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文字数 1,080文字

 揺らめく水面。
 綺麗と言える程ではなく、けれど不潔と断じるほどでもない。
 青薔薇姫が人型を使って強引に作った湯船には、元から此処に湧き出ていた湯が溜まり、近くにあった川から引っ張ってきた水が流れ込んでいる。そして逆方向から一定量が川へ戻されている仕組みなので決して溢れはしない。
「ふぁー」
 水温は高めだが、不快なほどでもない。青薔薇姫曰く『入るに丁度いい湯温』であるらしい。そもそも湯を張った風呂自体に余り入らない古谷にはその基準すらよく分からないが、きっとその通りなのだろう。
 だってこんなに気持ちいい。
 生まれて初めての温泉に骨抜きになりそうな古谷は思わず情けない声をあげていた。普通の風呂には何回か入ったことがあるけれど、コレは全然違うと思う。
 見た目は同じ湯だと思うのに。なんていうか、体に感じる心地よさが全く別物だ。
 ため息のような感嘆が聞こえたらしい、青薔薇姫の笑う声がする。
「良かろう? 温泉は」
「うん。凄い、いい」
 同じ湯に浸かっている彼女に問われ、ぼうっとしつつも返事した。
 満点の星空。温泉。
 戦時中なのを忘れそうなくらい、幸せな状態だった。混浴状態なのも気にならなくなるくらいの多幸感がある。ただ湯に入るだけの行為がなんでこんな心地いいのか分からないが、現実を前に理屈なんてどうでもよくなった。
 温泉はいいものだ。古谷が知る中でも手放しで褒められる数少ないもの。
 これで傍らに控える人型が汚れきって、異臭を漂わせていなければもっと良いのだが。
「……人型も、後で浴びさせてみるか」
 少し離れたところで水音をさせ青薔薇姫がぽつっと呟くのが聞こえる。風呂に入る前から古谷はそちらを見ないようにしていた。
 当の彼女が全く気にしていなくても、古谷自身は嫌だ。
 紳士的だとか倫理観だとかそんなんじゃない。自分の視線で汚す気がして、見られない。だから見ないままに会話を続ける。
「え! 大丈夫なの?」
「基本は生体部品で構成されているからな。特に表皮部分は全て生体で中に湯は通らない。金属の装甲を剥がしてなら問題は無いだろう。元から防水には優れているし、生体部分だけなら我らと変わらぬ。浴びるくらいなら、多分」
「うん、じゃぁ、任せる。装甲の方はそこの川で洗えるよね」
「そうだな。でももう少し……」
「うん。もうちょっと温泉」
 仕事中毒である青薔薇姫すら延長を希望するくらい温泉には魔力があるのだ。古谷なんか敵うわけもない。

 ほんわかと温泉を楽しむ、今や日本屈指の人型乗り二人。

 この時の自分達の選択が後に思わぬ結果を生む事になることを、古谷はまだ知らない。
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