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文字数 1,230文字
運転席から出てきた古谷は、いつものように人型の洗浄を行う青薔薇姫の元へと向かう。
山の湧き水を使って機体の汚れを落としていた彼女は、やってきた彼に気付いて手を止めた。
言葉を待っている相手に、古谷は尋ねる。
「今から、出られるかな?」
「なんとかなる……しかしどうした古谷、顔色が悪いぞ?」
実際、彼は今にも泣きそうな顔をしていた。
自分の顔を見る鏡などここには無いけれど、普段通りの表情をしていないだろうことは己でもわかっている。それでも、軍人だから、古谷には逃げ道なんてない。
「関東軍から指令が下ったよ」
「ふむ?」
「向日葵姫絡みの研究施設の完全破壊。被害の大小は問わない。とにかく何も残すなと。場所はこの前僕が調べたから解ってる。今の通信はほぼ確実に中部軍に傍受されてる……だからだろうけど、今すぐに、だそうだよ」
今すぐ、の理由は古谷でも理解できる。
証拠を残す・持ち出す余裕すら中部軍に与えたくないのだろう。傍受されてても構わないと判断してるのは、傍受から中枢へ通信内容が伝わるより前に破壊が完了すると考えているから。
「……わかった。今すぐ準備して、行こう」
洗浄を中止し淡々と出撃準備に入る青薔薇姫は、なんの感情も見せなかった。
だから問いかけてしまった。
「今度の標的は、人、だよ。平気?」
声に出してすぐ、なんて馬鹿なことをしてしまったのだろうと思う。
彼女がわかってない筈がない。
「ふふっ。お前は優しいな、古谷。来なくてもいいぞ? 私一人でも出来る任務だ」
だからこそ、振り返り自分に向かって少しだけ微笑んでいる青薔薇姫からの返事に、古谷はひどく申し訳なくなった。
違うから。
自分は、そんな人間じゃないから。
大きく横に首を振る。
「そうじゃない。僕は、平気だ。平気すぎて、頭おかしいんじゃないかってくらいに。でも、君は」
忘れられないのは、あの時の彼女の怒り。
自分は後から起こっていたことを理解はしたけれど、でもあの時の青薔薇姫のような激しい感情は、やっぱり抱かなかったのだ。
どちらかといえば青薔薇姫のそれにひどく揺さぶられただけで……あの戦場自体には、何があったか知ってもなお、そこまでの強い感情を抱かなかった。
この任務を受けてさえ、嫌だと思っていない。
破壊する先に研究者達や……向日葵姫達がいると分かっていても。
そういう人間なのだ。
だから……彼女が、そんな風に思うような存在じゃない。
そんな説明、できやしないけれど。
言葉を失う古谷に、青薔薇姫は首を傾げた。
古谷が続けられなかった言葉の先をどう思ったのか、いつもに比べて明るいくらいの表情であっけらかんと話してくれる。
「むしろ、私は安心している。これで研究所を残す方向に動かれたらと思うとゾッとする」
「その時は?」
「そうだな。こっそり潰しに行っていたかもな」
まぁ、あやつらではそんな選択肢など存在しなかっただろうが、と彼女は何かを思い出すように遠い目をして小さくぼやいた。