にする不良の域を超えた元・困ったちゃん。今は文芸部で小説書いてる。『文芸部は眠らせない』になくてはならないスパイス。坂口安吾の信奉者って設定があった気がするが、今後その設定が活きるかはわからない。

葛葉りあむ(くずのはりあむ):暗闇坂女子高等学校の生徒。折口のえるの〈フォークロア・コレクト〉を手伝う。気丈な性格。

折口のえる(おりぐちのえる):暗闇坂女子高等学校の生徒。〈バベル図書館〉の〈司書〉。フォークロアを蒐集している。いつもバベル図書館の図書貸し出しカウンターでおだやかに紅茶や珈琲を飲んでいる。お嬢様。

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