息抜き

文字数 1,287文字

 甘ったるい匂いとでも言うのか。
 戦時下ではまずお目にかかれないこの匂いを、甘いと形容できる者は、そういない。
 整備から戻ってきた青薔薇姫が部屋に入ってすぐ立ち止まる。
「凄い甘ったるい匂いだな。何か作ったのか」
「うん。向こうで残ってたケーキの材料でクッキーの生地いっぱい作って持ってきてたのを思い出してね。一部を焼いてみたんだよ。我ながらうまく出来たって思う」
 指摘した青薔薇姫に古谷は笑いながら答えた。
 彼らの装甲車は本来、単なる軍用の人型輸送車だった。しかし二人の日常生活の基盤になっているため出発前に多くの設備が後付され、さながら巨大なキャンピングカーのような仕様になっている。
 人型関連の設備や装備は軍からの支給だが、生活関連のものはほとんどが青薔薇姫の提供だった。どう調達したのか古谷は聞いていない。
 簡易というには豪華な台所の設備。
 電子レンジなんて、どこから持ってきたのやら。そしてそれらの運用に耐えるよう電気系統にも手が入っているらしい。
 そのくせ料理をしないので、当然それは古谷の役割になった。
「この前倒れた時の、お詫び」
「律儀なことだな。お前は良くやっている。気を遣う必要は無い…………とは言いつつも、やっぱりお前の作るお菓子は旨いので嬉しい」
「いい砂糖使えるからね。コーヒーも淹れたから、休憩しよう。外とか、どう?」
 放っておけば何処までも働き続ける青薔薇姫を休ませることは難しい。だがケーキを食べた時のことを思い出し、甘いものがあればもしかしたらと古谷は持ってきたクッキーを焼いてみた。
 元は作っておけば移動中の保存食になるかなと思って用意したものだったけれど。
 甘い匂いに釣られたのか……青薔薇姫は頷いた。



 昼過ぎ。抜けるような青空。春先のくすんだ青が目に優しい。
 少し冷たさの残った風は、きっと車内で休憩するよりも心地よい気分をくれるだろう。
 本来は資材などの保護用である大きめのシートを広げて二人で腰を下ろし、焼いたばかりの様々な形と色のクッキーとコーヒーで休憩時間にする。
 古谷は、なんかもうすっかり贅沢品の印象が無くなってしまった真っ白な砂糖を少しコーヒーに入れて一口飲むと、無意識に深い息をついていた。
 ほんのりとした甘さと、コーヒーの苦さが身体に染み渡る。
 本当はコーヒーだって高級品だ。青薔薇姫曰くコーヒーの原料は本来日本での入手はほぼ絶望的であったらしいが、何処ぞのお偉い様の強い希望によって研究が進み特定施設内でどうにか栽培に成功した、らしい。
 そんなコーヒー含め、何処からかいつの間にか、次から次へと青薔薇姫が調達してくるものだから古谷の感覚もすっかり鈍ってしまった。
(この先、青薔薇姫と離れることになった時、大変だろうな)
 たまに考える、終わりの時。
 けれど今から気にしたって仕方ないと開き直る事にした。

 此処に広がるのは甘い香りで、穏やかな時間で、青い空だ。
 どうせなら、恵まれているこの時間を思いっきり楽しむ方がいい。

 それでも消える事の無い黒く澱んだものが古谷の中にはある。だから、いつかこれが無くなってもきっと平気だ。
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